見出し画像

日本の「キシャクラブ」という病理 その②/③

前回に引き続き、2回目をお送りします。

前回申し上げた通り、今回の記事ではいくつかあるキシャクラブの弊害の中で「排他性」に焦点を当てます。そしてまずは弊害を実例を挙げて紹介します。次に、なぜ、そのような弊害が起こるのか、その原因、さらに「排他性」から派生するさらに深刻な諸問題・・・の順で一緒に考察していきましょう。

予め断っておきますと、今回の記事を読んでも学ぶ楽しさとかいった類の爽快感や満足感、幸福感は全く得られないでしょう。かといってスリル満点、、、とかいう訳でもない。ホラーでもない。読んだとて体内に何等の快楽物質も発生しません。キシャクラブの存在ゆえに生じた日本の報道現場に広がる死屍累々たる弊害の山を前に、湧き上がるのは疲労感と絶望感、同じ日本人としての情けなさのみ(情けなさ通り越して笑うしかない・・・そんな境地に到達できるかもです。。。)。

だからみんな! 以下、自己責任でくれぐれも閲覧注意、、、だっちゃ♪

1.「排他性」の具体例

排他性の実例含め、今回の内容は、前回も紹介したフリージャーナリストの上杉隆氏の「記者クラブ崩壊」(小学館新書) (以下、「上杉前掲書①」)や、別書である「新聞・テレビはなぜ平気で『ウソ』をつくのか」(PHP出版)(以下、「上杉前掲書②」)で詳しいです。著書の中で紹介されている具体例を紹介しましょう。キシャクラブは、一体どんな理不尽なケンカ殺法を駆使して世界のジャーナリストを叩きのめし、排除してきたのでしょう。長くなるのを避けるため上杉氏の説明の私なりの要約につとめ、著書での該当箇所を付記する形で進めます。

ア)武勇伝(其之一)問答無用 NYタイムズの首相へのインタビュー申し込みに横槍、握りつぶす

前世紀末期の小渕首相時代、当時のNYタイムズの東京支局長:ニコラス・クリフトフ氏は、当時「君が代・日の丸法案」を国会に提出しようとしていた小渕首相への単独インタビューを検討。当時NYタイムズの記者だった上杉氏はNYタイムズ就職前の議員秘書時代のつてを使って取材を申し入れ、小渕首相の事務所はこれを了承。

早速インタビューの日程フィックスに移行しようとしたところ、立ちふさがったのが内閣記者会という名称の官邸記者クラブ。

小渕首相の事務所側から、念のため内閣記者会への告知を求められ、これを受けて上杉氏は単に「首相動静用の日程連絡」というつもりで連絡。すると、内閣記者会からは「単独インタビューは認められない。先に内閣記者会への加入を申請してくれ」旨返答。加盟全会員の了承を得なければならない加入申請は事実上不可能であり、トライするとしても膨大な手間と時間が必要。対策を苦慮しているうちに小渕首相が急死。

この事態に当時のNYタイムズ東京支局長は怒りを通り越して唖然。なぜなら・・・

首相自身がインタビューを断ったなら記事にできるが、キシャクラブが阻止したという事実は記事にできない。理由は、公的機関でもない一介の民間メディア団体が公的要人との会見、インタビューの許認可を私しているような国は洋の東西を問わず、現代において極東の島国以外他にはない。この日本のキシャクラブの際立った「ユニーク」性ゆえに事実を報じたとしても米国の読者には何のことを言っているのか伝わらず、仮に理解してもらったとしても、「そんなことありえない」と容易に信用してもらえない。(上杉前掲書①P54~55、下記文春記事における上杉氏インタビューより)

イ)武勇伝(其之二)唯我独尊 共同記者会見での外国人ジャーナリストの質問挙手を完全黙殺

09年7月、衆議院を解散した後の麻生首相の記者会見にも世界の注目が集まった。そこで、英インディペンデント紙の東京特派員のデビッド・マックニール氏は、官邸に会見への参加を申請。しかし、ここで敢然と立ちふさがったのは、またもや内閣記者会。出席は認めるが質問は一切お断り、オブザーバー扱いでの参加のみを容認。

「私は抗議の意思表明として30分間の記者会見の間、ずっと挙手し続けましたが結局一度も指名されず、記者クラブの記者からも無視され続けました」とはマックニール氏の弁(上杉前掲書①P52)。

ウ)「排他性」の結果

上記は上杉氏のご著書などで紹介されるキシャクラブによる排他性の事例の中のほんの一部に過ぎません。ご興味があれば、上杉氏のご著書を参照されたし。

ともあれ完全攘夷達成!!国内では無敵のキシャクラブに鎧袖一触叩きのめされた海外メディア勢は、這這の体で日本支局の撤退・縮小に向かって敗走するのみでした。

NYタイムズの東京支局にはかつては10人以上の記者が在籍していたそうですが上杉氏前掲書発行の2010年時点で6人へ減少。さらに以前の記事で述べたように、アジアのデジタルニュースの拠点は2021年香港から東京ではなくソウルに移りました。ワシントン・ポストは東京支局の機能を支局長の自宅に集約。ロサンゼルス・タイムズに至っては日本から完全撤退。(上杉前掲書①P57)。

めでたしめでたし。。。おしまい。。。

そりゃまぁ・・・そういうふうにしかならないでしょう。こんな場所でこんな奴らを相手にしてても埒が開かない、という話です。

しかし、

さらに、あろうことか・・・お隣中国共産党機関紙「人民日報」までもが、上記のような状況を概観しつつ、日本の報道の閉鎖性を批判する記事を掲載(上杉前掲書①P76~P78)。確かに報道の自由、プレスの独立以外の総合的な表現の自由の保障度合いという意味では日本が上なのでしょう。が、公的機関への外国人ジャーナリストのアクセスのし易さという点においては、こんな外部から見れば意味不明な団体が存在せずに役所など報道に関するアクセスという点では日本よりも中国が上、ということです。中国の方が少なくとも不平等ではないかと。平等に国内外プレスは公的記者会見にアクセス・質問できるし、言論規制、弾圧もまた報道機関が国内外どちらでも平等。

シャレにもならない。。。日本人として悔しくありませんか?皆さん。

2.「排他性」の根源(病的な「特オチ」恐怖症)

かかる重大な課題をいかに解決するか。何を考えるうえでも、その原因究明・特定は大事。

このようなキシャクラブの存在は、官庁や公的機関というよりもメディア側の必要性に端を発しています。

メディアとして一番恐るべき事態。それは,
他社に「特ダネ」「スクープ」を先んじられる(俗に「抜く」「抜かれる」というやつですね。)こと、、、ではないそうです。

そういう積極的な競争に敗れることではなく、他社がみんな報道しているのに自社のみが報道できていない・・・という消極的競争からの落伍。この状態を「特オチ」というのだそうですが、彼らはこの「特オチ」を極端に恐れ忌み嫌う性質があります。

この感覚・性質それ自体が、そもそもジャーナリストの世界標準でおかしいのですが、その点は、そもそもの報道機関の区分け種類としての「ジャーナリスト」と「ワイヤーサービス」の説明として次の最終回に譲ります。

とにかく、「特オチ」を恐れ、そのような最悪の事態を避けるべく、彼らは公的機関ごとに共同の取材拠点としてのキシャクラブを設置。記者会見などをその取材拠点の主催に一元化します。なぜなら、そうすれば、少なくともそのキシャクラブの会員の間では情報入手のタイミングが横並びになり、キシャクラブの頭越しに情報が外に出ないので、「特オチ」が避けられる絶対的な安全・安心装置として働くからです(上杉前掲書①P32)。

また、このようなキシャクラブの存在を通じて、公的機関側も情報発表のタイミングや内容などをコントロールできるようになるため、その存在を容認し、さらにはこれを逆手にとって自分たちの都合のいいように利用するようになっていきます。(・・・悪知恵という点ではメディアよりも霞が関の官僚たちの方が数枚上手。実はこれが一番怖い・・・。)

3.新たな疑問・真に問題なのは・・・××

ア)新たな疑問


しかし・・・読者の皆さんは、こう感じるかもしれません。

仮に主要メディアの社益から生じる排他性だけが問題であれば、外国メディアへの評判・信用失墜という意味では悪影響を招いたとしても、特段大きな課題には至らないのではないか、、、。なぜなら、キシャクラブの中で一次情報が主要メディアのみに独占されたとしても、その後の事実の伝え方や社説などを通じた各社の考察・主張の相違によって一般国民である読者・視聴者の間に論争が示されれば、意見や価値観の多様性を基調とする「国民の知る権利」は充足されるじゃないか・・・と。

確かに、例えば安全保障や歴史問題では「産経」「読売」と「朝日」「毎日」との間で一応タカ派・ハト派、保守・リベラルの対立・論争は国民に示されているようにも思えます。

しかし同時に、これまでの私の記事を覗いていただいてきた読者のみなさんであれば気づいていただけるでしょう。例えば本シリーズの予告で紹介した月度の日銀政策決定会合や財務省の財務諸表発表報道※1においては、タイミング・内容ともに驚くべき程の均一性を示した記事しかでてきていない、という事実を。

安全保障や歴史問題ももちろん重要な問題です。ですが、私たち国民の日々の生活への影響を与える経済問題、財政、金融政策という意味では、こちらの方が圧倒的に重要な筈なのに・・・。

※1

この不可思議な事態についても、実はキシャクラブから派生した問題として説明することができます。先ほど少し述べたように、悪知恵という能力で霞が関のキャリア官僚に勝てる日本人はいません。

おそらく・・・キシャクラブを「取材拠点」と見解変更しても主要メディア間の競争によって報道の自由や国民の知る権利の充足は担保し得る。前回キシャクラブの歴史として紹介しましたが、1978年当時の新聞協会委員はそのように楽観していたかもしれません。

しかし、特オチ恐怖からの解放されるため、要は自分たちが楽するために、ちょっとぐらいええやん、かめへんかめへん、と手を染めた不摂生は、巨大なブーメランと化して自分たちの後輩たちに襲いかかることに。

これは作家の井沢元彦氏も「逆説の日本史26」内で指摘していることですが、第三次安倍内閣末期、あろうことかコロナ自粛の真っただ中に、首相に近いと噂された黒川検事と、産経と朝日の記者または社員が同席して賭け麻雀という犯罪行為に興じていた、ということは皆さんも覚えていらっしゃるでしょう。

実はキシャクラブ周りで、財務省、検察、日銀OBといった強力な官庁、中央銀行の幹部OBを頂点に、「朝日」「産経」他主要紙と、主要キー局は私たち国民には見えない裏側でズブズブなのです。

彼らは安全保障や歴史問題では一応対立しているように見せてはいます。ですが、所詮はあたかも「報道の自由」「知る権利」が保証されているかのように見た目を装いつつ、裏側のキシャクラブの弊害を見えにくくし、共同利権を死守するためのプロレス※2にをやっているにしか過ぎないのではないでしょうか。

※2 これは根拠に基づかない単なる私の邪推です。でも、皆さん・・・そう思いませんか。

イ)真に深刻な問題=××


私は、キシャクラブを「取材拠点」と見解変更した当時の新聞協会委員たちの想像を遥かに超える形で、その毒が主要メディアの体中に広がっており、もはや自浄の回復は絶望的、手の施しようもなくなった病理、そう考えざるをえないと思います。その毒は、単に公的機関における取材拠点の排他性・閉鎖性を超えて、
報道内容の均一性、
不都合な事実の隠蔽、
報道自主規制
などなど様々な症状の併発を招き、中でも最も深刻で致命的なのが、

政治経済記者の質の劣化 これです。

上記の諸弊害も実は、ここから発してる部分が大きいと思います。上杉氏、井沢氏共に、「キシャクラブ」の存在によって、主要メディアは自分たちの首を自分たちで締めている」旨を繰り返し指摘されています。私も同感です。

具体的にはどういうことでしょう。そしてなぜ、そのような状態に至ってしまったのでしょう。このあたりの分析に詳しく、わかりやすい解説を加えているのが上杉前掲書②。

ウ)キシャクラブで身につく唯一のスキル 「メモ起こし+☆印付与」♪

取材拠点で安直に情報が取れるようになった結果、現場の番記者の仕事は会見やインタビューの内容を速記または録音して、後にメモに書き起こすことに尽きるとのこと。これを「メモ起こし」と呼ぶそうです。実は番記者がキシャクラブでの記者会見やぶら下がりインタビューで行うのは、この「メモ起こし」だけ。

あとは社に提出して、上司であるデスクの仕事ですから、彼らはそこに独自の考察といった付加価値をつけるといった機会には恵まれません。正しい情報を得るために情報源に必要な説得、根回しを行うという機会も得られません。

後は出世のためには只管「メモ起こし」の数をこなすのみ。数をこなしてなんぼ。加えて注目すべき箇所に☆印など付せば、デスクからは「お前なかなか気がきくな」と褒められる・・・とか。

上司のデスクも特段付加価値をつけることはなくそのまま記事へ。この理由は次回詳しく検討しますが、、、

最近は、どこかの最強官庁はメモ起こしをする前の段階で、親切丁寧にも取材源である官僚側が記事での最終原稿として整えた内容を紙で配っている場合すらあるそうです。そうするともはや「メモ起こし」すら介在しないので、デスクの最終チェックも必要ない。もう、後で紹介する「役所の広報」ですらない。経済評論家の上念司氏がキシャクラブを指して形容する「ヤギ牧場」という表現がふさわしい(「財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済」上念司著、 講談社+α新書 P42)。ヤギみたく配られた紙を食っているだけ、ということですね。残された仕事は新聞であれば他の記事との兼ね合いでの文字数調整くらいでしょうか。

「どこかの最強官庁」ってどこ?。それは言えません。※3

※3


以上のような次第で、結局キシャクラブ加盟の主要メディアの政治部に在籍する限り、キャリアを通じて本来ジャーナリストとして必要なスキルが身につく機会には一切恵まれません(上杉前掲書②P24 ~P27)

エ)番記者間で深まる癒着 「メモ合わせ」♪♪


お互いに一緒にいる時間が多い人間とほどより仲良くなるのが人の人情であって常。番記者として官庁などの取材拠点に常駐していると、同じ社の同僚よりも長い時間、同じ部屋に詰めている他社の番記者とのつながりが強くなります。その結果、インタビューメモの中身を他社の番記者とシェアして内容を同じように整える「メモ合わせ」という「癒着」も起こります(上杉前掲書①P38、同②第1章「記者たちの『癒着メモ』を暴く」)。

以前にも紹介した同じ事実への主要メディアの報道内容の均一性はこれが原因の一つと思われます(上杉前掲書②P16~P24)。

上記のような次第で、情報収集の技能を身につける機会を失い、考察力を養うチャンスも奪われ、さらに、取材対象である官僚などから「俺たちのいう通りに書いとけば悪いようにはしない」とか甘言を弄され・・・これに従っておけば、分析や編集、裏どりの知見技量を磨く機会すら奪われて、

その結果、「メモ起こし+☆印」「メモ合わせ」のスキル(後者はスキルじゃねぇ)、他には官庁や他のメディアとの間で企画されるキシャクラブ会員様限定の懇親会、合コン、慰安旅行などで培われる人脈だけ、の人間が完成。一人前扱いされて幅を効かせる「勘違い君」が出来上がります。

以前の記事から使用している、この「勘違い君」という表現、決して言い過ぎではないことがご理解いただけたでしょうか。ここまで上杉氏や井沢氏の著者に目を通しつつ、自分自身を励ましながら書いていますが、正直頭から血が引くのみで全く楽しい感情が沸かす、笑えません。

上杉氏によれば、某週刊誌編集長の意見として、キシャクラブ所属の政治記者は所属期間5年未満であれば転職採用を検討するのですが、それ以上になると一切採用しないそうです。理由は単純明快。ジャーナリストとして「・・・使えないからだ・・・。」(上杉前掲書②P25~P26)。

ただ、こういう状況もそこに所属している人々の中では、それが「あたりまえ」になり、他を知らなければ、常識として何の疑問も感じることができないのかもしれません。この点は元TBS所属の政治記者であった作家の井沢元彦氏も、そこにどっぷりつかっている間はキシャクラブの問題に気づけなかったし、上杉氏もNYタイムズという日本以外の海外メディアで記者として採用され活動する機会があったからこそ気づけた、と、それぞれおっしゃってます。

そんな場所に長居すると、あたかも自分たちが優秀であるかのような錯覚に陥り、キシャクラブ外の週刊誌記者やフリーのジャーナリストを見下すようになっていきます(上杉前掲書①②)。

しかし、なんでそんな構造的な問題が正されないのでしょう。であるがゆえに、その類の人たちがこの国でそれなりの地位と収入を保持しつつ、減勢せずに生息し続けられるのでしょう。

例えば・・・前に紹介した、3月の日銀制作決定会合の総裁記者会見で幹事社として議事進行役をになっていたNHK。これなどいろんなキシャクラブ曼荼羅の中心に大日如来として鎮座する会員社のなかでもボスキャラ的な存在。

元NHK社員で、民放などに政治経済キャップとかの肩書きで天下っている記者が散見されますが、彼らのスキルは唯一「メモ起こし+☆印」とキシャクラブを通じた政治家、官僚などとの人脈=パイプだけ。最近は紙が配られるのみ、とすれば、もはやそれすら身につかない。

ところで、少しだけ話題の脱線をお許し下さい。

最近、堀江隆文さんの動画※4で、芸能事務所の機能はテレビ局とのパイプ=人脈だけで、テレビが廃れるにしたがってかつて、そのパイプのみで昔は絶大な権力を誇った芸能事務所も急速に斜陽を迎えつつあるとの解説を聞きました。

※4

動画を視聴しながら私は思いました。例えば、事務所の性加害など、上杉氏はじめ一部例外的にこの問題を取り上げる記事※5は存在してきました。昔から業界内では公然の事実だったわけです。でも言えない恐怖空間。平壌か、ここは?
それらがようやく公に認められ、タレントやフリーアナウンサーなどそこに所属する人々の処遇が改善されてってほしい。

※5 ちなみに事務所トップによる性加害の問題は、今をさかのぼること15年以上前の2008年に、上杉氏が別書「ジャーナリズム崩壊」(幻冬舎新書)でトップの実名入りで紹介、解説しています(P99~)。

また、下記記事では事務所トップが長年手を染めていた所業は、性加害どころではなく児童虐待であったことが詳しく解説されています。恐ろしい話です。

さにありながら・・・です。

これが、隣接分野ともいうべき政治経済分野の報道においては、「キシャクラブ」から発した政治家、官僚とのパイプが、それだけでまだまだ役にたって、職場で転職で、そこそこ、いや、かなり重宝されちゃう。これがいまだに根強く続く我が国の政治経済にまつわる報道現場の悲しい現実なのかもしれません。悲しい。

いや、「悲しい」とか感傷に浸って済まされるどころ騒ぎではない、民主主義の根幹にかかわる問題だけに、その害悪の深刻さたるや、芸能事務所の比ではない。数十倍、数百倍か。

キシャクラブ会員社所属の政治経済記者の「勘違い」はいまだ正されず、近い将来正される見込みもなく・・・したがって国民の「知る権利」の充足も未だ闇の中。。。

いいんでしょうかこれで、、、んな訳ない!!!皆さんも、もっともっと怒っていいんです。

お前らテレビの人間はいつもそうか~~~!※6。

※6 昔、ダウンタウンの「ごっつええ感じ」で、松ちゃんが何かというと、すぐにテレビマンにブチ切れて喰ってかかる「長髪の大先生」風な老人を演じるコントがあったような気がするのですが、動画は見つけられず紹介はできません。残念。
・・・いや、あった。

3.まとめ 次回予告


これまで述べてきたように、「キシャクラブ」問題は日本の主要報道機関の身体全体に転移したがん細胞のように彼らの機能停止に至らしめ、その結果、「国民の知る権利」の充足など程遠くなってしまっていると思います。

思うに、1978年当時の新聞協会委員は公的機関の取材拠点としてのキシャクラブから生じる、また記者と記者の間、および、記者と官僚・政治家との「癒着」の弊害を甘く見ていたと考えざるを得ません。そしてテクノクラートとして事実上政府の頂点に君臨する財務省、検察庁に所属する官僚、検察官の実力を侮っていたと。この辺りは最終回でさらに詳しく。

その結果、海外からは日本のメディアは「ワイヤーサービス」※ですらない、「政府の広報機関」という新ジャンルを設けてそこに分類されるまでに堕落してしまっています。(※「ワイヤーサービス」云々は次回=最終回に説明します。)

昨今問題にされる政治家の金権・腐敗ももちろん重大な問題ではあります。旧民主党政権を批判して政権を奪還した自民党も、やはり長くやりすぎれば腐敗は宿命なのかと。最近の補選で示された民意も、これをただすべしという主権者の適切な意思表明ととらえ、好ましい動きと思います。

しかし、私は問題の重大性という意味ではこれよりも大きい。時期も圧倒的に長い。一世紀以上続くキシャクラブ問題の方が、緊急度で高いと考えています。上記問題の処理が一段落した後に、あるいはこれと並行して国民の前で一刻も早く、広く検討されるべき問題ではないか、と思います。

本シリーズの予告記事でも少し述べましたが、この問題は、日本人にとって重要な課題である情報リテラシーの問題の一つと思います。次の最終回に、その実態を事例とともにさらに踏み込んで、実は最大の害悪であると思われる官僚によるメディアコントロールという弊害について、一緒に探っていきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?