見出し画像

(ほぼ)100年前の世界旅行 イギリス(1) 7/31-8/19

6月1日に横浜を出てから約2ヶ月、真一の旅はいよいよ欧州に入りました。大西洋を渡って到着したリバプールで、カナダ太平洋鉄道やトーマスクックの社員たちの出迎えを受け、無事ロンドンのStrand Hotel(現Strand Palace Hotel)に到着です。友人たちとの再会が、真一のロンドン滞在を豊かに彩ります。

友人たち

ロンドン到着の翌日、まずはトーマスクックのオフィスを訪ね挨拶。トーマスクックに届いていた"Mr. Green"からの手紙を受け取ります。真一の著書「ホテルとともに七十五年」の記述から、(時期は不明ですが)トーマスクックの東洋総支配人(上海駐在)だった方と思われます。この頃は健康を害し、海辺のWeston Super Mareで静養中だったようで、お見舞いに行く約束をしました。

ロンドンではこの頃ちょうど、大英植民地博覧会が開かれており、二人の友人が真一を自動車で見物に連れて行ってくれました。Logan氏、Congreve氏です。Logan氏はインドでの鉄道設計に従事したのち、この頃は上海のPalmer & Turner建築事務所に所属し、香港銀行などの設計を行っていた人物。同い年のCongreve氏は南インドで紅茶の栽培に従事していた人物で、この年の4月に二人で日光金谷ホテルに滞在し、経緯は不明ですが、仙台に行く二人を真一が飯坂温泉まで見送った記録が残っています。その時に世界旅行の計画も話していたのでしょうか。1897年設立のRoyal Automobile Clubで待ち合わせ、博覧会見物の後はLogan氏が所属する別のクラブで他の友人も交えて夕食を共にしました。この後二人はスコットランドへ二ヶ月の釣り旅行に出かけていきます。

その翌日には、イギリス初夏の風物詩、ロイヤルレガッタで知られる美しい川辺の街Henley-on-ThamesにMundey夫妻とBrockelbank牧師を汽車に乗って訪ねました。この3人も金谷ホテル滞在で知り合った方達と思われます。翌日は夫妻がウィンザー城を案内してくれました。真一の日記の城の説明の中に"..when the King is absent."とあるのを見て「Queenでしょ」と思ってしまいましたが、故エリザベス女王の父君ジョージ6世時代(※と書きましたが、これは間違い。この時はジョージ6世の父、ジョージ5世の時代でした。その長男が「王冠をかけた恋」で約1年で退位したエドワード8世、あとを受けたのが次男のジョージ6世、そしてエリザベス女王、という順番でした。訂正です。8/16)のイギリスなのですよね。真一の旅行がスムーズで、100年前の出来事を読んでいることを時々忘れてしまいます。

テムズ川とウィンザー城

悲しい知らせもありました。手紙を出しても返事がなかったE. Foxwell教授の死去を知らせる手紙が、兄であるケンブリッジ大学のH. Foxwell教授から届きました。同氏は1896年から東京大学や高等商業学校(現・一橋大学)の経済学教師として来日したいわゆるお雇い外国人で、金谷ホテルを避暑で訪れたことがあったのでしょうか。家族の写真を見せようと思って持ってきたのに、と真一は書いていますので、かなり親しかったのかもしれません。早速お悔やみの手紙を出しています。

買い物

トーマスクックのHinde氏にいきつけのテイラーを紹介してもらったのは、手持ちでは足りなくなったのか、紳士の国・英国で洋服をあつらえる体験をしてみたかったのでしょうか。スーツもモーニングも、ニッカボッカを4インチ長くしたズボンのスポーツ用スーツ「プラスフォー」もすべて2組ずつ注文しています。他にも靴も「弟・正造に」と買い物をしている様子から見て、「だいたい同じサイズだから着られるだろう」と弟の分まで注文していたのかもしれません。他にも初めての老眼鏡をあつらえたり、杖を買ったりしています。

しかし極め付けは釣り具でしょう。真一を博覧会に連れて行ってくれたLogan氏はその翌日からスコットランドへ釣りに出かけましたが、真一のために釣り具一式をFarlowsに注文し届けさせるという粋な計らいをしてくれました。Farlowsは今もパルマルにある、王室御用達の、釣りをはじめとするアウトドア用品ショップです。これに感激した真一は自らFarlowsを訪れそっくり同じセットを色違いで正造のために買い求め、さらに別の日にもまたこまごまと釣り用品を買い込みました。

上が正造、下が真一のもの。

これがその釣竿2組です。袋にそれぞれ「金谷」と正造のサインである「H. S. K. Y.」(Henry Shozo Kanaya Yamaguchi)と書いてあります。釣りをなさる方に見ていただいたところ、フライフィッシング用で、つなぎもちゃんとしていて、今でも使えるのではないか、とのこと。リールが見つかっていないのが残念ですが、釣り糸や、自作と思われるものを含むフライもありました。箱根富士屋ホテルの養子となった正造は、専務としてホテルを切り盛りする多忙な日々の合間に、時々わざわざ日光まで来て湯の湖などで真一と釣りを楽しみました。真一もそうした機会を楽しみにしていたことが、弟へのお土産から伺えます。

Farlowsの名があります

友人と会わない日はバスでせっせと名所巡り。真一のロンドン滞在を豊かに彩る友人たちとの交流は、さらに(2)へ続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?