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初海外出張! 

ふう、ナイジェリアの日本語教師が京都の日本語学校の教室にいるウズベキスタン人とスリランカ人のクラスに行うという特殊な形の授業を終えて、次は初!海外出張!現在海底ケーブルの故障でインターネット接続が壊滅的な西アフリカ海岸沿いへ、いざ☆2024年は激動やね☆

ナイジェリアの業務のオンライン化を推進していたのは、こういう側面もある。いざ、他の国から依頼が入ったときに動きやすくするためという側面。これはもう来て1年目で考えていたこと。逆にやりすぎないようにして、長く継続できる形にするために動くよう集中した。

何度も言うがナイジェリアの国立大学で准教授扱いの給与を受けていてもその額は生活の軸にはならない。ましてやここ2,3か月でナイラが下がりすぎて大学の給料は変化がないものの日本円にすると3万円を切った・・・まあこれでも生活はできるけどね。燃料費が跳ね上がっていて町の構造が車がなければ生活できないアブジャではかなりきつい。

ありがたいのはうちの大学の副学長(日本で言う学長)がこの手の外からの仕事や出張は快くOKしてくれること。うちの大学の日本語日本文化研究所の使命の1つに西アフリカ全体の日本語教育普及支援というのを入れてもらっているのでその使命の下で動いているのでOKというわけである。1年目に見ていたビジョンがようやく少し形になってきたという感じ。その下地となっているのはもともとサブサハラ・アフリカ各地にいる日本人教師や西アフリカ日本語教師のつながりが強いということ。結局ものをいうのは人の繋がりであり信頼関係なのである。マジでこの同志たちがいなければ一瞬で帰っていたはずである。

それにしても今回の出張は大きい。官民学がうまく連携できる可能性を秘めた大きなプロジェクトに見える。声をかけてくださった方に心から感謝を申し上げたい。

これは日本人が少ない国で日本語を教えていた人間ならだれもが経験していることだと思うが、どことは言わないが日本の近隣諸国2国の大使館などが大きな金額を使って大学などに言語や文化センターを建てたりしていると、大学の上からは「え?日本は?」と言われ、何とも言えない気持ちでその2か国の動きを見ていたということは数回では済まない。その上、西アフリカとなると基金の支援もほぼ届いていない状況(何とか年一回のシンポジウムの助成金が出ているくらいだがそれはサブサハラアフリカ全体)である。それでもその状況を悔しく感じ公的機関の中から何とかしようと動いてくださっている人がいるのもよく知っているので、その方々には感謝しかないし、その多くの方々の努力の1つの結果として今回の動きがあると思う。どうなることやら。何も分からないが自分ができること+2ぐらいのことを全力でやっていきたい。

あ、ナイジェリアの仕事を終えるわけではないです。この条件で後任来るわけないし、今終わったら全部消えるし。もちろんどちらも続けるのです。

今年で私も40歳になる。敬愛する日食なつこ氏も「四十路」の中で歌っている。
「目も当てられぬ現状 ならば目を閉じて行くまでさ それで迷うようならそれまで」
「俺たちに 安定などない 俺たちに 保障などない 俺たちに道はない 草を分け 足跡をつけて 100年もすりゃ それもただ青い風になるだけ」

楽しんでいこう☆人生は冒険である☆








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