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オフコース 小田和正&鈴木康博 「HERO」その2 小田さんと財津さんと拓郎さん

9月19日にNHKで放映された「僕の“最後の歌”を届けたい〜財津和夫 TULIPラストツアー〜」を観ました。

私もチューリップや財津さんはよく聴いていたので、ラストツアーということに残念な想いを持って同番組を観ていました。その中で小田和正さんがインタビューされていました。小田さんと財津さんはアマチュア時代から交流があり、そのことはファンの間でもよく知られているところです。

同番組でチューリップのデビュー当時について小田さんは次のように証言されていました。

「レコーディングをしているというウワサを聞いたので、どんな曲をかくのだろうなって思ってましたけれども、ある時、僕が東京から横浜へ帰る途中、ラジオで (吉田) 拓郎の番組を 聞いていたところ「それでは話題のTULIPのデビュー曲、魔法の黄色い靴」

あのイントロが始まってビックリして「そう来たか」

そもそも僕は転調が大好きだったので、転調につぐ転調、あの展開に本当にビックリしたし、こいつ才能があるな! すごいな! と思いました。」

この小田さんの証言で私が注目したのは

「東京から横浜へ帰る途中、ラジオで(吉田)拓郎の番組を聞いていたところ」

です。これはオフコースの「HERO」にある


走る車に流れる声
ききなれたその声
思わず耳を澄ませば

という情景描写そのものだと思いました。やはり小田さんは拓郎のラジオを聞いていたんですね。機会が合えば、車で拓郎のラジオを流していたことが判明したことは私にとっては大きな収穫でした。

財津さんがチューリップとして「魔法の黄色い靴」を発表したのが1972年6月。拓郎は1972年4月にパックインミュージックのパーソナリティに就任していました。拓郎はこの分野でもパイオニアなんですね。

小田さんの証言は時系列的にも正確だと思います。拓郎のラジオで交流のあるチューリップのデビュー曲を知ったということは小田さんにとっても印象深い出来事だったのでしょう。

ということで、オフコースの「HERO」は吉田拓郎のことだと改めて思った次第です。

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