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#1 超没入型オペラ体験!歌劇『道化師』のストーリーとそのトリックを徹底解説【作品解説・水野蒼生編①】

オペラを観たことがない方も、何度も観ている方も、これを読めばきっと誰かに自慢したくなる!? 2022年度全国共同制作オペラ『道化師』『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』をもっと楽しむための作品解説です。初回となる今回は、指揮者/クラシカルDJとして活躍する水野蒼生さんに解説していただきました。


超体感するという選択肢

「オペラに興味があるんだけれど、何を観たらいいか分からないんだよね。おすすめあるかな?」

たまにこんな質問をもらうことがある。自分がクラシカルDJとして【クラシック音楽の入口を作る】活動をしていることもあるので、この手の質問はいつもとても嬉しく感じる。こんな時、僕はいくつか答えの選択肢を用意しているが、もしこの質問を投げかけてくれた人が「特に私は劇場で生のオペラを観る体験を楽しみたい!」というのであれば、僕はイタリアの作曲家レオンカヴァッロによる歌劇『道化師』を強く推したい。

この道化師を推す理由、一言で言えばこの『道化師』は【客席全てを巻き込んで繰り広げられる超体感型のアトラクション・オペラ】なのだ。この作品は他のほとんどのオペラのように舞台上だけでは完結せずに、劇場全て、そして僕らが生きるこの現実世界をすべてステージにしてしまう魔法を持っている。キャストは客席に座る〈僕ら〉に語りかけるし、気づいた時には僕らは一観客ではなく、このオペラの世界の住人に変えられてしまっている。そして最も恐ろしいことに、この魔法は解くことができない。このオペラを観たら最後、あなたのその後の日常はオペラの世界と融合してしまう危険性があることは先に忠告しておきたい。

そんな『道化師』が持つ魔法の正体とは一体なんなのか?それを今回はオペラのあらすじと共にこの記事で解き明かしてみようと思う。

※以降はあくまでも一般的な演出による『道化師』の解説になるので、あなたが今回東京芸術劇場または愛知県芸術劇場で体験する『道化師』とは相違点があるかもしれない。

Leoncavallo - Pagliacci - The comedy is ended!

魔法にかかるための心構え

まず、上述した魔法をより実感するためには劇場に足を踏み入れたその瞬間からこの『道化師』は始まっていると思ってもらった方がいい。エントランス前で待ち合わせをしている人たちや、チケットをもぎるスタッフさんなど、この劇場にいる人は皆このオペラの世界の住人になりつつあるかもしれない。御用心を。

劇場に入ったら僕らは席につき、高ぶる気持ちを抑えながら開演を待つ。暫くすると客席の明かりが徐々に暗くなり、劇場全体に開演を知らせるメロディが鳴り響く。チューニングの音がピットから聴こえ、いよいよ開演の時間。指揮者が登場しタクトが振り下ろされてオーケストラが活気ある前奏を奏でて会場は多幸感に包まれる。はじまった!と胸を躍らせるのも束の間のこと、なぜか舞台上には何の動きもない。オケの演奏だけがしばらく続き、舞台袖で何かあったのでは?とあなたが不安に感じ始めたその時、一人の道化が舞台に現れる。

「紳士淑女の皆さま、よろしいですか!一人で出てきて何かと思う人もいるでしょう。ですがご安心を。私はただの前口上役でございます!」

彼はオペラの世界から現実世界に飛び出してきて、僕らを元いたオペラの中に連れていく案内人のような存在だ。それゆえ、彼は他の誰でもない僕ら観客に向けて歌い、次のような前口上を始める。

「古い時代の口上ではみんなこのように言うんです、〈ここで流れる涙や血は全て偽物ですのでご安心ください!〉。…でもね、本当は違うんですよ。今から観てもらうものは人間が本気で愛する姿です。本物の嘆きであり、悲しみ、そして怒りなのです。こんな馬鹿げた衣装を着ているためよく忘れられてしまいますが、私たち役者も人間です。あなた方と同じように空気を吸って生きる人間なのです!…少し熱くなってしまいましたが、以上がこの芝居のコンセプトです。さあこれから何が起こるのか、しかとご覧ください。いよいよ開演です!」

そんな前口上が僕らオーディエンスに向けて謳われたら、いよいよオペラの世界が動き出す。僕らがいる劇場から舞台は南イタリアに移り、時は1860年代のとある夏の日の昼下がり、ここから物語は始まる。 

【第一幕】
 太陽が燦々と降り注ぐ村に、一座が演劇を上演するためにやってきた。この村では一座はすっかり人気者、到着した馬車に待ち侘びた村人たちが押しかける。
 最初に馬車から降りてくるのは座長であり俳優のカニオ。陽気に太鼓を叩きながら、村人たちに向けて今晩上演する芝居の宣伝文句を垂れている。次に馬車から降りてくるのは女優であり、カニオの妻ネッダ。その後ろには道化役のトニオが続く。
 カニオは村人たちに誘われて酒場へ向かい、トニオは小屋の裏へと去っていく。一人その場に残ったネッダは自らが心に抱える自由への渇望を静かに歌う。そこにトニオが現れる。彼はネッダに想いを寄せていて、二人きりになれたタイミングで真剣に愛を告白する。しかしネッダはそれを露骨に馬鹿にし、傷心したトニオは強引にネッダにキスを迫る。ネッダはトニオを鞭で打ち、痛みにうめき声をあげながらトニオは去っていく。
 トニオと入れ違いでネッダの前に現れたのは一人の若い村人。名をシルヴィオと言い、彼こそがネッダの意中の人であった。二人はお互いの愛を確かめあい、ネッダは一座を抜けてシルヴィオと駆け落ちする決心をする。
 ちょうどその時、トニオに引き連れられたカニオが現れる。間一髪でシルヴィオは逃げ出すが、カニオはネッダに怒り狂っている。「男の名を言え!」カニオはネッダに愛人の正体を問いただすが決してネッダは口を割らない。カニオがエスカレートしてナイフを振り上げたところ、一座の役者たちが仲裁に入り、なんとかカニオに今晩の芝居のことを思い出させてその場を収める。役者たちに諭されたカニオは舞台に上がるために自分を鼓舞し、一人歌う。
「この錯乱の中で芝居をするのか…。それでもやらなければいけない。そうだ、俺はパリアッチョなんだ!衣装を纏い、化粧をしよう。この苦悩を笑いに変えるんだ…!」
 
【第二幕】
 同日の夜。いよいよカニオ一座の演劇(劇中劇)が始まる。カニオ演じるパリアッチョ、ネッダが演じるパリアッチョの妻コロンビーナ、トニオが演じる夫妻の召使いタッデーオ、そしてもう一人の役者ペッペが演じるコロンビーナの愛人アルレッキーノによって芝居が展開されていく。
 しかしこの劇中劇は第一幕で繰り広げられた出来事とまるっきり同じように進んでいくのだ。このデジャブに耐えきれずに錯乱したカニオは演じることを放棄し「もはや俺はパリアッチョじゃない!男の名を名乗れ!」とコロンビーナを演じるネッダに凄む。完璧にコントロールの効かなくなったカニオは舞台上にある小道具のナイフをネッダに突き刺す。断末魔の中ネッダはシルヴィオに助けを求め、客席にいたシルヴィオは舞台上のネッダに駆け寄る。それを見たカニオは容赦無くシルヴィオも殺める。周囲に取り押さえられながらカニオは呆然と観客に向けて「喜劇はこれにて終わりです」と叫び、オペラは終演する。

 以上が一般的な演出による『道化師』のストーリーラインだが、この作品の本当に面白い部分は終演後だと僕は感じている。その面白さを説明するために、ここでこのオペラの魔法の仕掛けを構造的に説明させて欲しい。メタ的な要素が多いため少々難しい説明になってしまうかもしれないが、なるべくわかりやすく書いていくのでどうか付いて来てもらえたら嬉しく思う。

混ざり合う3つの世界

当たり前の前提条件だが、フィクションの世界とそれを享受する僕らの世界は〈現実世界〉と〈架空の世界〉という2つの層に分かれていて、両者の間には明確な境界線がある。それは映画でも演劇でもオペラでも同じこと。だがこの『道化師』は、〈①現実世界〉→〈②オペラの世界〉→〈③劇中劇〉 という3つの層によって構成されている。しかも中間の層である〈②オペラの世界〉の舞台設定は僕らがいる現実世界と同じ劇場だ。それゆえに各層の境界線は曖昧になり、オペラの世界の物語を外側から楽しんでいたはずの僕らはいつの間にか〈②オペラの世界〉の住人として〈③劇中劇〉を観ている。続いて物語の終盤ではカニオの狂気によって〈③劇中劇〉の層が破綻。結果的に各層の境界線が完璧に破壊されて全ての役者と僕ら観客の全員が〈②オペラの世界〉の層に集結してしまうのだ。その上最悪なことに僕らには現実世界への帰路は用意されずに、オペラの世界の層に取り残されたままこの作品は終演する。

そして終演後もその魔法は続く。客席を離れロビーに出てもその場所は開演前とはどこか違う様相をしてはいないだろうか?まるで白昼夢のような、自分が立っているこの世界はどこだろうかと疑う不思議な感覚になってはいないだろうか?もしあなたが少しでもそんな違和感を覚えたのなら、まんまと『道化師』の魔法にかかってしまった可能性が高い。そして上述したように、残念ながらこの魔法は解くことができない

今回の全国共同制作オペラは歌劇『道化師』と歌劇『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』の二本立て。こうしてオペラの世界に取り込まれたあなたは、この『道化師』の 直後に上演されるもう一つの歌劇『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』 もきっと、自分たちの世界の物語として体験することになるだろう。

ようこそ、素晴らしきオペラの世界へ…!


執筆 水野蒼生

次回は12 月16 日(金)、歌劇『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』の解説となります。


公演情報

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