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オウム事件の総括と宗教イメージの好転へ|第6回宗教マイノリティ理解増進勉強会【下】

3月16日に「第6回宗教マイノリティ理解増進勉強会」を行いました。

はじめに私の方から「マイノリティ問題の解決について」「宗教とカルトの違いについて」まとめた内容を発表。その後、参加者間で活発な意見交換が行われました。

主な参加者は、主の羊クリスチャン教会の中川晴久牧師、新宗教の元役員、「信者の人権を守る二世の会」のメンバー、家庭連合(旧統一教会)南東京エリアの渡邊一喜・大教会長、家庭連合の信徒ら合計20人です。

意見交換


中川さん(キリスト教牧師)

うちの教会に、家庭連合の信徒さんで拉致監禁されたことのある人が、そのお母さん連れてきたんですよ。拉致監禁した側のお母さんですね。そのお母さんが、どうして自分の息子を監禁したかと言うと、追い立てられたんですよね。

  • 拉致監禁問題とは、強制棄教を目的に、家庭連合(旧統一教会)の信徒を脱会屋らが拉致監禁してきた問題で、被害者は4300人以上いるとされる

なんで追い立てられたかというと、オウム真理教と被されて、さらに統一教会はオウムより悪いと言われ、それでスイッチが入ったんですよ。

結局、一部のジャーナリストや弁護士たちなど、家庭連合に反対している人たちは、日本人のオウム真理教のトラウマを利用してるんですよ。

日本人全体がオウム真理教の問題を総括しようとしている

それで、今の(家庭連合がバッシングを受けている)問題は、家庭連合さんを中心に起こっている問題ではなくて、日本人全体がオウム真理教の問題を総括しようとしてるのかなと思うんです。

30年前にオウム真理教について話していたジャーナリストや弁護士が、同じ口調で家庭連合さんについても語ってるんですよね。だからオウム真理教と重なる。それで家庭連合さんが「オウムと違う」と説明するのは簡単じゃないと思う。

家庭連合さんを中心にオウムの問題を総括することによって、日本人の傷も癒えるし、だから「総括してやろう」ぐらいの気持ちで取り組むのがいいかなと。

皆さんは、「オウムと同じにしないでくれ」って思うじゃないですか。だけど、家庭連合さんが「オウムのような宗教じゃない」と言えば言うほど、逆に疑われちゃうんですよ。オウム事件のトラウマがあるから。

だから家庭連合さんとオウムは真逆だとはっきりさせるのがいいと思っている。

A男さん(家庭連合、壮年)
私は、触れ合う機会が増えることが重要と思ってるですよね。私が所属している教会は古くて、ちょっと近寄り難いっていうか、オープン性がないって感じるんです。もっとオープンに普通に接して、どんどん接していって、そう思いました。

B男くん(家庭連合、大学生)
この問題の背後には、反家庭連合の中心メンバーの人たちと、世論の印象と二つあると思うんです。

A男さんが言ってたのは、世論に対しては、我々の実体を見せていこうということだと思うんですけど、

一方で、中川牧師がおっしゃってたオウムと真逆の団体と主張するというのは、家庭連合に反対する人たちに向けてなのかなと。世論に向けてでもあると思うんですけど。

かと言って、反対派に反論するような形で主張を続けても、世論の印象が悪くなってしまう。だからバランスを取って両輪でやっていかないと、難しいんじゃないかなっと思いました。

C男くん(家庭連合、大学生)
オウムの事件の話なんですけど、良くない事件として総括すると、逆に世間的には、家庭連合に対する批判って止まないのかなというのは、ちょっと思ってて。

今、同一視されてるような状況で、オウム事件を100パーセント悪い事件にすると、どこにも出口がないというか、そういう感覚を受けてはいて。

逆に、良い宗教のイメージというのが、世間的にはほとんどないのかなっていうか。そうなると、総括の仕方って、難しいのかなっていうのが僕の感覚なんです。

渡邊大教会長(家庭連合の牧会者)
ここに2世が割といますけど、私と世代がぐんと違うんですね。私43歳で、彼らみんな20代ですけど。

だから、1992年の合同結婚式が騒がれ迫害された時は生まれてないですし、オウム事件の時も生まれてないですよね。

私は、1992年の時は小学校6年生で、オウム事件の時が中学3年生だったですかね。

それで、この宗教マイノリティっていうことを、ナイーブな意味で実感した二世世代なんですね。

私は純粋に神様を信じて、真の父母様信じて、親のやってることを肯定しながら、忙しくて親がなかなかいなかったとか、一般に言われることもありましたけど、でも、それを良きものとして受け止めながら、頑張ってたんですけど。

思春期に受けた排除されるという思い

ああいう報道が、ばーっとされて、かなり精神的に傷を負いましたよね。そこに被さるようにオウムの事件が3年後に起きたので、もうモグラみたいになっちゃって。

自分が二世であることを自分の内面としては誇りに持ちたいんだけど、この宗教、信仰を持ってることを隠しながら、ずっと来たところがあるので。

ただ、内面的に自分に問いながら生きてきながら、宗教の道に最終的に私は自分の答えとして来るんですけど。

先ほど、カルトは問題を起こす危険性があるから、その危険性によって排除すべきだ、という話がありましたけど、まさに私は、それを自分の中で内面的に先取りしながら、私は排除される、されてしまう人間だから。

そういうのを、報道とかで肌で感じながら思春期の頃に育ってきてるので、そういうものでのパーソナリティーができてる部分があるんですね。

私の世代が皆同じかというと、微妙に違うんですけど、ただ似たような感覚を覚えながら来てるところがあって。

組織とか親世代の宗教観、信仰のあり方ということに対する疑義を持ちながら私もやってきて、組織をどういうふうに変えていくのかとか、本質をどう残していくのかという使命感で、私は教会長として立っているところはあるんですけど。

皆さんが今交わされてる会話は、非常に今の状況において重要なことなんですけど、そこに積極的に乗り切れないというか、怖さみたいなのも潜在的に持ってる部分があるんですよね。

オウムによって一色にされてしまった日本人の宗教意識というものが私の中でも浸透してるので、本当はそうじゃない、というのも内面で持ってます。持ってるから、やってるんですけど、ただ、自分で先取りするような、社会の反応を先取りしたような部分と常に戦ってる、というのがありますね。

ちょっと私の感覚というか感想なんですけども、そんな感じです。

とも
オウムを総括する、オウム事件で日本人が心の傷を負ってるので、その傷をどう癒すかっていう視点はすごく心に響いたんですよね。

宗教団体が起こした事件の傷を、もし宗教団体として家庭連合が癒すことできるなら、宗教者として、宗教性を持ってできるなら、それは日本社会においてすごい前進になるんじゃないのかな。

D男くん(家庭連合、青年)
トラウマという表現がしっくりしたんですよ。私は1993年生まれなので、物心つかない頃にオウムの事件が起きて、ただ、その後、事件を起こした人たちが処刑されていく過程とかは記憶として残っているので、やばい事件が一つの宗教団体を中心として起こったみたいな。

そういう意味で、渡邊大教会長がおっしゃった、自分自身の内面に宗教者でありながらのネガティブイメージみたいなものがあるという感覚が、自分の中にもあるなとは思ったんですけど。

例えばアメリカでの2001年の同時多発テロがあって、イスラム教の見方、見られ方とかもトラウマを負ってしまっているところがあるかなと思って。イスラム教の中でも過激派の話なので、全然違う信仰観を持ってテロが起きたわけだけど、イスラム教の見られ方は、日本の新宗教の見られ方に結構通じる世界はあるのかなと思いました。

イスラム教が、そのイメージとかトラウマみたいなのが解決されていく一つの過程とか、事例とかがあれば参考になるのかなと思いました。

E男さん(家庭連合、壮年)
いろんな宗教を遍歴してみると、それぞれの宗教が自分のところの良さを持ってるんですね。でも、その優位性が排他的に展開すると、和合というよりも亀裂を生んでいくというのはあって。

宗教の悪いイメージ

家庭連合も教理としての優位性というのがあるんですけど、ちょっと眺めてみると、なんか傲慢みたいな、そういう匂いがするのが、社会に受け入れられない一つのテーマになってるんじゃないかな。

じゃ、どうするかと言った時に、もっと門戸を開いて、宗教が文化とか芸術に、キリスト教にしても仏教にしても、仏教美術とか、キリスト教文化が外に広がって距離が薄まってくわけですよ。生活圏にとって宗教というものは素晴らしいものだ、というアピールをそれぞれの教団がしないといけないし、そういう連携がなされていかないと。

排他的な、優位的なものじゃない根幹の部分で、手を繋いで、これを外に向かってアピールするという連携が必要じゃないかと思うんですよ。

A子さん(家庭連合、二世の会副代表)
宗教の悪いイメージって二つあるなと思って。

一つは宗教は人を洗脳するっていうイメージがあると思って。

定義によると思うんですけど、宗教の教えを学ぶことによって転換されて、違う価値観になるというのを洗脳の一つの定義だとすると、

人が宗教の教義によって変わる点では、家庭連合において良い意味であるなと思って。

そうなった時に、教義で通していこうとすると、教義が人を変えるんだとか、そういう視点で突き進んでいくと、宗教は怖いっていう悪いイメージになるんだろうな、っていうのはある。

どう人格が変わるのかとか、実体としてどう変わっていくのかとか、日本の中で良いイメージとして広めていかないと変わることはないんだろうなって思う。

二つ目の宗教の悪いと思われてる点では、宗教者と宗教者が共にいると対立を生むという、排他的というのもそうだなと思って。

だからこそ、宗教者と宗教者が一同に会した時に、本当に対立を生むのか、お互いの宗教を自分が「何々教です」と言ったとしても、それに対して尊重し合うとか、一堂に会したとしても対立しないという姿を日本の社会で見せていくことができないと、解決できないだろうなと思って。

悪いイメージをどう払拭していくのかは難しいと思うんですけど、すごく大事だなと思いました。

小嶌希晶さん(家庭連合、二世の会代表)
今、二世の会でも、他宗教との交流をどうしていこうか、みたいなことは進めていて、創価学会だったりとか、いろんな宗教の人たちと、二世同士ですけど関わっていく中で、結局、信じてるものが全然違うんですよね。そういう中で手を取り合おうとした時に、やっぱり大事になってくるのは共通性だと思っていて。

違うのは当たり前だし、それを改宗させようとか、同じ考えにしようとかするから分裂が起こるし。うちも分派とかあるし。家族の中で宗教が違うとかもあるじゃないですか。

この根底に、命よりも大事な宗教が違う、ってことの苦しさって、どこまでもつきまとっていて。

そういう時に、どうしたらいいかというと、共通の部分を一生懸命見つけて、ここだったら手を取り合える、ここだったら分かり合えると言って。

寛容性とか多様性とか認めつつ、人の気持ちも汲み取りながら手を取り合って活動してくっていう。

信じているからこそ、できること、見てほしいっ、ていうのを模索中ではあるんですけどね。

F男さん(新宗教、元役員)
私はなぜ、ここにいるかと言いますと、3年ぐらい前から「来い来い」と言われていて、こちらの教会に来て、「じゃ、F男さん、原理講論を勉強しなさい」と言われて、ビデオとか見せられて、眠くなったりするんですけど、通ったんですよ。

教義が分かると合同結婚式が分かる

それで合同結婚式が初めて分かりました! 聖書にあるように、アダムとエバがヘビに唆されて、そのサタンのマイナス要素を受けて、そこから人類が繁殖したんで、それを文鮮明先生によって新たに結婚して祝福を受けるんだ、ということを僕が60歳超えて初めて知ったんですよ。

なんでこれを、合同結婚式、祝福をもっとアピールしなかったのと思いました。

一般の目から見ると、複数の夫婦が大きな会場で結婚式をするのは異常なんですよ。

小嶌さん
え〜、異常ですか?

F男さん
異常ですよ! でも教義を知って、何千年もの長い歴史の中でそういうことが培われてるんだと教義を理解したので、私は理解できた。

だから良い悪いじゃなくて、教義の理解ができると合同結婚式の祝福が分かってくるんです。

だからアピール、広報説明をする責任が問われてるんだっていうことを知った方がいいですよ。

あっ、それから。せっかくだから今度若い人たちを連れてきますね。

A子さん
お願いします!

小嶌さん
二世というか、20代の人か30代とかって結構多いですか?

F男さん
結構って、皆さんとは分母が一桁二桁ぐらい違うので。でも、活発にやってますよ。

小嶌さん
具体的にどんなことを熱心にしてるんですか、若者たちは?

F男さん
ちょっと宗教団体の性格が違うんですよ。うちはどちらかというと医者に近いんです。政治色はほとんどない。宗教遍歴をしても助からない人が最後に来るところなんです。

どうやって人と関わり合うか、どういう接し方をしていくか、生活に関わり合っていく。私も今、借金苦の人を3人ぐらい見ていて、家計までつけて。あと男女問題とか、そこまで関わらないとダメなんですよ。

中川さん
人生相談をね、例えば学校で悩んでる子は、心のカウンセラーみたいなことで、心理アドバイザーに学校は繋げれば、それが解決なんですよね。

要はその専門家で、宗教者じゃないんですよ。でも神学研究所の所長に、その話したら、中学生とかが悩んでる、どう生きるのかとか、何のために生きるのか、ということに、心のカウンセラーがどういう答えをするかって、多分、気分を楽にするとか、気持ちを向上させるとかで。でも、そうやって気分をよくしてもらいたい訳ではないんですよ。

悩んでる子って、何のために生きるかの答えを自分なりに掴みたいとか。そうすると、本来そういうものを用意してるのが宗教者ですよね。だから本来は宗教者がしなきゃいけないことなんだけど。

それで所長に、「どうしたらいいんだ」って言ったら、対話するといい。対話するとね、みんな見える、ダメなところも見える。

この場も対話ですからね。だから、こういう対話をするというのが一つの解決だと思う。

C男くん
塾のバイトをやってるんだけど、2月だったかな、塾長に自分の信仰を言う機会が与えられて。

それで、かなり緊張してたんですけど、証した時に、その方も実家の方で日連系の仏教を信仰してるっていう話をされてて、「小さい頃はお経とか読んでた」という話もされて、「何かしら宗教団体だったり、教えとか持ってた方がいいよね」って感じで、すごく理解してくれて、結構、宗教者同士は分かり合えるんだなって思いました。

逆に何も持ってない人だったら、ただ排除するだけという感じになっちゃうんですけど。そういう意味で、希望が見えたというか、対話できるなっていうのをすごく感じました。

宗教者としての謝罪と償い

それと宗教の良いところをもっとアピールしていくって話があったけど、トラウマを癒すという観点から考えてみた時には、それだと受け入れられないんじゃないかなって、個人的に思って。

なんか悩んでいる人だったり、傷を負ってる人に「こうしたら良いよ」とか「こういうものがあるよ」というものを見せても、多分飛びつかないというか、心を塞ぐだけじゃないかなと。

例えば、傷を負ってる人に、謝罪というか、何かしらの形で償うというか、そういうのは一つの機会として、区切りとしては必要なのかなって思ってて。

それをした上で、「これからは本当に社会のために良いものを貢献していきます」とした方がいいのかな、と思ったというか。

例えば宗教者が集まってオウム事件に対して総括をして、他の宗教団体ではあるけど、宗教界全体として日本社会に責任持って謝罪します、と。

叩かれるかもしれないけど、そういう何かしらの機会は必要なのかなっていうのは個人的に思いました。

中川さん
僕の先代の牧師は、誰もやる人がいなくて、どうしても必要で、誰もやる人がいなかったら、神様が「お前がやれ」と言っているんだということを言われたんですよ。

だから今、拉致監禁問題で、牧師たちが監禁してたじゃないですか。誰もそれに対して何も言わない、だから、これは僕だなと思って。

僕はキリスト教会を勝手に代表して、僕が謝罪します、責任を持ちます、と言ってるんですよ。「勝手に代表するなよ」って言われたりもするけど、それってありだなと僕は思います。

B男くん
オウムの総括という意味で、謝罪するのはすごく大事なんですけど、家庭連合の立場としてやってしまうと、すでに過去の悪かったところがたくさん出てきてしまってるので、世間的にはやっぱり宗教はダメなんだ、となる可能性があるなと思って。

それで思ったのは、宗教者として、いろんな宗教の人たちで集まって、世間に対して謝罪する。宗教で悪いことが起きてしまったという事実に対しては謝罪するけど、信仰を持つことに対しては、自分たちが守りたいものがあるというのは伝える。いろんな宗教の人が、手を取り合って社会に対する必要があるなと思いました。

G男くん(家庭連合、青年)
今日の資料の「マイノリティとは」の内容が印象に残りまして、「ハラール食がないと信仰守れない」ってことより、「給仕の人に原材料を尋ねることで、待っている人に申し訳ない思い」とか、「礼拝に他の人がいると落ち着かない」じゃなくて、「慣れていない人たちに不快感とか不信感を与えたくないから」と。日本は他の人に迷惑をかけないって、そうだなと思って。

信仰とか、「こういう考えを持ってる」ことを前面に出すよりは、マジョリティーの人に生じさせていることなどに対して、自分たちが先駆けて寄り添うようにしていくのが大事じゃないかな。

「マジョリティの人に迷惑かけるから、そういうことしません」でなくて、自分たちの持ってる信仰とかあるけど、「マジョリティにこういうところで迷惑かけてしまう」こともあるから、それを発展させていくために、「こういうことをやります」とかのアプローチが大事じゃないかな。

マジョリティとの不調和が生まれるような所では、自分たちが先駆けて、昇華できる形で解決案を提示していく必要性があるんじゃないか、と思いました。

B子さん(家庭連合、婦人)
私は家庭連合の災害支援のボランティア活動に参加しておりまして、3月9日から12日まで、能登に行ってきたんですよね。

そこではクリスチャンの方とか、いろんな宗教団体の方たちもいらっしゃるんですけれども、なんていうか「家庭連合さんなんだ」みたいな、ちょっと引かれるんですけど。

でも、被災者も家も、本当に悲惨な状況なので、被災者の方たちも、まだ心に傷を負ってらっしゃるし、状況もひどいので、みんなやっぱり力を合わせてやるじゃないですか。

それで、最後にはみんなで祈りを捧げたりするんですよ。それで「家庭連合さん、色々聞いてたけど若者たちがすごく頑張ってるね」みたいに言ってくれたりして、こうして一つになれる機会があるんだな、と感じたということと。

あとは、他の信仰を持たれる方たちとこうして交流ができて、対話ができるって素晴らしいなと思うので、意識を広めて、この場に知り合いの宗教者の方にも参加していただくとかが、私ができる、まず第一歩かな、と思います。

H男くん(家庭連合、大学生)
みんな何かしらのマイノリティかなと思って。例えば家族とか。マイノリティのよさは小さいコミュニティだからこそ、絆が強くなることがあるなと思って。

まず小さいコミュニティから良い絆を築いて、それを外に広げていくためにっていう姿勢を忘れないようにしたいなと。

C子さん(家庭連合、婦人)
初めて参加させて頂いて、こういう場があるって、とても素晴らしいことで、これをもっともっと拡大していったら、素晴らしい「うねり」になっていくんじゃないかな、と感じました。

とも
皆さん活発な意見をしてくださいまして、ありがとうございました。

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