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08-1 能登半島地震 ボランティア報告 七尾市 令和6年4月27日(1日目)



七尾市地図

七尾市に野口健や岡山県総社市、登山用品メーカーなどが協力しあって災害ボランティアの宿泊できるテント村ができたと聞き、気になっておりました。能登の震災ではボランティアに行くにしてもアクセスの難しさが課題になっていたので、いっそ被災地の中に拠点を作り、そこで寝泊りして作業すれば、移動にかかる時間をまるまる活動にあてることができて無駄がないという発想です。もちろんボランティアは自己完結が求められますので、水や食料、寝袋など登山するのと同じ装備で出かけることになります。

さらに、この災害ボランティアでは軽トラックが大活躍しています。どんな狭い道にも入っていき、被災した家の家具などを運び出します。一台でも多くあると助かるというので私は主人から軽トラックを借り、4月27日と28日はテント村で一泊二日のボランティアに出かけました。

七尾市へはこれまで2回ボランティアに行き、1回目は3月17日に富山市からのバスボランティアでした。それから1か月以上経過しての私の体感をお伝えできればと思います。

私は古いキャンプ用品を引っ張り出し、水や食料、コッヘルやクッキングストーブ、シュラフなど二日間を過ごせるよう大きなザックに詰めこみました。駐車場からテント村まで歩かなくてはならないようなので、荷物を軽くするため軽いスリーシーズン用のシュラフを入れました。もう一つのデイパックにはいつも災害ボランティアで使うマスクやゴーグルや水などを入れました。

富山市の自宅から七尾市のボランティアセンターへは車で1時間10分ほどで着くことができます。高岡北インターから能越道に入ると道路はすいていて快適です。8時35分までに集合のところ8時5分に到着し、早すぎたのか人はまだ少ししか集まっておりませんでした。

七尾市ボランティアセンター

スマホで参加登録を済まし、オリエンテーションとマッチングのためにセンターの2階へ移動。軽トラック持ち込みの人は運転ボランティア受付をします。無線機、車に貼る災害ボランティアのステッカー、廃棄物の集積場の場所と注意点が書かれた書類、集積場の許可証のファイルセットを渡されます。


今日集まった100人以上のボランティアは9班に分かれました。私たちの班は10人のメンバーでうち4人が女性。2台の軽トラック、人を運ぶワゴン車1台が共に活動します。リーダー決めではボランティア経験4回の女性が立候補して決まりました。

マッチング

今回のミッションは2軒のお宅をまわります。1軒目は今日から入居がはじまる仮設住宅への引っ越しのお手伝いで、高齢男性の家の食器棚とこたつを運ぶというもの。これは軽トラ1台で十分でした。軽トラに載せて、ロープで固定し、仮設住宅へ運ぶとあっという間に終わりました。

仮設住宅引っ越し

2軒目は耳の遠い高齢男性宅の震災廃棄物を集積場に運ぶというもの。お宅はアパートで、玄関前に廃棄物が出してあるはずですがゴミの入った段ボールが1個おいてあるだけ。ピンポンを押しても誰も出て来ません。ノックして声掛けするとようやくお爺さんが出てきて話をするに、廃棄物は別のボランティアが別の日に持って行ってくれたとのこと。なのでもうゴミはこの段ボールの1箱分だけ。しかもそれは普通の家庭ごみであり震災廃棄物ではないので受け取れず、ご自分でゴミの日に処理してもらう事になりました。

スーパーマーケット店内


結局午前のうちに仕事が終わってしまったので、トイレ休憩のため大型スーパーに向かいました。スーパーはおにぎりやお弁当なども販売していて丁度お昼ご飯を買うのに最適です。私はパンを持って来たけれどこのスーパーのお弁当を買って食べる事にしました。

ボランティアセンターで昼食

ボランティアセンターに戻り、班員が昼食を食べている間、リーダーは活動報告と午後から追加の仕事を尋ねていました。午後から追加で農家の崩れたコンクリートブロックの片づけの仕事が入りました。

ブロック撤去

仕事が終わり、解散になりました。今回一緒にボランティアをした女性のうち、中国人のDさんも今晩テント村に泊まるというので一緒に行くことにしました。ボランティアセンターから数分でテント村に到着。テント村の駐車場からテント村まで歩いて2分ほどで到着。野球場のグラウンド外野の芝生に100張のテントが見えて来ました。

テント村

受付をするとライト2種と入村証、女性は防犯ブザーを渡されました。Dさんと私は隣り合ったテントにしてもらいました。テントは2人が楽々寝られる十分な広さがあり、一人で一張使いました。中はすでにマットが2重に敷いてあり、家からマットを持ってくる必要はありませんでした。


白いテントはみんなで使う共同利用で、ストーブや電源、電気ポット、テーブルがあり、温かく、ここでご飯を食べたり情報交換をしても良いし、携帯の充電もできます。

白いテント

野口健のサインやお風呂や温泉についての情報がホワイトボードに掲示してありました。

野口健のサイン

今日は炊き出しがあるらしいという情報を聞き、一応レトルトのカレーやアルファ米を持って来たがそれは使わずに、夕方6時まで待ってみることにしました。すると5時半ごろ三塁側ベンチに矢田郷地区の食生活改善推進協議会の女性や男性が、「炊き出しができましたから取りに来てくださーい」とコール。

ボランティアへの炊き出し

お弁当とみそ汁をいただきました。炊き出しが無かったとしても近所にはコンビニや外食できるレストランもあり、食料やキャンプストーブ、コッヘルを持ってくる必要はなさそうです。


いただいたお弁当

Dさんは海の方へドライブをしてから戻ってきたので、一緒にお弁当を食べて話をしました。Dさんは日本で留学した後、東京で就職して働いていました。能登の震災ボランティアをするため10時間かけて車で来たという事でした。27日は七尾のボランティア参加できましたが、28日は申し込めなかったので明日は穴水までドライブして東京に戻るということでした。その後私は自分のテントに戻りましたが、私は疲労と夕飯を食べたせいか横になるとそのまま寝落ちしてしまいました。夜中寒くて起き、なんとテントの出入り口を開放したまま寝てしまったためで気温は13度。あわててテントを閉じ、服をもう一枚重ねて着て、二度寝しました。スリーシーズンのペラペラのシュラフを持って来たことを後悔しました。

私はキャンプ用品をたくさん準備して持ってきましたが、このテント村も周辺のレストランや温泉などなんでも揃っているので、結局必要なのは暖かいシュラフと水だけあれば事足りたようでした。二日目に続きます。


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