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オーディオブック

昔やってたな

私はウォークマン世代なので、外で、何かしながら、ヘッドフォンで音楽が聴けることに衝撃をうけた。

音楽ならば元々「聴く」ものだから、ウオークマンだろうが、スピーカーからだろうが、はたまたライブでリアルに聴こうが、その「音」に対する感じ方に違いはあれど、作用は同じだと思う。
まあ、例えば「曲を覚える」のであれば、その優劣は多少あるかもだけど、同じようにできる。

が、読書となると話は別だ。

オーディオブックは何が目的なんだ???

隙間時間に本を聴く。
うむ。
物語か、小説か、なんかストーリーみたいなのを聴くのなら、それはエンタメだな・・・浪曲や落語のレコード、カセット、CDなんかと同じで、聴いて楽しめる。
それはあれだ!、吹き込んだ人の「芸」だ。

エンターテインメントはいわば「暇つぶし」だ。
オーディオブックを聴くことが「暇つぶし」ならなにも問題ないが
この記事のように「読書」というのはどうなんだろ。
確かに本を読むことも「暇つぶし」といえるかもだけど、どのように「読む」かということになる。
となると「本を聴く」事もどのように「聴く」かが問われる。
文字通り暇つぶしに読むのなら、読み飛ばすなんて言葉があるように、漢字が読めなくても、意味がわからなくても、なんとなく読むことは出来る。
面白いもので、なんとなく理解もできたり、ストーリーもなんとなくわかったり出来る。
ああ、そういえば、動画を倍速で観る・・・なんていうのもあった。

読み方を「学習」とした場合、読むということは、その行を何度も繰り返し読むことが出来るし、漢字や語彙や文法を調べたり、印を付けたり、マーカーや付箋を付けたりできる。
何よりも自分のペースで止めたり、想像したり空想したりすることが出来る。「読む」というのは心の中で声に出すこともできる。というか、頭の中や心の中で「声」にだしているからこそ「読書」な気がする。
当然、語彙力や漢字を学習することができるし、理解を深めたり、記憶することが可能だ。

本を聴くということを学習とした場合、それは聴覚学習となる。
聞いて学習ができないなんてことはない。
音楽を勉強するなら、ただきく。
心で聞く。
想像したり、解釈したりする。
楽譜を見ながら聞いたりして学習する。
これは結局、エンターテインメントを勉強する。学習する行為だ。

オーディオブックは、それそのものがエンタメだ。
エンタメの学習として聞くのなら中身はなんだって良い。
むしろ何百何千と聞くべきだ。
まあ、音楽同様「ジャンル」はあるけど。

オーディオブックは、本の中身から「学習」するには向いてない。
なんたって「読み手」がいるからだ。
視覚障害者の為の音声ガイドとかならまだしも、感情や抑揚やイントネーションなどによって自由度のない固定された情報になる。
読み手の解釈にひっぱられてしまう。
まあ、ひっぱることがそもそもの目的である「音声」を利用するのだから当たり前だ。

「本」は「活字」から「学習」することができると思っている。
やっぱり「本」は「読む」ものだと思う。
読むことで、エンタメにも学習教材になると思う。



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