鬼殺隊の最終選別と特攻隊
初めに
最終選別や那田蜘蛛山編(アニメ1期)までのネタバレが含まれると思うので、あらすじレベルのネタバレもみたくない方は、本編を読んだあとに来てください。
あくまで、個人の感想。
鬼殺隊の入隊試験や下位の隊員が、戦時中の特攻隊と大差ないように感じるのが苦手。作品というか、作品中の組織体制への不満。
連想した戦時中のエピソード
なんとなく、第二次世界大戦期の人員を使い捨て同然にしていた日本軍を重ねて思い出した。
当時の海上の空中戦で飛行機が撃墜されたとき、敵国は墜落した兵士を潜水艦で回収していたけど、旧日本軍は回収しなかった。
自力で自国領まで泳いでたどりつくのと、墜落時に負傷していても近くに回収してくれる自軍がいるのとでは、生存率が違う。
飛行機を飛ばせるようになるのにも訓練が必要なのに、一度の撃墜で兵士を使い捨てにしてるように感じた。それだけでも自軍の死者を増やして、自軍の戦力を低下させてそうな戦時中のエピソード。
人員を大事にしない組織は嫌い
たとえば、同じジャンプ系の作品のNARUTOとかは、最初から下忍になってすぐ任務を受けるチームを組まされている。(下忍3人に上忍1人で1チーム)序盤は、簡単そうでも必ずカカシ先生(上忍)がナルト達(下忍)の見張りやサポートなどをしていた。(危険度をかんがみて、階級によって受けられる任務も決まっていたはず・・・。猫探しとかでも、チーム連携してた。)
これは、人員の育成と可能な限り人的損害を出さないようにされたシステムだと思う。けど、鬼殺隊は酷い。
不満点を上げると
鬼殺隊になる試験が、ほぼ「失格=死亡」
候補生によっては鬼とまともに相対したこともないのに、いきなり鬼の中に放り込む。
恐怖やトラウマで動けなくなった受験者へのフォローもない試験(人手が足りないとか言うけど、試験官、もしくは監視役つけましょう。試験者20人ぐらいなら、那田蜘蛛山編で、30人ぐらい隊員死んでるってことは不可能ではなかったのでは?)
見た目で強さを判断してはいけない鬼がいるのに、基本一対一。
数の利をとらないと勝ても、逃げも、できないような鬼との闘いでも、1人で戦わせるので死亡率が上がっている。(戦略的撤退もなく全体の戦力がなくなる。逃げれた隊員から敵の情報が得られる場合も増えたはず)
簡単に切り捨てるような人材ではなかったのではないのか。
主人公は2年間、山にこもって修行をして試験に送り出されたわけだから、他の受験者も似たような内容と修行期間を経て試験に挑んだはず。つまり隊員候補の育成にそのくらいはかかるということなのに、駄目だったら死ぬ試験とか、そんなの人手不足にもならないほうがおかしくないですか。20人以上受けて合格者5人が多いとか、見直しが必要すぎると思う。(不合格者は、来年以降はほぼ不参加=すでに死亡)
数百年は続いてた組織だったようですが、誰も組織体制を改革をしなかったのがすごく残念。強大な敵ならなおさら、数と質を保ち続けないといけなかったと思うので、こんなに長く無残を追い詰められなかったのは単純に数が足りなかったせいもあるのでは?
大正時代は、第二次世界大戦より前だし、令和になっても心身を削るように働かせる会社や、社会のルールが残っているぐらいには日本人の気質に関わる部分かもしれないけど、可能な限り人材を大切に育てて、守ろうとしないといつだって手数も人員もなくなってしまうと思う。
断り
ファンブックとか詳しく読んでいるわけではないので、間違っている部分があればごめんなさい。
生活費の足しにさせていただきます。