#7 麻酔の直前に
いよいよ入院手続きをし、病棟に案内される。
病棟は幸いにも新しく、大部屋と呼ばれるところで、4台のベッドがあって、どのベッドにもなるべく大小なりの窓がくるように、入り口から放射状に配置されるなどの工夫がされていた。
ちょっと昔の大部屋なら、日中は患者たちがカーテンをそれぞれ開けて、世間話をしながら互いを知っていくようなイメージを持っていたが、それぞれの部屋にびっちりカーテンが閉められていて、ちょっと新参者のご挨拶・・という雰囲気は皆無だ。
私はいつも朝食をきちんと7時くらいに取っても、10時くらいには小腹が減ってしまうタイプで、病棟につく頃には例にもれず小腹がすいていた。
部屋に案内されるなり、看護師さんに「今日は昼から絶食でーす!」と軽く言われてしまった。
・・・しまった。病棟に入る前に何か軽くつまんでくればよかった。
仕方がない。
空腹を我慢しながら、なんとなく細々と自分の荷物を整理していたら、執刀医からの説明があると言われ、説明用のお部屋に通された。
私の見た目判断では、先生は30歳代の若い女性で、黒い髪をきちんと一つに束ね、両耳にピアスの穴が開いている。ピアスはされていない。
ここの病院は、看護師もみんな髪を染めていない。おそらくそういう規則なのだろう。ピアスも禁止なのだろう。
それでも、開いているピアス穴を見て、休日には自分のオシャレを楽しんでいるんだろうなというところまでの一通りを想像してしまった。
それまで私を見てくれた医師は年配のある程度肩書を持っていらした方だったから、目の前の先生が私の執刀をするということに内心驚いた。
たしかに年配医師は「当日は私が執刀するわけではない」とは言っていたけれど。
でも、彼女は、説明も淡々とわかりやすいし、かと言って事務的・機械的というわけでもなく、なんだか話しやすい印象だ。
もう私の運命は、身体は、ここにいる方々にすべてを委ねている。
何も疑問に思うことも不安に思うこともない。
すべてを受け入れて明日に臨もう。
手術に対しては、不安の気持ちがなくはなかったけど、どちらかというと、興味もあった。経験値が高くなるくらいにさえ思っているところもあった。
麻酔ってどんな感じなんだろう?
あっという間だと、経験した人が言っていたけど、本当にそうなのかな?
なるべく平常心でいこうと思う。
看護師が眠れないようなら眠剤を出すと言ってくれたが、飲まなくてもうまく眠りにつけた。
いよいよ当日の朝を迎えた。
病棟から「手術部」という場所へ看護師に連れられて移動する。
手術部への入り口につながる広い廊下に、当日の患者さんの待合のためのパイプ椅子が、かなりの間隔をあけて5,6台置かれ、その一角にほかの患者さんたちと同じように私も座らされた。
隣には看護師が立ってくれて、まるでリングの角に座っているボクサーとセコンドのようだなと思った。
ほどなくして自分の手術室へ向かう。
廊下にはとても大きな医療器具が所狭しと並んでいて、必要なときに各手術室へ運んで使うものなのだろうと想像された。
テレビドラマなどに映る手術シーンと違って以外に雑然としている。
氏名の確認をし、手術を行うスタッフが丁寧に私に自己紹介をする。
ベッドに横たわる。
全身麻酔をする前に、背中へ硬膜外麻酔をする。
すべてはスタッフの指示どおりに、身体を横向きにして胎児のように丸くなると、注射をされて、ごそごそと一通りの処置がなされる。
仰向けになって。
不意に子どもたち二人の顔が私の脳裏に浮かんできた。
「子どもたちのために生きたい」
突然シンプルに言葉が降りてきた。
すべてを天に委ねていた気持ちでいたが、自分のことばかり考えていなかったか?
自分の人生はここで終わってしまうのかとか、自分中心に考えていなかったか?
シンプルに子どもたちのことを考えてこなかった気がした。
まだ小学6年生と4年生。
二人のために、健康を取り戻して、穏やかな暮らしを紡ぎたい・・・。
そのために、がんばるんだ。
そう思うと、涙が次から次にあふれてきた。
もう、手術は始まるというのに。
看護師が私の頬に伝う涙を何度も静かに優しく拭ってくれる。
きっと手術が怖くて泣いているのだろうと思っているんだろうな。
今ここに降りてきた温かい気持ちをシェアしたい衝動にも駆られたが、私はこの感動を胸に抱えて、記憶のない暗転の世界へ飛んで行った。
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