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カンボジア高校生一人旅

えーと言い訳をさせていただくといま高校留学でカナダにいて今、約二週間経ちました。その生活に慣れるために、と言う言い訳で書くのサボってました。まあ正直、カンボジアの話は中途半端な気持ちで書いたらいけないなと考えていたので今、慣れてきたタイミングでまとめさせてもらいます。まあ正直100%慣れてはいないのですがそろそろアクションを起こさないといけないと感じたのでここで、ここで振り返ろうと思います。一言で言うと、今まで行った国で、1番自分に影響を与え、可能性のある国だなと感じました。

カンボジアに行った経緯

なぜ行ったのか、正直大きな理由はないです。普通にこの15年間学校に通ってきてあまりカンボジアについて理解のなかった自分がいて、何も知らなかった。強いて言うなら地雷がある事ぐらい、そんな未知の世界を自分は知りたかった感じたかった。
そこで行くことにしました。まあ一人旅史上1番過酷で楽しい旅になることはこんときは知らなかったっす。

カンボジアに到着

まず、エスカレータが動かなくて面白かったのから始まりました。そして事前にビザ取ってなかったのでアライバルビザを取る時に、めちゃパスポート投げられて怖かったです。宿に着くまで緊迫した雰囲気が続きました。そして宿につきご飯屋を探そうとしてロビーの人に聞くと、スマホをいじりながら歩かない(バイクに乗った人に取られる)1人は危ないから近場にしろって言われました。近場とかわからんし、お腹すいたから前にあったドミノピザに行きました笑笑結局。外は正直タイと比べ得て雰囲気が少し重い感じ(語彙力ありません)なのでまだ緊張感が続きました。

なんか好きな写真。

カンボジア2日目

2日目は、トゥールスレン虐殺博物館に行きました。正直カンボジアの歴史については0に等しいぐらい知りませんでした。1日目の寝る前にカンボジア大虐殺、強制労働、クメールルージュ、原始共産主義、ポル・ポト、については予習をしていました。
宿から近かったので歩いて行くことに、交通量が多く相変わらずトゥクトゥクタクシーの勧誘が多くてめんどくさかったです。気候は暑いけど日本よりは快適でカンボジア独特の景色、雰囲気を堪能しながら向かいました。到着するとヨーロッパ系の観光客が多くいました。まずカンボジア大虐殺の説明をすると、1975年から1979年に推し進められ極端な共産主義の思想を持ったポル・ポト率いるクメールルージュがカンボジアを支配し、革命に知識は必要ないと言う考え方で、国民を農業などの原始的な仕事をさせ経済力の格差を無くそうとしました。首都プノンペンの人々を騙し(アメリカの爆撃が来るといった)田舎の農村へ追いやりました。その中で全員の身元をチェックし、その中で政府の役人や、教師、革命に不必要と判断された人は殺されたり強制収容されました。その一つがトゥールスレンです。トゥールスレンは収容所になる前までは、高校として地元の学生たちに利用されていました。革命が始まりクメールルージュの手によってそこは強制収容所となりました。復讐や反乱などを防ぐためポル・ポトはその捕らえた知識人などの親族までも収容し、殺しました。トゥールスレンには合計約2万人が収容され生存者はたったの12人だったそうです。

トゥールスレン虐殺博物館



実際に行ってみて感じたことは、その場の雰囲気、残されている物の醸し出す空気がとても重く、当時の悲惨さを表していました。実際に建物の中に入ると当時の拷問器具や、独居房、被害者の血、など普段見れないような刺激的な物でした。自分は昔から歴史や文化などは興味がありました。しかし実際にその施設などには行ったことがあまりなかったので、歴史や人々の思いなど肌で感じることができました。しかし、当時の人々の感情や痛みを本当の意味で理解することはできません。ただ、自分はこの事実についてもっと勉強し、理解することでより被害者の思いを感じることのできると思います。ポル•ポト自身は国を発展させるため、実際に彼は農民に混じって質素な生活をしている事実があり、そう考えると偏った思想は結果的に自分の理想とはかけ離れた犠牲につながるんだなと思いました。カンボジアの歴史について、理解している部分もありますがまだ充分ではないので、もっと勉強してまたノートにまとめたいと思います。

カンボジア一人旅2日目

2日目は正直疲れていたのでどこも出たくなかったのですが、外を探検していると案の定トゥクトゥクのおじさんにいろんなとこ連れてってやるよと、言われたので半信半疑ながらも連れてってもらいました。プノンペンにある沢山の観光地に行きました。案外英語通じたので、いろいろお話しながら、巡りました。正直お金がなかったので値段交渉を頑張ってしました。カンボジアの風景を見ながらトゥクトゥクに乗りながら、写真をいっぱい取りました。中には二つの大きな橋があり、これはそれぞれ日本と中国が作ってくれた橋だと教えてくれました。カンボジアと日本の交友関係を実感できた瞬間でした。カンボジアの文化、宗教を感じ、一日が終わりました。ここで今回の旅一番の事件が起きます笑。手持ちの現金がなくカードからお金をおろすためATMに寄ってもらい、宿まで送ってもらい約束の金額を渡そうとするとATM寄ったからもっと金くれと言われ交渉をしていると財布にあった日本円まで取って帰ってしまたのです。このお金は日本についてからの交通費でもうカードの中身もほとんどなく、夕飯はカードのすべての金額を使いパスタを食べて、カードのお金はすべて無くなりました。

独立の塔

帰国日

そして翌日、帰国日だったのでロビーでチェックアウトをするときおどきの事実が、自分は宿についたとき、あまりの空腹で置いてあったナッツとコーラを欲望のまま何も考えず食べてしまったのです。その支払いをして下さいと言われ残りのお金を使い払いました。お金が完全になくなり、バスも来ず、完全に詰み状態でロビーに座っていると、ある旅人が話しかけてきました「I'm going to the airport now, you wanna go?」と話しかけられ一瞬何が起こってっるのかわからずYesと答えると彼が用意したタクシーで一緒に空港に行けることに‼向かう途中には沢山のお話ができ、第二次世界大戦やカンボジアの歴史、などいろいろなことを話せました。本当に救ってくださった
ジェイコブには本当に感謝しています。空港に到着し、バンコクを経由をして帰ります。バンコク到着後経由だったので空港内をさまよっているとタイの空港の職員のひとが話しかけてくれてなんか仲良くなってインスタ交換しました未だになぜなのか分からなかったけどよかったです。無事日本行きの飛行機に乗ることができ、帰国できました。

羽田について、財布を見ると品川駅までのお金はあったのでとりあえず品川駅について駅の隅っこに座っていてその様子をストーリーを上げたら友達がたまたま駅にいて出会えてペイペイと一万円を交換してもらって無事に家に帰ることができました。品川駅での救世主であり友達の眼鏡君ありがとう!

この旅を振り返って

このカンボジア一人旅を振り返ってみると大きな学びと経験、人のやさしさに触れることができました。特に歴史、カンボジアの歴史はこれからきちんと勉強していきたいなと思いました。そしてプノンペンを見て感じたことは若者が圧倒的に多いこと。これは歴史を見ればすぐにわかります、クメールルージュ政権下で行われた大虐殺、拷問により当時の人口の四分の一が犠牲となりました。カンボジアの人口ピラミッドを見ると一目瞭然。

カンボジア人口資料1
日本人口資料2

日本の人口ピラミッドとほぼ真逆、日本は少子高齢化が進み若者が高齢者に比べ少ない。一方カンボジアでは若者の数が圧倒的に高齢者の数より多いです。総合的な人口は日本のほうが全然多いのですが、比率的にはカンボジアの若者比率が高いです。若者が多い国れはカンボジア。それは、これから少子高齢化社会になる日本が目を向けるべき国なのです。
この旅を通して自分がこれからするべき活動、したい活動が明確になってきたと思います。その意味でも今回の旅はとてもいい旅になりました。

次回はとてもいい経験になったインドネシア教育ツアーのことをまとめます。


上:カンボジア人口資料1
下:日本人口資料2

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