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もし劣悪な環境で育ったのだとしても、あなたにしかできない花を咲かそう

2012.9.19日に書いたものをブラッシュアップしてみました。


親のしつけが・・・とか親の顔がみたいとかいう言葉を聞くと悲しい気持ちになった昔の私。

私に言ったものではないとしても、すべてが私への全否定にも聞こえてしまっていた。別れた元夫も私が実の親の顔すら知らない事を知っていたはずなのに、何かというと親の顔がみてみたいよと皮肉っぽく言ったものだ。

何とも言えない悔しさと哀しさが入り混じった思いを噛みしめていた昔の私。

捨て子だった私が育った環境は、世間一般的な常識からは程遠い環境だったし、実の親の顔は・・私だって見てみたいと思ったこともあるけれど、知るすべもないままだ。もう知りたいとも思わなくなってしまった。

親のしつけがいいとか悪いとか、親の顔がみてみたいとかいう言葉。
いろいろな環境に育つ人がいて、それは好き好んで選んだ場所ではないのになと哀しい気持ちになる言葉でしかない。
例え、『親御さんの育て方が良かったのね』的な言い方だとしても、私には虚しく響いていた。

まるで総てを否定されたような言葉にしか聞こえない。

ほぼ放置されて育った私だ。それでも私は自分なりに周りを観察し、なんとか零れ落ちぬよう、それなりに自分を作り上げてきた。

幸い私は本が好きだった。
学校の図書室には沢山の本があって次から次へと読んだものだ。
お友だちと遊ぶのが苦手だったから本を読んでいるポーズをとっていた時期もあるかもしれないが、中学の頃には詩なんかもよく書いては同人誌にも投稿していた。

本の世界には沢山の人生があり、反面教師もあり、憧れの人もいて、たくさんの感情や状況、幸せのストーリーを吸収していった。

空想の世界も広がり夢が広がる
人は劣悪な環境で育ったのだとしても、それなりに成長できるし、本や映画の世界を疑似体験しながら感情も豊かに育つし、更に成長していけるのだと、今は心から信じられる。

じゃないと私の人生なんてお手上げ状態の筈だ。

人は、気づいたときから いくらだって変わりたい方向へ変わっていける。

命を授かったときから 親はなくとも、あらゆるものから学び 着実に育まれ成長していくのだと思う。

それは、この世界の中にある総ての命が一緒で
環境にあわせ進化したりしていく。
植物であっても一緒だ。
野の花だって、雨風に打たれながらも綺麗に花を咲かし 次の命に繋いでいく。

だから、もし幼い頃や 今の環境が最悪だったとしても悲観しないで欲しいと思う。私も昔は悲壮感が溢れていたのだけれど・・・。


あなたはあなたなりに あなたにしか咲かすことのできない花を開き 実を結ぶのだから大丈夫。
そうあなたに伝えたい。









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