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別に支持者じゃありません。

やり取りって面白いですよね。

こういう動画を見るとテレビって本当に品がなくなったなと感じます。
正確には、昔から品なんてなかったのかもしれません。
自分が年を食っていくなかで、経験や学習から獲得できたものの中から「意識や思想」みたいなものが出てきて「品」の有無みたいなことを言い出せるようになった。
ここでいう「品が無い」といってるのは、テレビ番組に関わるアナウンサーやコメンテーターなどと呼ばれる「役割」の人の「中身」に「良くない」という意味かな。「役割」を隠すことなく「そのまま」おこなっている。
本当に「質」が悪くなったんだな。質の悪い番組=品の無い番組。
そんな証明になってるように思った。
アナウンサーもコメンテーターも「自身の主張(ニュアンスや文章の組み立て)が正しい」という前提で「質問」していると感じちゃいました。
それを「民意」だと簡単に「すり替えて」いたからこそ「品」のない「下品」な番組に成り下がってしまったのかな・・・と。
とはいえ、どんなに下品であっても「番組」の視聴率やら、そういった所謂「成功」となれば、なんだって良いという「論理」が生まれてしまったからなのかもしれない。
結果、金持ちになってしまえば、その儲け方が「犯罪」でなければ、金持ちになって、セレブになれば、他社はその人をうらやましく思うでしょうし、必要以上に「尊敬」したり、「持ち上げたり」するようになる。
これもマスコミが作り出したものだろうとおもいます。
地道に汗水垂らしてコツコツ貯金した人よりも、犯罪スレスレな商売や表に出てこない被害者がいる方法なんかであっても、金持ちになった人を報道するほうがエンタメとして「面白く」、その番組を見た人がどうなろうが知ることもなく、個々の責任とふんぞり返って、自分達の義務や責任には一切言及しないという、マスコミに都合の良いシステムにより、番組作りは進んでいくのかも。
番組は大なり小なり、「影響力」があり、そのような番組をみて、すり込まれた結果、多くの一般庶民の質も低下してしまったのではないだろうか。
人、人間とはもともと基本が「馬鹿」なのだということを忘れないことだなとすごく感じてしまう。
「自分は正しい」なんて誰が言えるんだろう。

人はじつはとてもすぐれていて、とくにコミュニケーションに関しては発達しすぎていると感じます。
相手が何を言いたいのかを先読みしたりできる。
人と人が直にコミュニケーションすることを円滑にする一方、見解や理解の不一致をもたらす要因になるのかな。
直接話が出来れば、誤解があってもお互いに歩み寄ることが出来ますが、このようなインタビューでは「誤解」が生じていても「誤解を解く」ことは困難であり、マスコミを通じた「発信」による「誤解」は、後に「誤解」であることが明らかになったとしても「取り返しの付かない」ものになってしまいます。
そのことを十分理解しているからこその石丸氏の回答になっているのだなと感じましたが、正直このような「下品」な番組は「見苦しく」思うし、その後に「なんの反省」もないのかなと思う。

抽象的な表現:アナウンサーや質問者が抽象的な表現を多用することで、具体的な情報が引き出しにくい状況が生まれます。これは意図的に曖昧な回答を引き出すための手法とも考えられます。

一部分の引用:他の番組での発言の一部分を引用し、それを異なる質問に関連付けて追及する手法は、石丸氏に不利な状況を作り出すことを目的としているように見えます。

個人的な感想の「常識化」:コメンテーターの人が自身の個人的な感想を「常識」として質問することで、視聴者に特定の見解を植え付ける意図が感じられます。

プロパガンダの要素:全体的な番組構成や質問の仕方が、特定の方向に視聴者を誘導するためのもののように感じる。メディアの操作やプロパガンダの一形態として理解できます。


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