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オフコース アルバム「over」その4 「ひととして」

オフコースのアルバム「over」のA面4曲めは、小田さんの「ひととして」です。

この歌は鈴木さんの「君におくる歌」を受けての小田さんの答えなのでしょう。更に、オリジナルアルバムとしては前作である「We are」に収録されている「僕等の時代」の続編という位置付けでもあると思われます。

アルバム「We are」制作時、小田さんは鈴木さんの異変を感じ取っていたと思います。長年一緒に音楽活動をしてきた二人ですからね。だからこそ小田さんは「ようやく僕等の時代が来たんだ。これからも一緒に歩いていこう」という鈴木さんに対する呼びかけの意味も込めて「僕等の時代」を歌ったのでしょう。


僕等の言葉に耳を傾けて

もちろん、鈴木さんにだけではなく、二人時代のオフコースファン、まだオフコースを知らない人々たちにも「今の俺たちの音楽をきいてくれ」という強烈な自信があったはずです。

したがって「We are」というアルバムタイトルは「僕等がいる」「これが今現在のオフコースサウンドだ」という意味を込めてオフコースというバンドの存在証明だったと思います。

しかし、鈴木さんの脱退宣言、「We are」ツアーの終了、鈴木さんの脱退の意思がメンバー共有になるという時系列的流れがあり、契約の遂行のためのニューアルバムの制作開始をしなければならない時が来ました。

ニューアルバムタイトルをどうするかとなった時、「前作を越えなければならない」「鈴木さんの脱退を乗り越えていかなければならない」というテーマがあったと思われますが、それなら「Over」や「OVER」で良かったはずです。しかし、敢えて小文字の「over」をタイトルとしました。それは前作「We are」との連続性と飛躍性をもたせると同時にオフコースの解散の可能性をも表現するためだったのではないかと思います。

この「ひととして」という作品は、このような「越える」と「終わる」の意味が込められた曲のように思えます。

当時、小田さんはインタビューで「自らを“超えて”いくことを“over”のタイトルに込めた」と答えています。
鈴木さんは後に「55年から57年にかけて出したアルバムタイトルが『We are』『over』『I LOVE YOU』だったのは、もう僕ら(We are)はおしまい(over)。みなさんを愛しています(I LOVE YOU)という気持ちだったから」と述べています。

小田さんは「越える」を意識し、鈴木さんは「終わる」を意識していたんですよね。

このように「We are」の核が「僕等の時代」であり、「over」の核が「ひととして」だと思えてなりません。


何処かでいつかは
会えるかも知れない
もう何もきかないで
ためらうこころ消えた
もう何もいわないで
あなたを忘れない
さあもう 僕等はゆくよ

「僕等の時代」では「僕等の言葉に耳を傾けて」と歌ったのですが、ここでは「もう何もいわないで」「ためらうこころ消えた」「さあもう僕等はゆくよ」と歌われています。

「over」のジャケット

これはアルバム「over」のジャケットですが、この写真は「We are」ツアーでの「僕等の時代」を歌っている時の後ろ姿なんですね。

つまり、僕等が存在(We are)し、その確かに存在した「僕等の時代」が終わり、去っていく彼らの後ろ姿、それがアルバム「over」であり、僕等はゆくよと言って去って行く後ろ姿を歌ったのが「ひととして」だったのでしょう。

5人のオフコースの最後となった82年6月30日武道館最終日。この「ひととして」は本編アンコールを通して演奏されませんでした。公演の終演後、武道館の会場に残った観客に退場を促すアナウンスとともにテープで流されたのが、この「ひととして」でした。


さあもう 僕等はゆくよ

この曲の後に、全てを肯定する「YES-YES-YES」が続けて流されたのです。

こうして5人のオフコースは僕等の前から消えてゆきました。


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