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だめにきまってるだろ!!

いろんな変化。追いつけない変化。

オーディオブック利用者急増!!
なんていう記事も読んでみたけど・・・。
本は読まずに聴くということか・・・。
耳で聞いて、目で読むのと同じなんだろうか?
目を使わないから目にはやさしいのか・・・
あーでも、耳だって難聴になりやすいとかなんとか・・・・。

オーディオブックって聴くものだよね・・・読破っていうの?
手前勝手な感想としては、本は目で読むもので、読みながら「考える」ことや「連想」したり「想像」したりする。
そしてまた読み始める。
耳で聞くって、いちいちストップしながら聞くの?
「この本読んだよ。」と、「この本聴いたよ。」は、まったく違うものじゃない?
音楽だったら・・・楽譜読んだよ。と、曲聴いたよ。
楽譜を見ながら曲を聴く・・・とか。

読みながら、気になったらまた読み返して、何度も同じ行を読んだりして。
付箋を貼ったり、マーカーを引いたり、書かれていた文章を思い出してみたりして、学習していくことが普通な世代には「本を聴く」っていうのが意味の無いものに思えてしまう。

同様なことを以前の記事にも書いたっけか・・・。

最近では、啓発運動の効果無く「ながらスマホ」は増える一方だ。

「歩きながらスマホみてんじゃねーよ!」
「駄目に決まってんだろ!!」
ヘッドフォンしてオーディオブック聞きながら自転車のってたり、最近流行の電動ローラースルーゴーゴーみたいなやつにも乗ってるかもしれん。

でも、これって結局「自分世代」だから感じることなのかも。

実際は駄目じゃないのかもしれない。

このまま、新しい世代が「ながらスマホ」を普通にできるようになれば、人間は進化し、前を見なくても人に迷惑かけることなく歩くことが出来るようになるかもしれない。
コウモリの様に、レーダーみたいなのを発信して、きっと後ろからスマホを盗もうと襲ってくる奴が来ても、察知してよけられるようになるだろう。
当然画面に夢中になってて気がつかなかった・・・なんていう、おぞましい言い訳をすることなんてなくなるはずだ。

歩きスマホや、ながらスマホは、新しい人類(まさにニュータイプ!)になるための訓練なのかもしれない。

自分は歩きスマホなんてやってみたけどまったく出来ない。
歩きながらメールみたって頭に入ってこないし、なにより怖くてまともにあるけない。
歩きながらメールなんて画面が動いちゃって読みづらくてしかたない。
もちろん、メールは読みずらいけど、動画は大丈夫だから歩きながら観るとか、そういうちょっとなーな人がいう言い訳みたいな行動をする訳にもいかない。美学に反する。

メールを読めないなら、その他のながら行動もすべきではない。
潔く負けを認めることこそ、日本人として正しい行動だ。と思っている。
もちろん「訓練」を続けることは出来るが、習得する前に大けがするか、他人を傷つけてしまうかもしれない。
だから自分は進化をあきらめるしかない。
進化する為の「素質」と続けても良い「環境」がないのだ。

自分という人間をしっかり理解することが大切だ。

だから「歩きスマホ」という訓練をしている人がいたら、よけたりするのは訓練の邪魔をしていることになる。
道を譲るなどしてはいけない。
彼らは「進化」を望んでいる人達なのだ。
けっして他人の邪魔をしたいと思っている人でもなく、他人に危害を加えるつもりなんて無いのだ。
純粋に進化を望んでいる人達なんだ。
進化を諦めた者は、彼らの手伝いをしてあげるべきだ。
もし歩きスマホの人が向かってくる自分に気がつかず、ぶつかりそうになったら「チッ」と舌打ちしてあげて、「気がついてないよ」と合図をしてあげるのがマナーだろう。
そうすることで、彼らもきっと自分が「進化」するにふさわしい能力をもっているか、またはもっていないかを知ることができるはずだ。
能力の無いことに気がついても、あきらめてはいけない。
何度でもチャレンジすればいい。
なんたって政治も政府も「何度でもチャレンジできる社会」を作ろうとしているんだから。

そして、進化はすすみ、何れは「聴く」だけで、あらゆる学習ができるようになるに違いない。
「本を聴いた」だけで「学習」できるなんて、なんと素晴らしいことか。

別の言語を聞くだけでしゃべれるようになる。
なんともうらやましい能力だ。

車を運転しながら、スマホを観ることができるようになったら、自動運転なんてまったくいらない。
目をつぶっていても、車を運転できるように進化するに違いない。

現在、歩きスマホをしている人や、スマホやナビをイジりながら、車を運転している人達は、自身の都合でそんなことをしているんじゃない。
人類の進歩の為に、人類の進化の為に、率先して「人柱」になっている人に違いない。

知ったかぶりや、自分が無能であること、歩きスマホやながらスマホをする才能や能力が無いと気がついたら、潔く諦めることができますか?
気がついているのに続けているなら、それは犯罪です。
気がついたなら素直に諦めましょう。
無駄に他人を傷つけることなく、平和に暮らしていけます。
そういうことに気がつかないなどという悲しい人間がこれ以上増えないことを切に願うばかりだ。



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