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宗教コミュニティが生み出す価値|第4回宗教理解増進勉強会

1月20日に「第4回宗教理解増進勉強会」を行い、家庭連合から青年学生が9人、壮年5人が参加しました。前回に続いて主の羊クリスチャン教会の中川晴久牧師の参加もいただき、全体で15人の参加となりました。

今回は、今まで意見交換した内容、主の羊クリスチャン教会の牧師や日本バプテスト連盟の牧師の提言などを参考に、会の概要を私から発表、その後に意見交換をしました。

会の概要

会の名称

宗教マイノリティ理解増進を目指す会

会の目的

宗教及び宗教マイノリティへの理解不足や偏見の解消を目指す

会の進め方(手法)

  1. 「気づき」と「共感」を大切に
    ・対話で違いを知り、違いから学んで「気づく」ことを大切に
    ・反省、悔い改めは「気づき」で、それは神様と出会う場

  2. 共感をベースとする対話型活動
    ・愛に基づく宗教的手法を大切にする(糾弾するのではない)
    ・各々が自らの信仰に集中する土台で、異なる信仰・文化等を尊重、対話を重ね、「共創共生社会」を目指す

扱うテーマ

  1. 宗教とは何か
    ・多くの日本人は、日常生活の中で宗教を自覚することがあまりない
    ・「日常の無自覚な宗教性や信仰」「自覚的な信仰」など「宗教とは何か、信仰とは何か」について分析、研究、理解増進

  2. 宗教マイノリティとは
    ・日本では、一つの宗教に自覚的に信仰をもち、生活する人々は少数派(マイノリティ)
    ・大多数の日本人と違う価値観をもって生活する「宗教マイノリティ」への誤解や偏見が差別や人権侵害を生むことがある
    ・宗教及び宗教マイノリティに関する理解を増進することで差別や偏見を解消
    ・カルトという言葉の危険性

  3. 宗教2世問題とは
    ・宗教2世と他の2世(家業、伝統舞踊、経営者等)との違いは何か、共通点は
    ・「宗教2世」という言葉が引き起こす問題
    ・宗教をやめた「宗教2世」だけではなく、自覚的に信仰を持ち続ける「宗教2世」への偏見や差別の解消

  4. 宗教法人の公益性とは
    ・文科省の「宗教法人世界平和統一家庭連合の解散命令請求について」の資料によれば、「宗教法人は、公益法人として、宗教活動によって不特定多数の者に心の平穏や精神的安定をもたらし、社会貢献する存在であると期待されている」とある
    ・宗教法人による「不特定多数の者に心の平穏や精神的安定をもたらす社会貢献」について探求し、その活動を推進

  5. 超教派的宗教間協力の推進

ゴール

  1. 「宗教マイノリティ理解増進」を促進し、より多くの人々が差別や偏見のない平穏な生活を送ることができる社会形成に貢献する

  2. 「宗教宗派を超えた宗教間協力」を推進し、多様なコミュニティとの対話協力を進めることで、日本社会における精神性を高め、精神的安定と多文化共生社会の形成に貢献する

以上が会の概要

意見交換

会の概要の発表と説明後、参加者間で意見交換をしました。以下はその要旨です。

国際的な理解を得る

壮年A
持続可能な開発目標(SDGs)の目標10に「宗教」というのがあるので、これを訴えるのはどうか。

とも
それはいいですね。「SDGs」は国連加盟国193カ国が全会一致で決定した目標。SDGsの目標10に「人種、民族、出自、宗教に関わりなく、すべての人々の能力強化および社会的、経済的及び政治的な包含を促進する」とあるので。

それからSDGsについて誤解があって、SDGsに「LGBTQ(性的マイノリティ)の権利の保護」が謳われている、と思っている人が結構いるんだけど、SDGsは性的マイノリティに触れていないんです。

国連加盟国の中には、性的マイノリティの活動を禁止している国もある。「性的マイノリティの保護」についてSDGsに書かれていたら、反対する国がいくつか出てくる。だからSDGsには「性的マイノリティ」についての言及はないんです。

それから国連では1981年に「宗教または信念に基づくあらゆる形態の不寛容および差別の撤廃に関する宣言」が採択されている。これも理解しておくと良いと思う。

大学生B
聞いていて感じたのは、単純に「家庭連合自体が悪いことをしてない」というだけだと不十分かなと。本当にプラスになるものを提示していけるのかが重要と思わされた。

家庭連合は関連団体も含めると社会に対していろいろな活動していて、そういうのも目立つので、家庭連合自体の本質が見極めづらい感じがあるのかなと。

宗教者も社会に参画して、プラスに貢献していくことに対して、よく思ってもらえる、というのが結構課題かなと思った。

とも
社会的にプラスになるという感覚が、社会に伝わりにくいというのはある感じがしますね。この会が「日本のために」ということを大前提として、「他の宗教者のため」を前提に進めていければと思っている。

宗教コミュニティが生み出す価値

青年C
今、学生とやってる研究活動を見ながら面白いと思ったのが、地域コミュニティーとかがなくなっていくのを通して、今までなら自治体がやらなくてもいい地域の問題を、自治体が背負わないといけなくなり、自治体の負担が大きくなって、問題がなかなか解決できなくなっているというのがある。

例えば外国人が住むようになり、その外国人たちが地域のコミュニティに所属できなかったりとか。外国人だけではなく若い人とかもそうだったする。そうすると、地域のルールとかが浸透する仕組みが、地域の中でなくなってしまう。例えばゴミの分別問題とか、ポイ捨ての問題とかが出てくる。

今までだと地域の神社とかお寺とかが、コミュニティーの中心になっていったことが結構多かったと思う。

宗教のいいところは利害が絡まないところ。例えば商店街のコミュニティーとかだと利害が絡んだりする。精神的な繋がりみたいな一定の安心できる関係性みたいなのが、経済活動を中心とすると作りきれないのかなと思う。

そこに、宗教が間に入ってくることを通して、利害を超えた情緒的なコミュニティー、人間味のあるコミュニティみたいなのが、生まれてきてたんだろうな、というのがある。

今でも宗教はそういうところがあると思う。同じ信仰を持っている人のコミュニティーは質的に違うというか。趣味が同じとか、同じことをやっているとか、そういうのを超えて同じ価値観を共有しているので、より質の高い安心感とか信頼感みたいのを生み出してくれる。そこでの助け合いのあり方とか、支え合いのあり方というのは、すごく高いレベルじゃないかなと。

例えば僕も仕事で出張とかに行く時に、子供が2人いるけど、妻もなかなか都合が合わなくて子供を見られない、みたいな話になった時に、同じ信仰を持っている仲のいい友達とかに頼ってお願いする。それぐらいの信頼感のあるコミュニティーは、なかなか他では作れないんじゃないかと思っていて。

そういう洗練されたコミュニティみたいなものが、宗教を介して、作ることができるとは思う。

今、核家族化も進んでいて共働きだと、子育てをなかなかやりきれるものではないというか。閉じた家庭の中でやろうとしたら、限界が出てくるし。それを支えようとしたら、やはりコミュニティーが必要なんですけど。

それぐらい、どっぷり関われるようなコミュニティを作るという意味では、宗教を中心として、コミュニティが作られるというのは、すごく大きな価値を生んでくれてるんじゃないかなと思ってて。

何かしら倫理的、道徳的にある程度優れた価値観を持っていて、それを持って繋がれる宗教というコミュニティが、社会に生み出している価値というのは、なかなか数字として現れてくるものではないけど。

あとは治安の問題だったりとか。そういう意味では、結構、宗教は大きな力を持ってるんじゃないかなと思いました。

大学生D
先ほどおっしゃっていた、いろんな宗教2世問題を捉えてやっていこうということだけど、今やっているX(旧Twitter)のコミュニティがあって、宗教2世、エホバの証人とか創価学会とか宗教2世問題で何かできないかとコミュニティを始めたところなんです。うまく手を取り合っていければいいなと。

とも
それはすごくいいですね。いろいろな枠を超えてコミュニティーを作っていって、そこで本当に精神的安定性とかを与えられる環境を作っているのであれば大切なことだし、一つの社会貢献になっていくので、すごくいいと思う。

「カルト」は差別用語

中川
宗教マイノリティというのは適切な言葉だと思う。それに対してカルトいう言葉は差別的で宗教学的にも使うべきではない。宗教マイノリティという言葉を広めると良い。

小林節という憲法学者が、宗教法人の公益について書いていて、社団法人とか財団法人は、お役所や行政の下請けみたいなのが1つの役割。

でも宗教法人の公益は全く違って、もっと宗教がより豊かに開花して、それぞれが、それぞれの独自の花を咲かせるみたいな発展をするのが公益ということなんですね。

だから宗教法人法の意義をもっと明確にして拡散することは大事だなと。

あとは信教の自由はもの凄く重要。

それから家庭連合さんが解散命令を免れるのは、家庭連合さんの勝利なんだけど、これは宗教界の勝利なんですよね。

信教の自由をしっかりと守ることが大切。宗教界が廃れると文化の精神性も衰退する。だから宗教が守られることを明確に打ち立てることができれば、日本の宗教界、もっと言うと日本の文化を支えるすごい貢献をしたことになる。

「共感」がキーワードと皆さん言っていたように、共感を得ながら、増やしていく。共感と愛ですよね。

それから、宗教間対話は目的にすると行き詰まる。宗教間対話は副産物として位置付けると、うまくいくんじゃないかな。

宗教が違っても「生きている」ことでは一つ、同じベースがある。人が生きる、命を生かされる。そこを軸に宗教間対話をするといいと気づかされた。

とも
とても参考になります。中川さんが来てくださると、家庭連合的思考とは違う新しい気づきもあるので、とてもいい。多様な人との交流は大切だなと感じる。

今後も、他の宗教の方々に参加を頂きながら、対話をしながら、まずは4月を目処に頑張って論文をまとめたいと思います。

ありがとうございました。

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