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10-2 能登半島地震 ボランティア報告 能登町 令和6年6月9日(2日目)

室内テントの朝を迎えました。
一階のロビーにはバッテリーがあり、ここで携帯電話の充電が可能でした。

充電器


寮の食堂は日曜日の朝食は対応しないので、私は持参したパンやシリアル、パック飲料を持って食堂で食べました。

食堂で朝食

電子レンジや電気ポットや流しがあるのでカップ麺やレトルトの人はここで利用できます。

食堂には電子レンジや電気ポットあり


今回日本航空学園ベースキャンプを利用してみて使い勝手も良く、珠洲市や能登町へのアクセスもよく、連泊してのボランティア活動には便利だと感じました。

女子の部屋に9つのテント


荷物を担ぎ、チェックアウトはチェックイン時に渡された入村証を返却するだけです。

ボランティアバスの時刻表が掲示されていますが私は能登町の拠点に直行することにしました。軽トラを持ち込むためです。
今日の活動は柳田なのですが、集合場所がネットで検索してもわかりません。ベースキャンプの受付をしている人も他のボランティアさんに尋ねても分からず。
能登町のボランティアセンターに電話しても朝早すぎなのか留守電にしかつながりません。とりあえず能登町のボランティアセンターに向かいました。

柳田


30分ほど走って能登町ボランティアセンターに到着しましたが人気はなく、建物も閉まっています。もう一度ボランティアセンターへ電話をかけるとやっとつながり、今日は柳田の笹ゆり荘が拠点になるのでこちらに来て下さいとのこと。仕方なくもと来た道を半分ほど戻り柳田に到着しました。そこは軽トラがずらりと10台ぐらい並んでいました。

笹ゆり荘が柳田の拠点


活動参加登録を済ませたあとセンターの方と雑談。私は復活した温泉とかあれば教えて欲しいと尋ねました。笹ゆり荘は上下水道は使えるため水洗トイレは利用できました。

そうこうするうちにボラバスが到着。今日は23人ほどで女性が5割ほどです。5グループに分かれて活動です。マッチングが始まりました。


私は軽トラを持ち込みましたが、この拠点には余るほどの軽トラが用意されており、比較してニーズが6つだけでした。次回は身一つでもいいかなぁ。

私は最後のグループに組み込まれ、女性ばかり6人です。力仕事が少ない内容なのでしょうか?
ホワイトボードには土蔵の1階の片付けと2階の輪島塗の食器を1階に下ろす活動との説明がありました。

リカオン家の軽トラも含め軽トラ3台で6人移動。10分ほどで目指すご家庭に到着。蔵に案内されると散乱し埃を被った物の片付けが始まりました。壁には食器棚が3つほどありますが、食器棚を運び出すには中の食器を取り出す必要があり、さらにその食器がいるものなのか捨てるものか判断してもらわねばなりません。本や旅の土産物、思い出のアルバムなどどんどん出て来ます。家主の高齢女性に蔵に見に来てもらうと、一つ尋ねて一つ答えるとすぐに家に入ってしまうので、判断して欲しいものを本宅の玄関に運び、仕分けしてもらい、捨てるものは土嚢袋やゴミ袋につめて行きます。

金属製の組み立てベッドや大きなテーブルなども運び出します。食器棚のガラスを外しあとは一階は食器棚を3つを残して昼休みの時間になりました。

やってみると女性は分別はサクサクできるのですが、やはり重たい家具の運び出しや、家具の解体は不得意。リーダーの女性は電話で本部に午後から男性2名の応援を依頼しました。

しばらくすると体格の良い男性二人が我々の軽トラの近くにトラックが駐車しているのを見て、ああもう応援の男性が来たのかと思い「ご苦労様です!」と声をかけるとなんだか返事もせずにそそくさと車に乗って行ってしまいました。

すると背の高いボランティアの女性が私に耳打ちして、「最近ボランティアに乗じて勝手に金属資源を持ち去る窃盗団がいるという注意喚起がありましたよ」と言われ、私は慌てて車のナンバーを写そうとカメラを構えましたが、トラックは向きを変えて行ってしまい撮影できず。彼女に「ナンバーを見ましたか」と尋ねると「いや、富山ナンバーということしかわからなかったです。」心の中で(富山県民がゴメン!って‥富山県民かどうかも分からないけれど‥。)

軽トラック2台は一度廃棄物を捨てに集積場へ向かいました。残る人たちで延々と蔵の片付け。

昼休憩は笹ゆり荘に戻り、持って来たパンと野菜ジュースで食事を取りました。
他のボランティアの女性も集まって来て一緒に談話しながらランチです。

大阪から来た人、石川県内(野々市、内灘)から来た人など様々。石川県の学生さんはこれまで金沢などの1.5次や2次避難所のお手伝いの案内のみ来て災害廃棄物の搬出は今回が初めてとの事。石川県はボランティアの案内も地域や人によって募集案内を変えているのでしょうか。

ランチをしながら午後からの作戦を立てます。時間は3時までなので作業時間は2時間のみ。2階に沢山の輪島塗の食器があり、家主さんはそれを1階に下ろしたいという希望。それには1階の食器棚が邪魔なので、男性に先に運び出しをしてもらう。また、1階にあった壁に作り付けの棚も物を片付ければそこにも輪島塗の小物が置けそう。


午後の作業が始まりました。
2階には輪島塗のお膳が数組入った縦長の木箱が10個以上。つまり数十人の食事が一度にできるだけのしつらえが家にあるのでした。
正月や結婚式などおめでたい時には能登町の人々はこうやって家族や客人でお祝いされていたのでしょうか。その人と人との交流に使って来た輪島塗の食器を救いたいと。

1階では到着した男性二人がどんどん食器棚を運び出し、トラックに載せていきます。私は1階の壁の棚を片付け、背の高い女性は輪島塗のお膳の入った木箱を階段際に寄せました。他の女性は蔵の1階を掃き掃除したり、蔵にあった物を玄関で家主さんと一緒に選別して捨てる物をトラックに載せています。

いよいよ2階の輪島塗を1階に下ろします。木箱の蓋が運ぶ途中で開いて中の物が落ちないよう養生テープを貼りました。狭い階段の途中に立って木箱をそろそろと下ろし、1階にいる男性に受け渡します。
男性は受け取ると先程まで食器棚が置いてあった所に並べて行きます。縦長の木箱10個以上下ろした後は、今度は小さな箱に入った輪島塗のお盆やお椀などあるので全て階段近くに運びます。男性はそれを持って1階の棚に並べて行きます。

全ての輪島塗の食器を下ろしたところで2時半になりました。まだ2階には長持ちやタンス、ガラスや陶器の食器が残されていますが、タイムアウトです。3時までに廃棄物集積場に持って行かねばなりませんし、バスボラで来た人達もバスに乗り遅れないようにせねばなりません。

家主さん母娘とボランティアは何度もあいさつを交わしながらお別れしました。
私の軽トラックには様々な廃棄物が載っており、そのまま集積場に向かいます。しかし、集積場の場所に迷ってしまい、ようやく到着した時は3時1分でタイムアウトでした。残念ながら廃棄物を載せたまま拠点に戻り事情を話すとリカオン家の軽トラックからボラセンの軽トラックにみんなで中身を載せ替えてもらいました。これで富山に帰る事ができます。


ボラセンの方から、「朝尋ねられた温泉ですが、この近くの温泉が復活して夜9時までしているのでおすすめです」と教えていただきました。早速皆さんとお別れして、私は柳田温泉へ。ボラセンから急坂を直登すると直ぐに到着。


日帰り温泉550円で、15人は入浴できるゆったりとしたスペースがあります。


ホコリだらけの体をさっぱりしてから、帰途につきました。途中休憩を入れながら、約3時間で自宅まで帰りました。

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