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鬼卵・夢路

“頼もう   ” 店先から声をかける!
店は掛川城からほど近く、今では面影もないが、かつては掛川藩城下の一角にあたる場所だ。
“頼もう   ”
クニオは再度、店の奥に声をかける。 
 
店主
“どちら様でしょう ”
中年の目鼻立ちのすっきりした温容の顔立ちの店主奥から顔を出した。
店主
書画、軸をご所望で   ”
クニオ
“いや、こちらに鬼卵の書画があると聞き及んだので ……   ”

店主
“さようでございますか ……  ”

思案顔の店主 ……  少々、間をおいて
“ではどうぞこちらへ  ”と二階に案内される。
 

鬼卵とは日坂宿を終の住処とした栗杖亭鬼卵(りつじょうていきらん)と名乗る自由人にして戯作者・狂歌師・俳人のことだ。
鬼卵は文人墨客で身を立てたいというアニマルスピリット(衝動)に駆られて武士を辞し狂歌・画・和歌・俳諧にいそしみ、その半生を自分の道を探したずねて漂泊を友とした。
旅では、妻や養女が先逝くなどの不遇の暮らしに重苦しさを漂わせたと聞く。
 
店主
“このところ、鬼卵を尋ねていらっしゃるお客様が増えましてな  ”

案内された先に鬼卵作の漢画と俳画一対の水墨画の掛軸が掛けられており、先客が熱心に軸を観ている。
 
 

濃厚な少々暗めな彩色トーンのアクの強そうな人物表現の軸はいかにも漢画だなと思いつつ、隣の俳画一対の軸に目を移す。
 
“こちらの方が好まれるかもしれませんな”と店主が水墨画の軸を指さす。
俳人と思わしき人物の簡潔な表現は与謝蕪村風ともいえようか。
 


店主
“後姿の俳人は芭蕉だと推察しております”

クニオ
“芭蕉のような漂泊の旅にあこがれたいたのでしょうか”

芭蕉の姿(後姿)を追い求めたいと思い、旅路で生涯を終えようと思ったのか。
しかし、齢60歳に近くして日坂に隠棲することになる、そのわけを知りたくなった。
無言で軸を見つめるクニオ
 
店主
“こちらも逸品といえましょう”

と大ぶりの軸を持ち出し掛ける、椿椿山の着彩した山水画だ。
まだ暑さの残る晩夏の昼下がりだろうか、秋の七草が咲く景にたおやかな趣を感じさせる。
 さらに目を凝らすクニオ   
クニオ
“おやおや、昆虫も戯れていますね!  ”

 草花も昆虫も深く観察された様子で、命への慈しみが感じられる …… 目を凝らすほどに発見がある ……  品のよい作品だと思った。
店主
“そうでしょう、私どもの商いの醍醐味は、歴史に埋もれてしまった逸品を発見し、喜びを分かち合うことでございます”

芸術を通じて創造性や美しさ楽しむ=精神的栄養を分かちあいましょうと語る店主に、いよいよ何者だろうと関心を抱くクニオ。
 
 江戸時代は、参勤交代によって街道は整備され、それに伴い江戸や京の文化の伝播が始まり、諸国間も交流が盛んになる。
時を同じくして、文人と呼ばれ総じて在野の知識人が台頭し庶民的な絵画が興隆する。
諸国に伝播した文化の芽は、互いに刺激し合い華開いていった。
掛川は藩主太田公の学問や文化の奨励を受け、遠江における学芸文化の府となっていく、学問や書画においては文人墨客が集い切磋琢磨し、商いにおいては、義をもって利を追求した商人たちが切磋琢磨した。
 
店主
“松風の存在がおおきゅうございますな”

松風とは、自らも画人でありながら「遠州第一の好事家」と称され、裕福な財力で画人たちを側面から援助した風流人の大庭松風のことだ(* )

黒梅樹 出典:UAG美術研究所

店主
“鬼卵が日坂宿を終の住処と決めたのも、松風の招きかもしれませんな”
クニオ
“だとする愉快ですね!”

当時、すでに掛川は各地の文人墨客を受け入れる土壌が育ち、藩主、武家、町人を問わず学問や文化を面白がり、精神的栄養を分かち合う雰囲気があったのだろう。
クニオ
“鬼卵にはそんな気風が肌に合ったんでしょうか!“
店主
“松風ともども、面白がったかもしれませんな”

 
鬼卵や松風に思いをはせながらも店主は少々のいら立ちを隠せない様子。
先人が出会った学問や文化、それを面白がり、その瞬間の充実した人生を楽しむ、そんな気風、精神風土が埋もれてしまった状況にやるせない思いを抱いているようだ。
 
店主
“アニマルスピリット(衝動)を面白がる、闊達にして愉快な文人達、義をよりどころとした商人 ……  次の世代に伝えていかないといけません“

 
こういった文化遺産はただ放っておけば自然と残っていくわけではない、今、生きる人々の残す努力、伝える意思があって始めて、我々が精神的栄養を享受し豊かさが実感できるのだなと 店主の思いを聞きながら思った。
 
クニオ
“風月を愛で 人生を楽しむ …… か”
と鬼卵の言葉を思い出す。(*1)
 
 この文は『「きらん風月」:永井紗耶子著 (株)講談社』をヒントに構成しました。
永井氏はこの本を出版するにあたり鬼卵のような「型にはまらない人が、生きられる居場所が江戸時代にもあった」と述べています、そんな鬼卵が日坂を居場所とし終の住処と定めたわけを探りたいと思ったことが始まりです。
 
参考文献 
(*1)「きらん風月」 p306 永井紗耶子著 (株)講談社
・栗杖亭鬼卵の生涯  岸 得蔵
・東海道人物志・解題 「遠江」第7号・浜松史跡調査顕彰会編 神谷昌志
・黒梅図  出典:UAG美術研究所


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