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山に寛ぐ(音楽とスケッチ)

 山から帰ってきて1週間。
 ようやく疲れもとれてきたところだ。

 ハープ奏者の堀田真紀さんが、八ケ岳をバックにドビュッシーの「アラベスク1番」を演奏しているので、これを聴きながら。


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 山旅の中で、喘ぎながら登りきった山頂のヒュッテのテーブルに座り、大展望に浸りながらビールや珈琲を飲んでくつろぐ時の幸福感に勝るものはない。
 それは景色の感動とか達成感などという大層なものではなく、「今日はもう、もうこれ以上歩かなくていいんだ…」という平凡な安堵感のなせる技だ。

 もう一つの楽しみは、山旅を終えて家に帰り着き、荷を解いてのんびりとお風呂に浸かっているひとときだ。
 これもまた、無事に生還し、「もうこれ以上歩かなくていいんだ…」という日常に帰還した安堵感のなせる技である。


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 そんなことなら最初から山などに登らなきゃいいじゃないかと言われそうだが :⁠^⁠)〈寛ぎ〉の幸福感というのは〈汗をかいて登ったあとの解放感〉だから、あくまでも〈汗をかいて登る〉ことが前提条件である。
 年がら年中、何もしなくていいから一日中寛いでいなさい、というのは〈寛ぎ〉ではなく、〈自由という名の牢獄〉に閉じ込められているようなものだから、人間というのはややこしくできている。


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 かつて小難しい本ばかりを相手にして、言葉を弄して観念の大伽藍を築き上げることを生業なりわいとしてきた。
 時に心を病みかけたこともあった。

 所詮、人間はこの自然の大地に足をしっかりとつけて歩き、汗を流し、きれいな空気を吸い、美味しくご飯を食べて、ぐっすりと眠ることが幸せに生きることの基本なのだという、至極単純で当たり前のことに気づいたのは、40歳を間近にして山を登るようになってからだ。

 ご大層な装備に身を固めて大変なことをしているように見えるが、山を歩きながら考えているのは、その程度のことである。