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人格破綻寸前の母②

小学校低学年期(毒親度40%)

この頃から母はさらに怒りっぽくなっていった

祖母との軋轢は勿論続いていたが、他の家庭の父母(保護者)たちと交流を重ねていく内に、多くの違和感や疎外感に苛まれていったと言う

どうにも母自身が他地域から嫁いできたという事による偏見の眼差しや

祖父母が地元小学校の元ベテラン教師だったと言うことで、家族自体が地域の中で良くも悪くも目立っていた事が原因だったらしく

「よそ者扱いされている」

「『あの家だ』ってわかった瞬間相手の反応が変わる」


と、度々、当時小学生1・2年生の俺の前で愚痴をこぼしていた

加えてこの頃は、長妹の出産・育児もあり、これまた母の余裕を失わせていた

妹に授乳をしているときの母は「私を見るこの子の目が怖い」「噛むな! なんなのこの子!」などの文句を言い、赤ん坊に対して怒気を放っていた

妹が母の乳を噛むことに関してはそのしばらく後に

「母乳の出が悪いから噛むんじゃないかな」
と、母なりに分析したようだったが

「それでも市販のミルクよりは栄養があるし…」
と、無理をして母乳を与えては噛まれ、その度に恨めしそうな目で妹を睨んでいた

自ら悪手を選んだくせに、うまく行かないと周囲に不満をアピールする……現在でも日常でよく見るあの人の行動パターンだ

忌まわしいことに、抑えているつもりではあるのだが俺もたまにやってしまうように思う


この頃の母は、俺に対しても刺のある発言・振る舞いをすることが増えてきた

子供特有の言葉の間違い程度の事で『怒られた』のだ 『諭す』のではなく『怒る』のだ

怒りの入った口調で俺の間違いを叩いて、正論をぶつけては罵る

と言うことがこの頃から増えてきた

この当時の自分の中での母の認識は『時々やさしいけど怒ってばかりのお母さん』になってきていた

余談ではあるが、小2の頃の国語の授業で、ある作品の一部分を皆の前で音読させれた時の事だった

夢の世界から現実に戻ってきた子供と、それを知らない母親が晩御飯の支度が出来たと呼びに来る場面で

少し様子がおかしい子供を心配しながらも居間に出てくるように促す母親の台詞を音読したとき、先生が

「(俺の名前)くん? なんでそんなに怒ってるの?」と訊いてきた

俺「え? 怒ってません」
先生「いまお母さんのセリフのとこすごく怒った声で読んでたけど?」
「お母さんってこうなんじゃないですか?」
とやりとりしたのを覚えているし、休み時間にクラスメートからも「〇〇くんのお母さんのセリフこわかったよww」「なんで怖くしたの?」
と女子から突っ込みを食らった事まで覚えている

当時の自分にはその文章が
『親の知らないところで子供がなにか悪さをしているのではないかと疑いの目を向けて尋問している様子』
に見えたからそのように読んだだけだった

母親=常に子供を警戒している存在である

という認識を確実にしていた

授業参観があれば家に帰ってから毎回ケチをつけられ、当時習っていたスポ少の帰りにもその日の俺の動きに至らない点があれば文句を言われていたのだからこうなるのも頷ける


だがこの頃も、穏やかなときは本当に穏やかな母親であったので

「自分がいい子にしていないからお母さんは怒るんだ、いい子にしていれば穏やかなお母さんでいてくれるんだ」

という考えのもと日々を過ごしていた

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