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お金が無さ過ぎてゲームを借りまくっていた未成年時代

前の記事で、俺が友達との話題についていけなくなった話をした

テレビのチャンネル権も、小遣いも碌々与えられなかったお陰で拾える情報が限られていたと言うのと

クラスの男子がみんなで話題にして盛り上がっているゲームの話題に混ざりたかった欲求が爆発して、ついに親に内緒でゲームソフトを借りるようになってしまった

初めて借りたゲームソフトは『星のカービィ・スーパーデラックス』

剣道仲間でクラスメイトの当時仲が良かった友達から借りたのだ

3ヶ月と言う期限付きで借りていたのだが、当時幼稚園児だった妹を通してバレてしまった

2人プレイが出来るゲームだったので一緒にやらせるかわりに口止めはしていたのだが、幼児の欲望を甘く見ていた

親が居る目の前で「カービィやらせて!」と騒がれてしまい、父から大目玉を食らった

(キャラクターデザイン的に女子にも人気がある事を考えれば無理もない要求だった)

父から「帰ってきたらゲンコツだ」と捨て台詞を吐かれて仕事に行かれ、結局殴られはしなかったものの

父が帰ってきたら殴られるという恐怖心に満たされ、その日1日は生きた心地がしなかった

その場で殴られるよりもタチが悪い、まるでヒッチコックの『10分後の爆弾』手法のようだ

だが、これで懲りた筈もなく

カービィを返却したら次は隠れて遊びやすいゲームボーイソフトを借りるようになっていた

ゲームボーイ自体持っていなかったので本体も借りて遊んだのだ

本体は先述の友達、ソフトは別の友達から借りたのだがこのときが酷かった

期限を終えてソフトを返却するタイミングでトラブルが起きた

学校でしか会えない友達だったので受け渡しはそこ以外で出来ないのだが、

先生に見つかったときのリスクを考えると貸してくれと頼んだ俺の方が、万一のときに責めを負うべきだと話し合いの末決まり、下校の時に渡す事にしていたのだ

下校までの隠し場所に選んだのはジャンパーのポケットの中で、廊下の荷物置き場にぶら下げていた

教室の中、ランドセルや引き出しの中は他の生徒に荷物を覗き込まれる心配があったせいだった

そして放課後、いざ返そうとポケットのなかに手を突っ込むとなにも無くなっていた

誰かに盗まれたのだ

貸してくれた友達には素直に謝り、弁償すると伝えた

問題は家族にどう説明するかだった

怒られるのは間違いないが同じ罪状の前科つきなので死ぬような目に遭わされるのではないかと怖じ気づき、両親、そして祖父母にも話したくなかった

そこで思い当たったのが、当時まで毎年のようにプレゼントを買って帰省してきていた叔父に相談することにした

おねだりする毎に「金がない」だとか何だとか難癖つけて買わない両親よりは話を聞いてくれるだろうと思って決断した

電話機の横には親戚の連絡先が書かれた張り紙があったのでそこから叔父の番号を見つけ、家族の目を盗んで電話した

相談の結果、叔父は承諾してくれて、ゲームソフトを購入してくれたが

購入したゲームソフトが宅配便で家に届けられてしまったためにバレてしまった

叔父と電話でどこまで相談していたのか、それはもう忘れてしまったが
叔父なりに「弁償するなら早い方が良いから宅急便で送ろう」と思ったのだろう、そして俺は「じゃあなんとかやるから送って」と根拠も策もなく受け答えたのかもしれない

バレた日の夜は家族全員で大騒ぎ
根掘り葉掘り事の顛末を聞き出され
祖母からは「一家の恥だ」と罵られ
父からは「何回同じ事する気だ」と呆れられ
母からは「そんなにお母さんのことが信じられないなら叔父に養ってもらえ!」
と罵倒された

そこから一週間以上、両親は口を聞いてはくれなかった

口を聞いてくれない間のとある夜

祖父と母が茶の間で会話してる声を聞いた
襖越しと、少し離れた階段の中ほどの距離があり断片的にしか聞こえてこなかったが

祖父は「虚無槽は大人の前で良い子にしていたいだけなんだよ」と母を窘めている様子だった

それに対して母は「そんな都合のいい良い子じゃダメでしょう」と怒り混じりで返していたが

祖父に「あんたは虚無槽に対して厳しすぎだ」と指摘されると

「私たちのやり方に口出ししてほしくない!」とさらにご機嫌を損ねさせていた

母の大声に圧されて寝室へと引っ込んだが、祖父の「大人の前で良い子にしていたいだけなんだよ」の言葉に対して小声で

「そう、そうなんだよ」と誰にも聞こえないように呟いたのを覚えている


家族バレした次の日、叔父から送ってもらったゲームソフトは友達に弁償として渡した

ゲームソフトの貸し借りは、事前に両親に相談すれば良いと言うことにはなった、が、しかし

貸し借りの良し悪しの基準がどうにもまちまちだったので、結局その時々によっては無断で借りることになっていた

今思えば、その基準は『母が仲良く出来る他の家庭の親』にあったのだと思う

同級生で同じ剣道教室にも通っている転校生の友達の家から借りたいと相談すれば渋い顔をしながらでも承諾していたが

それ以外の家庭はほとんど駄目だった

金銭が絡むトラブルに繋がるから避けたいという事は大人になった今だからこそわかるが

幼馴染みと遊べなくなった件に次いでここでも親の都合で子供同士の関係を制限されていたような気がしてならない

結局、どうせ隠すのだから話しやすい友達であればもう誰からでも良いと判断して、親に隠れてゲームソフトを借りるこの生活は大学を卒業するまで続いた


ちなみに月々の小遣いは

小3~小6時代は500円
(ノート・鉛筆など学生生活を送る上での消耗品の代金もここから出せとの事)

中1~中3時代は1500円
(上記消耗品に加え、剣道部の月1での遠征のための交通費、電車往復400円前後と飲食費もここから負担)

高1~高2時代は5000円
(文房具類はもちろん学校での毎日の食事代もここから負担)

世間一般では子供にとって心強い臨時収入のお年玉も、まだ家族の親戚付き合いの広かった小学生時代は祖母・母に徴収され、中学生時代以降はそもそもお年玉をくれるような親戚との付き合いがほぼ無くなった

高校時代は、最初の頃は母が弁当を持たせてくれていたが
自身の仕事や、この時期に不登校気味になっていた妹への対応などで次第に弁当が毎日同じものになっていったり作らなくなったりしていった

実際、食事時に良く会話していた前の席の友達からも「お前今日もそれかよ」「弁当の中身変わらねえな」と毎日のようにイジられたりもした

おにぎりを持たせてくれた時もあったが、育ち盛りと重なり物足りず

また、同じ弁当ばかりで飽きてきた時は学校の売店で売っているものに手を出し始めていた

100円のフライドポテトと200円の唐揚げが主なちょい足し食品だったが

弁当がない日は100円のぶっかけうどんに上記のちょい足しを行っていた

そうして月々の小遣いはほぼ全てが登校中の食費となって消えて行った

ある時、母から「最近お弁当作れてないけどあんたお昼ごはんはどうしてるの?」
の訊かれたので素直に上記の通り説明したところ

「そんなんじゃ栄養片寄るしお腹も一杯にならないでしょ! ちゃんとした弁当を買いなさい!」と返された

母が言うような【ちゃんとした弁当】を売っている売店もあったが単価は400~500円 だったので高いから買いたくないと伝えたところ

「お母さんが通ってた頃は300円で買えたんだからそんなに高くなってるハズがない!!」

と滅茶苦茶な返しをされた

確かに俺が通っていた高校は母の母校でもあったがそれはもう20年近くも前の話である

時代が違うので当然物価も違うのだからそんな話で突っ跳ねられるのは筋違いである

高度経済成長期やバブル経済期とバブル崩壊後の物価の差を舐めてるとしか言いようがない

どうにも母のこうした感覚は昔も今も変わっておらず
俺や妹が幼かった頃に「〇〇がほしい」「〇〇たべたい!」とねだっても

「昔はもっと安かった、今は高いから買わない、昔くらいの値段に下がったら買っても良い」

と言っては買い渋ってばかりいた

2023年、現在でも物価が立て続けに値上がりしているなか、100円回転寿司屋で値上げをしたと聞いては「もう食えるものが無いじゃない」と吐き捨てていた


大学へと進学し、毎月2万円を貰うようになってからやっと、自分で自由に小遣いを使えている感覚を味わった

ちなみに高校の頃、小遣い欲しさに年末年始の郵便配達のアルバイトに応募して稼いだことがあったが

自分で稼いだお金で自分の好きなものを買おうものなら

「またそんなことに使って……」

と母親にいちいちボヤかれた

  知るかボケ
 上納でもさせる気でいたのか?

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