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はいポーズ

結婚以来、年に一度、連れ合いと、わりとちゃんとした記念撮影をしている。

当初は結婚記念日ということで、10月に撮っていた。
始めの何年かは日付にまでこだわっていた様に思う。

その後、新鮮味というか、意気込みみたいなものが薄れてくると、わたしに何かの都合があるとか、連れ合いが美容院に行ってからにしたいとか、たいてい記念日には間に合わず後回しになることも多くなった。

それで11月に入ると、今度は写真館の方で七五三の撮影が忙しくなって、予約が取れなかったりして、結局さらに先送りになる。

さすがに年を越すことはないが、ここ十年以上は、年末の恒例行事として定着して、今に至っている。

今日はその撮影に、もうすっかりなじみになった近所の写真館に出かけて行ったのだ。

                      

さて、結婚した頃、毎年写真を撮ろうと言い出したのはわたしである。
あの時は例えば子供ができたり、あるいは孫ができたり、その度写真に写る家族が増えていくのも楽しいのかななどと思っていたし、毎年頑なに同じポーズで(できれば同じ服装で)写真を撮れば、何か前衛的な意味合いがあるかな、なんて馬鹿なことも考えた。

ところが夫婦は子供は作らなかったので、結局今に至るまで写っているのはずっと2人きりだし、写真館の主人が都度違うポーズを要求するので、年によって立っていたり座っていたりで、一貫性がない。
当初の目論見はすぐに破綻した。

ならば毎年この日に、お互いに感謝するとか、己らの人生を見つめ直す機会としようとか、そういう意味合いが生まれてきたのかといえば、残念ながらそんなことも全くない。

今は大掃除と一緒で、さほどの意味もなく、ただこの時期だからていうことで、カメラの前に立つ。
せっかく撮った写真も、前の年と同じものを着て行かない様に確認するためにしか見ない。

大いなる惰性である。

                      

ただまぁそういう時、今年の2人と、去年の2人を比べてみてもたいした違いはないけれど、10年前、30年前とはやはりだいぶ変化があって、有り体にいってお互い歳をとったことには気がつく。
自分の頭髪が明らかに寂しくなっているのを確認するのは、あまり嬉しいことではない。
老眼鏡を常用する様になった年も、図らずもこの写真で知ることができる。

そうそう、歳をとったのは、撮影してくださる写真館のご夫婦も一緒だ。

最初の頃には職人的に、顔馴染みになってからは、いろいろ世間話をしながら、いつも念入りにシャッターを切ってきてくださったが、ここ数年はだいぶ手順が曖昧になり、撮影時間も短くなった。
多分、年齢からくる衰えで撮影に対するこだわりが薄くなっているのだと思う。

それはそれで仕方ないだろうし、この写真館自体、割と大きな持ちビルにあるのだけれど、大家として貸し出すスペースが年々大きくなって、今はスタジオと小さな売り場が残るだけである。

早晩無くなってしまう可能性も大きい。

結婚したのはわたしが30の年だから、たいそうなアルバム様に仕立てられた写真が32冊、うちの本棚に並んでいる。
さて何冊まで並ぶのか、並べられるのか。

あと、どちらかが1人になったときには・・、まぁそこでこの習慣も終わるのだろうな。



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