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能登半島地震録 富山から(その1)

 令和6年能登半島地震について、現段階での僕自身の体験や感想を書いておこうと思う。これは自分自身への記録として書く。そして、災害発生からまだ7日目であり、現在進行中の激甚災害であり、まだ多くの方々の安否が確認されていないし、おそらく瓦礫の下で救助を待っている灯のような命が数多あることが想像されるからこそ、今書いておこうと思う。能登半島輪島市から120㎞ほどの距離に住む、北陸人としてのメッセージである。

 元旦の16時少し前、村の神社での新年祭から帰宅し着替えを終えて、2階の書斎の机に座ったところで目の前の窓ガラスがカタカタと音を立てた。「うむ?」と感覚を澄ませると、家が微かに揺れている。妻の居る隣のリビングに「地震じゃないか?」と言いに行ったところで、とても大きな揺れが来た。クラシック音楽のフォルテがフォルテシモに変化するように揺れは大きくなり、私はまず目の前でグラグラ揺れて落ちそうになっている32インチのテレビを支えた。妻は愛猫を抱きかかえ、「1階に行った方がいいかも」と言って階段を降りていった。部屋に残った僕は、壁際にある2.5mほどの高さの大きな本棚を押さえつけた。本棚にはガラス戸があったし、これが倒れたらヤバいと思ったからだ。揺れは長く感じた。「このままでは家が倒壊するかも」という思いが脳裏をかすめた。それでも必死で本棚を支えていた。潮が引くように揺れが徐々に収まった。慌てて階下に降りて、父と妻、愛猫が無事かを確認した。86歳の父は「こんな大きい地震は生まれて初めてだ!」と顔を真っ赤にして叫んだ。
私が住む富山県は地震の少ない地域だった。埼玉と東京で大学生活を送った私は、上京した頃、ちょっとした地震があるたびにかなり驚いた。それほど自分の経験の中で地震というものの経験は無いに等しかった。もちろん、阪神淡路大震災の時も、東日本大震災の時も、富山はそれなりに揺れた。しかし、やはり震源から遠かったので、震度3か4だったと記憶している。今回は、そんなものではなかった。
 停電もなかったので、すぐにNHKを入れる。地震速報が流れている。女性アナウンサーが「津波が来ます。とにかくすぐ逃げて!」と繰り返し絶叫していた。震源は能登半島沖らしい。なるほど近かったのだ。その後も、繰り返し断続的に揺れが来た。横揺れの感じもあれば、下から突き上げるような感じのときもあった。幸い、本震のような大きな揺れにはならなかった。しかし、揺れに敏感になると、揺れていないのに揺れているような、「地震酔い」のような感覚になった。テレビはどこのチャンネルも地震のニュースしか流れていない。山内アナ(と後から知った)が「すぐに高台へ逃げること!」と必死で連呼するのを聞きながら、とにかくNHKをずっと見ていた。私が住んでいる地域は震度5弱だったと知った。
 自宅は築60年の瓦葺き木造2階建て家屋である。15年ほど前に1階の台所や風呂をリフォームしている。タカラスタンダードの風呂場ユニットは震度6にも耐える耐震構造だと言われ、改築した時は(地震の時には風呂場に逃げればいいな)と思っていたが、今回は思い出しもしなかった。我が家の構造上の問題なのかは分からないが、とにかく1階に比べて2階の揺れが大きいことが分かった。その後の余震でも、1階ではさほど感じないが、2階に居ると明らかに揺れる。現在の耐震基準には全く対応できていない。本震の揺れ具合から考えれば、震度5弱であの揺れ方であれば、震度7なら間違いなく倒壊するだろう。輪島、珠洲で家屋倒壊が多数出ているのは容易に想像できた。
 後日、富山市内の10数階建てマンションに住んでいる複数の知人の被害状況をLINEやFacebookで知ったが、高層階なので揺れが酷く、家具の多くが倒れ、荷物が散乱しカオス状態だったという。中には棚が倒れて部屋のドアが開かず、ドアを壊してやっとの思いで中に入ったという人もいた。耐震基準を満たしている新しい高層マンションでも、揺れの被害は免れないということを改めて感じた。
 能登半島地震で真っ先に気になったのは、やはり志賀原発である。不幸中の幸いにして、志賀原発は稼働停止中だった。それでも変圧器の大量の油漏れ等の被害は報告された。もし稼働中だったら、と考えたらぞっとした。日本はいつどこで地震が起きてもおかしくない「地震列島」である。今回は日本海側であったが、一部の研究者には南海トラフ地震の前兆であると言っている人もいる。こんな国に本当に原発が必要なのか、稼働することが正しいのか、改めて考えさせられ、やはりどう考えても原発稼働は認められないという思いを強くした。

 それにしても余震が断続的に続いている。小さなものはほぼ毎日頻発に、そして震源から120キロ離れた富山の拙宅でも明らかに揺れを感じる中規模の地震が、2、3日ごとに発生し続けている。特に仕事や日常活動が少ない夜間では、その揺れ方は敏感に感じられる。富山でさえこれだけ不安に感じるのである。ましてや、能登地方で被災し、飢えと寒さに襲われながら避難所にいる方々の不安や恐怖感は計り知れないだろう。おそらくまともな眠りも取れていないのではないだろうか。余震を感じるたびに、被災者の方々の絶望的な心情を思わずにいられない。これ以上被害を拡大させないためにも、何とか余震だけでも収まってほしいと心の底から願っている。

(後日の「その2」に続く)

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