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僕は留学に来ていたのか。

もうカナダ留学も、後37日に差し掛かった。
この自分にとって新しいことだらけだったこの10ヶ月間と次のインドネシアでまた新しい自分に出会うためにまとめておこうと思う。

10ヶ月間。

正確に言えばまだ9ヶ月だけどまあいいや。

threadっていう一部の人しか見てないんじゃないかっていうアプリで好き勝手書いているが、カナダの生活が段々留学!って感じじゃなくて、この日々が日常って最近思い始めた。だから段々日々を過ごしていく中で慣れたというより一部になったという感覚に近い。感覚の話なので言語化能力の低い自分では説明は無理だ。

自分の中でこの感覚は良くも悪くも自分に大きな影響を与えていることは明確にわかった。元々カナダの高校を卒業するつもりできた自分にとってこの感覚のまま3年間居続けることは1ヶ月過ごして違うなと思った。

この10ヶ月は家族や友達たちと物理的にもある種、精神的にも離れた期間だと思う。
これについては後でじっくり書こうと思う。

世界は大きすぎて見れない。

写真じゃ伝わらない迫力。(伝えれるような写真技術を得たい)

自分が10ヶ月間滞在したこのバンクーバーアイランドは人口が約75万人。そして自分の住んでいる静岡は約70万人だ。自分の居た地域と地元の規模感は大体同じ。

よく、留学に人や海外に行く人たちにいうセリフランキング上位の
「世界見てこいよ!」
自分がカナダに行く時も沢山の方々が言ってくれた。嬉しかったし、何かこう日本の代表になった気もした。

この素晴らしい言葉を送ってくれた方々への感謝と尊敬は何があっても変わらない。

今、自分の言いたいことをどうマイルドにしようか考え中なのだが思いつかない。
簡単に言うと、恐らく自分はこの10ヶ月でビクトリアというカナダのほんの一部のエリアしか見れていないということだ。いや、踏み込むとビクトリアのほんの一部しか見れっていない。

自分はこの10ヶ月ビクトリアだけのエリアでしかカナダを知れなかった。
一番伝えたいのは、
この世界で二番目に大きいカナダという国で自分は世界の大きさに直面した。
めちゃめちゃめちゃシンプルで当たり前なことだけど自分がこれからグローバルに活躍できるようになりたいと考えた時には、大切な価値観だと思う。

ホストファミリーとキャンプに行ってカナダの大自然を目の当たりにした時、それをめちゃ大きく感じた。
世界は広いってそんなん子供でも知っているけどカナダに来て日本には無い
The 大陸(住んでる所は島だけど。)を肌で体感できた。

そして、そこにロマンと欲望を感じた。
それなら死ぬまで沢山の国、場所に行って色んな人と関わってみたいというロマンもあるし、単純にとてつもなくすげぇ人になってみたいという欲がめちゃ出てきた。

孤独。

この本に助けて貰った。

大きく孤独感を感じるのは一年に一回周期で大きな波が迫ってくる。
その度に負けて、一旦沈むとこまで沈む。
この世界にいる全員に悩みがあると思う。それはある人から見たらちっぽけな悩みで、
ある人から見たら大きな悩みで、悩みを分かち合おうなんて無理。
その人にとってその悩みは一番大きいものだから。

でも人に吐き出してみるのはいいと思う。まあ自分は強がりだから無理だけど、その波で沈みきった時にたまに吐き出す。

カナダに来て大きく孤独を感じた。
言語の壁。人間関係。この二つが大きく自分の前に立ち塞がった。

なんか、日本人だから母国語は日本語で日本語にしか翻訳できない感情をどう英語を喋る人に伝えるか。まじ無理っしょってなることが結構あった。

人間関係って深いなって。学習したこの10ヶ月で。
これまでの人生よく考えると浅く広くだった気がして、深い友達がいたのかなって考えた日もこの留学期間で考えたこともあった。多分、家族や身近な人と物理的に離れてしまった部分が結構大きかったんだと思う。(自分の中の深いところでホームシックになってた多分笑)

ちょっと待てこの前noteで書いた時も経験したけど、これ病むな笑。

まぁ振り返りなのでこんな日があってもいいだろう。
その考えてた時期も含め今でも本当に自分は人に恵まれてるなって思う。
人生の先輩もすっげぇ尊敬する同世代も後輩も色んな人の言葉がいいスパイスになって、あのでっけえ波を今年は乗り越えれた。

来年は溺れないように頑張る。いや溺れても誰か助けてね。

英語むず。

セメスター2ではバチバチのアカデミック授業になった。
社会は歴史が主なので余裕って感じ、最近はなぜか大東亜共栄圏のプレゼンを作っている。英語の授業はやばい、最初の方グダグダすぎて成績がまずい。先生に媚び売んなきゃまずい。数学は前も言ったが余裕。前のクラスのメンバーと一緒なので、あとユニットは1つで終わるので安心。理科は先生が案外優しくて成績を取るためのアドバイスをしてくれるのであんま困ってない。難しいけど。

日常会話や普段の会話で困ることはもうないけど、授業になると集中して聞かないと意味わからん。

そういえば決意したんだけど、今年の12月までに英語とインドネシア語を習得する。後、半年の中でこの二つを並行して勉強する。英語はもちろんこの留学で勉強したけど、まだ授業意味わからんとこあるしインドネシア語も初めて1ヶ月。

今後の自分で道を定めていく中で、もっと高度な英語とインドネシア語は需要になってくるので、引き続き勉強していきたいと思う。

差別。

帰国3日前に知らないおじさんに「Fuckin’ boy」て言われました。何もしてないよ。

まず、今から書くことはカナダで生活してる人達の中のほんの一部もいないということを理解して頂きたい。カナダに来た実感としては、思ったよりも差別は無いということ。そんな中でも日々の生活で本当にたまに差別的発言を言われることがある。

学校内でも最初の頃あって手で目を細くする代表的なアジア人差別の例を目の前でやられた時は流石に笑いそうになった。ほんとにあるんだ的な笑。
後は嫌味っぽく「Asian」って言われたこともあった。そーゆー時はイラッとするけど、ちゃんとI’m Japaneseって言っとく。

後は、バスの中とかもたまにホームレスの方とかに言われたことは一回ぐらいで、本当にメンタルに来るってほどではない。

てか、カナダ人基本的にちょー優しい。

番外編って言ったら変だけど、数学の授業の時に隣の子にインスタのリール見せられて
Hiroshima!! Nagasaki!!って言われた時は流石に引いた。

変化。

この10か月、沢山の変化が自分の中に起きた。
変化というより、沢山のことを試した。自分はもともと飽き性で継続ができない人間だった。野球を小4から中3までやっていたけど、まともに練習したことはない。スイッチ入ってめちゃやることはあったけど、毎日努力ってのが出来なかった。勉強もそう、ほぼ家でも勉強はしなかった。
正直そんな自分が嫌だったってこともあって色んなことを試した。中には全然続かなかったのもあれば、今も続いていることもある。インドネシア語日記は日々の生活の一部になりつつある。そして、定期的に紙のノートに自分の目標や夢、自分の考えを書きまくるってのは今でも続いている。

色んなことを試した結果、自分が続けられることと続けられないことがはっきりした。カナダの学校が日本と比べてゆるくて時間ができたってのもあると思う。

自分の中で一番大きかった変化は、日本にいた時の自分を客観視できた事だと思う。
15年間、日本で生きてきた自分の中で初めての知らない地での長期滞在だった。
カナダに行く前までの自分は、精神的にギリギリだったと思う。自分自身にネガティブな感情が増えていた。そんな感情の中カナダに行って、知らない人しかいない中で、
色々な面がリセットされた感覚があった。距離と時間が空くことによって分かったり、自分の中で間違えていたなと学ぶことが多くあった。

もし精神的、肉体的にキツキツなら場所と時間から一瞬でもいいから距離を取ってみるのも良いかもしれない。

いろんな場面で自分は客観視という言葉を使うのだが、この10ヶ月でその視点を持てるようになった。今までの自分なら自分の主観が先走っている自分がいたが、今の自分の環境、友達、親いろんな視点を考えることも大切なんだなと学んだ、(たまにオーバーシンキングで病みそうになるけど笑)

変化し続けたい。芯は変えずに。

感謝。

読まないでね。

こんな色んなことを経験させて貰えて、感謝してない奴がいたら是非ともお話をしたい
ところだが、僕には沢山の人、きっかけに感謝をしている。

今まで自分は自分のやりたいことは、全部やらせて貰えた。
カナダに行くことも、インドネシアに留学することも。なんでも。きっかけをくれた先生にも実現させてくれた親にも全ての関わってくれた人に感謝している。

自分にはアニメの主人公のようなバックグラウンドなんてないし、やりたいことは全部やらせて貰えた人間だ。となんて贅沢な悩みを持っていた。

でもそんな悩みは自分を支えてくれる人たちに失礼な悩みだと思っている。

自分の成功と感謝の意思表示は、親や関わってくれる人に何かを返すことではない。
自分の成功と感謝の意思表示は、自分を踏み台にしてもらって誰か夢を持った人や色んな人たちが花を咲かせれるようなチャンスと場所を作ることだ。

それが、自分の成功の形であり、感謝の恩でもあり、やりたいことだ。
って10ヶ月で思った。

僕は留学に来ていたのか。

ごめん。

(前回同様ちょっと強めなタイトルで、少しでも見てくれる人が増えたらいいなという下心を30%含んでおります)まぁまぁ前回のタイトルはイジられた笑。


前回のnoteで書いたときの自分には言語化できる芯がなかった。(あったけどなんか違った)何のために学んで、何のために海外を見ているのか。ただただ、やりたいことをやっているだけじゃないのか
なんて思う日もあったが、あのnoteを書いてから約半年。

言語化できたと思う。(俺そーゆーのすぐ忘れるからこれから毎日歯磨きしている時に
声に出して言おうと思う)

もう上で書いちゃったけど、夢を持った人や目標のある人達が花を咲かせれるようなチャンスと場所を作れるような人になりたい。

案外シンプル?曖昧だ。って思った人もいただろううが、カナダの後半1ヶ月で出た結論だ。自分は縛られたくない人間だから、絶対にこうなる!とかこーゆー職業をする!
などの具体的な答えを出すことは嫌だ。だからある程度、余白を残したシンプルかつ自分の思う一番大切な自分の基盤が明確になった。(逃げなんて思うな!)

なんか自分の将来をよく妄想するんですけど、プレイヤーにはなれないなって日々日々この結論に達する。

まぁとにかく自分の芯が言語化できてよかった。

その芯を明確にして今までの行動を振り返ってみるとこれミスってんなって思うことがめちゃあってリアルにシャワー浴びてる時考える。芯を持って行動していく。

前回から
前回のnoteから明確だった自分の課題はまだフルになってないと思う。周りの人たちとの知識などのギャップはまだ感じる。そんな中まだ自分は荒削りな部分が多い。つくづく勉強しなきゃって思う。前回のnoteの最後に「時間を得に来たんだ!」とまぁまた尖ったことを書いていたんだけど、このカナダ生活を終え、あれ結構これ的を得てね?って思った。

もしこの10ヶ月日本にいたら考えるだけでゾッとする。
テストに追われ、友達とハメ外して、生徒指導くらって、毎日短時間睡眠。これは確実だったろう。そう考えるとテストに追われず、ある程度余裕のある日々に自分の学びたいことを、思う存分学べる環境だったと思う。

正直これは逃げだと思う。
でも、結論自分の成長に繋がった、とても。

結論はなんぞや
こんな尖ったタイトルにしてるなら結論だせって思うだろうが、結論はまだ分からない!多分、いつか分かるんじゃないかな笑。

まぁカナダに来る前の自分の思っていた留学とは良い意味で違う形になった。
という意味では留学に来なかったってことかな多分。

これから。

これはインドネシアの写真です。

カナダでの生活を終え、自分は次にインドネシアの高校へ通う。
2年前の自分にこれを伝えたら、ドン引くだろうがまぁ自分のこれからにとって大きなポイントになるだろう。カナダに来る直前に知り合いの先生に誘われて、インドネシアの教育ツアーに参加した。それがとんでもなく自分の中にインパクトを残して、自分はカナダに飛び立った。

カナダでもインドネシアのことを勉強したり、主に東南アジアのことを多く勉強したのだが、それも相まってインドネシア、東南アジアにめちゃ興味を持った。そして、インドネシアの高校に行きたいという思いが強くなっていった。

でも、実際インドネシアの大学への留学は知っているが、高校生での留学は聞いたことがない。しかし、前回教育ツアーで行った高校の一つに協力してくれた方のおかげで、
行けることになった。

その高校には聴講生という形で参加し、成績は貰わない。どこで学位を取るかというとN高で取ろうと思っている。カナダで取得した成績をN高に反映して高校2年生で編入する。いつまで高校生やるんだっていう疑問は残るが、日本の高校、カナダの高校、インドネシアの高校、ネットの高校の四つのタイプの高校に通うのは日本でも珍しいと思う。この経験をこれからの自分にどう繋げるかが一番の肝。

インドネシアでの生活はカナダでの生活と大きくスタイルは変わるだろうが、そのスタイルに慣れるまで頑張ろうと思う。

まぁとにかく10代である間は挑戦して失敗して学んで色んな人と関わっていきたいなと思った。人と関わって、関わって、意見交換して、知らない事知って成長したい。
(10代であるうちじゃ無くて死ぬまでそんな気がする。そうでありたい)

あ、あとインドネシアで自分がガイドできるぐらいになっとくので、
いつでも言ってくだせぇ。

そんな感じで、インドネシアでも感じたこととか、学んだことをnoteにまとめたいなって思っているので、その日まで。

帰国2日前に書き終わった。

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