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久しぶりに授業を見て「ワクワク」した日

今日は土曜授業でした。
出勤中、別の制服を着た中学生もたくさん見かけたので、きっと今日が土曜授業だった学校が多いのだと思います。

道徳地区公開講座も兼ねていて、道徳の授業者は指導案を用意して授業をしていました。半分研究授業のようなものです。

私はT2(授業者の補助)だったので、久しぶりに自分以外の人がする道徳の授業を見ることができました。

普段はほかの先生の授業を見る機会がほぼないので、とても勉強になりました。
というか、ほかの先生の授業を見て「勉強になる」という感覚を味わったのが実に数年振り。初任校のときにたくさんほかの先生の授業を見たときの感覚を久しぶりに味わって懐かしくなりました。

初任校では授業見放題だった

写真はイメージです。

私の初任校は離島にある中学校。
通級指導学級だったのですが、担当生徒数が1人とか2人とかの世界だったので、空きコマだらけでした。

それゆえに、ベテラン先生たちから「空きコマは全部授業を見に行け!」と発破をかけられ、しぶしぶ全教科の授業を参観したものです。

離島には個性豊かな先生がたくさんいて、少人数ならではの手立ての工夫や生徒を惹き付ける発問などをたくさんされていました。

今となっては、そういった授業をいつでも見放題だったのは贅沢の極みだったと実感しています。

現在も、音楽の鑑賞カードに「明るい」「激しい」などの語彙を掲載して感想を書きやすくしたり、英語の授業の冒頭に今日の日付と天気を英語で言わせたりと、離島時代にほかの先生がやられていた手立てを丸パクリしています。

「研究授業」は苦手

やがて、離島から大都会に異動すると、ほかの先生の授業を見る機会は一気に減りました。

空きコマは連絡帳や行事関連の業務がたんまりあって、自分の教材研究すらままならない状態です。

そんな中で、研究授業はほかの先生の授業を見れる貴重な機会です。しかし、肝心の研究授業はどうも好きになれません…。

特に苦手なのは授業の後の協議会。
せっかく素晴らしい授業なのに、重箱の隅をつつくように改善点と称して悪かったところを言う文化がどうも性に合わないのです。

良いところをたくさん見つけて自分も参考にしようって気持ちだけでいいのに、どうして悪いところを探す必要があるのだろうとさえ思ってしまいます。

今日の授業について

今日は道徳の研究授業という体でしたが、協議会は全員参加ではなかったので軽い気持ちで授業を見ることができました。

特別支援学級の道徳。
教材選びから発問まで、すべての生徒が理解できるようにしなければならないので、とても難しいなおいつも感じています。

今回はいじめについて。
どのクラスでも起こりうるお話を題材にしていました。

授業者は冒頭で
「もし、自分がこのクラスにいたらどうするか、考えながら読んでごらん。」
と、声をかけました。

もう、これだけで生徒は自分事としてお話を読める!!すご!!と、純粋に感動しちゃいました。

さらに、個別の配慮も細やかで、自分の意見を記述することが難しい生徒に対して四択の選択肢バージョンのワークシートを渡していました。

普通の研究授業だったら「大人の考えを押し付けるのでは〜」云々言い出す人がいそうですが、その生徒は実際にそのワークシートのおかげで生き生きと授業に参加できていました。サーシ!(クラシックの業界用語で「素晴らしい」という意味)

四択のワークシートなんて、自分ひとりじゃあ全く思いつかなかったので、目からウロコでした。

やっぱり授業作りは楽しい

今日の出来事を振り返って気付いたことは、「やっぱり授業作りは楽しい!」ということです。

普段は授業以外の業務に追われて、ほかの先生の授業を見る機会なんてとても作れたもんじゃないけど、定期的に授業を見合っていいところを盗み合うのは大事だなと思いました。

で、ほかの先生の授業を見てるときって、「これは自分の授業でも使えるかも」とか「私ならこうやってアレンジしようかな」とか考えるときは心なしかワクワクしてるんですよね。

そんなワクワク、数年前から全く感じていなかったので、すっかり忘れていました。

いろいろ忙しいけど、今日久しぶりに味わった「ワクワク」を大切にしていきたいなと思います。

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