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天国の待合室

余命宣告をされている父に会うため、実家に帰った。

現在、実家には父と母の2人で暮らしている。
母は働いているが、父は仕事を辞め、一日中家にいた。

父の体調には浮き沈みがあり、体調が良い日に2人でツーリングに行った。私が、帰省した目的でもある。

私はふと、仕事を辞めてから家でなにをしているのか尋ねた。「なにもしてない。」と答えた。厳密にはできないという方が正しいのかもしれない。

実際私がいる期間も洗濯をしたり、掃除をしたりはするものの、ほとんどの時間をソファの上で過ごしていた。

父は続けてこうも言っていた。

「暇だからさ、自分の人生について考えちゃうんだよね。お前の父親だからとかじゃなくて、本当に1人の人間として満足する人生になったかなって。いろいろ考えたけどおれは満足したかも。仕事も校長になる前に体壊したけどやり切った。母親の死も見届けた。結婚もした。子供も頑張ってる。お前のおかげでバイクの行き先も決まりそうだしな!」

私は頷いた。うまく言葉が出なかった。
父はさらに続ける。

「ネットでさ、癌患者(親族も含む)のコミュニティみたいなのがあって。末期の父親をすごく辛い抗がん剤で2年延命した家族がいるんだって。でもさ、それって親族の自己満じゃねえかっておれは思う。本人の詳しいことは知らんけど。おれは、別にめちゃくちゃ無理して孫が見たいとかは思ってないよ。」

私は、父が伝えたかったことがなんとなく分かった気がした。"おれはこう生きたからこう生きろ"という説教でもなく"もう死んでも良いから、その時が来たら死なせてくれ"ということでもない。

私への信頼と父の優しさを確かに感じた。

死ぬタイミングがある程度わかっているというのは恐ろしいことだ。限られた時間でありながらも、膨大な時間に感じるだろう。

死神に肩を叩かれる日が近づく。
父は今日ソファでどんな退屈な日を過ごしたのだろうか。

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