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バッタ待った待って

今日、カーラジオを聴いていたら、「こども音楽コンクール」で文部大臣賞を取ったという、小中学生の合唱やら合奏やらを紹介する特別番組が放送されていた。

懐かしい。
これは全国のTBS系列のラジオ局が主催する大会で、通常は予選から各校の演技が放送されている。
東京では日曜の早朝である。

なのでわたしはまず聞くことがないのだが、それでも懐かしいと思ったのは、実は遠い昔の小学校時代、わたしはこの大会に出場したことがあるのだ。

小学校の5年か6年の時だったと思う。
ある日、各クラスの4〜5人が音楽室に呼び出された。
音楽の先生は、暮沼先生という大学出たての若い女性で、市内の音楽会に出る学校代表を選抜したいとのことであった。

で、パート分けを兼ねて、一人一人先生の前で歌わされたのだが、この時わたしは一生のトラウマとなる一言を浴びることになる。

「タグチくん、声はいいんだけど、音程がねぇ・・」

結構ひどい感想だと思うのだが、まぁ昭和40年代の末、今話題の「ふてほど」のさらに前である。
暮沼先生に恨みはない。

それに、不思議なことにわたしは選抜を通過して、音楽会に出た。
合唱なので、一人くらい音程が外れてもいいやと思われたのかもしれない。

先生が選んだのは「バッタ待った待って」という摩訶不思議な曲で、ひたすらバッタに向かって、待て、一緒に遊ぼう、と呼びかけるという内容であった。
結局わたしも何とかついていけたのだから、そんなに難しい歌ではなかったのだろう。

無事に音楽会を終了すると、再び一同は暮沼先生に呼び出された。

何でも、先生としては不完全燃焼なので、もっと上の大会を目指したい、とのことであった。
この先生、身長は150cmなくて、小学生女子とたいしてかわらなかったのだが、内に秘めた情熱は大きかったのである。

そして、次なる目標として提示されたのが「こども音楽コンクール」だったわけだ。

今回は、自由参加だったので、別に音程の不安なタグチくんは出なくてもよかったのだが、何といっても、選抜された中に初恋のタエコちゃんがいたので、毎日放課後に居残り練習することにした。

わたしのモチベーションなど昔からその程度のものなのだ。

で、驚くべきことに我らが「バッタ待った待って」は、なんと地区大会を突破して東日本大会に進み、わたしは虎ノ門ホールの舞台に立ったのである。
何がよかったのかはよくわからない。

もちろんラジオ放送もされた。

その時の放送日と放送時間を伝えるために、タエコちゃんがくれたメモはしばらくわたしの宝物であった・・。

というような思い出が車の中で蘇った午後だった。
件の歌は、このネット時代、何度も検索してみたのだが、全く出てこない。
幻だったのかもしれない。


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