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ついて来れる人だけ読めば良い。

正しいかどうか、まったく自信がないので、与太話だと思って欲しいのだが、ハンガリーでは塩のことをシオという。

                  

わたしの父親は全逓(郵政の組合)出身の筋金入りの活動家であった。
何しろ若い頃は、資本論を訳した向坂逸郎という学者のところで書生まがいのことをしていた、というのが自慢だったから、これはもう本物である。

こういう話を書いても、多分同世代の方でもついて来られる人は少ないと思うのだが、この全逓、向坂逸郎というラインは当時の社会党の最左派である「社会主義協会」の流れをくんでいる。

これは下手すると共産党より左の人たちで、全国の労組をガッチリと固めた実戦部隊だった。
まぁ父はそういう人であったわけだ。

ただ共産党と違って、社会主義協会はソ連とイデオロギーで喧嘩していなかったから、父親もソビエトをはじめ東欧諸国にはシンパシーがあって、その関係でうちには「今日のソ連邦」という、プロパガンダ用のグラフ雑誌が山ほどあったりした。

ヤフオクを見たら、結構出品されておる。

さて、そういう状況だった70年代の半ば、その父親が何かの拍子にどこかの労働団体の東欧視察団に参加して、モスクワからハンガリーまで旅行したことがあった。

海外旅行もそこまで一般的ではなく、ましてや共産圏にいくなどというのは、相当珍しかった時代のことだった。

                  

その時の土産話が冒頭の文章につながるのだ。

季節は夏。
父は出されたスイカに塩をかけて食べた。
すると周囲のハンガリー人が、一斉に「シオ」「シオ」と言い出したというのだ。

ややこしい話だが、ハンガリーではスイカに塩はかけない。
そこにいきなりやってきた東洋人が塩を振りかけ出したのを見て、この日本人は、スイカの甘さが足りないので、砂糖をかけようとしたのだと、そして、砂糖と塩を間違えているのだと、彼の国の人は考えたらしい。

「それは砂糖ではない塩だ」の意味の「シオ」「シオ」であった。

                  

以上、風待ちさんの文章を読んで、不意に思い出して書いたのだが、

結果、風待ちさんの話とも関係なく、思い出話というにも随分中途半端な文章になってしまった。

ただ、「今日のソ連邦」が意外に国内に流通していたのだと、それが分かったので今日はよしとしよう。


(追記)
やはり自信がないので、塩 ハンガリー語で検索してみたら、もう少し込み入った言葉が出てきた。
どうも塩そのものを「シオ」とは言わないらしいが、面白さということではこちらの方が面白い。興味があったら検索してみてください。
(追記2)
自動読み上げで発音を調べてみたが、シオというよりショと聞こえるなぁ


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