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願い事

七夕の日はほとんど雨だ。

快晴だとして、県庁所在地在住、繁華街から四キロしか離れていない場所に住んでいるのでは天の川は見えない。

私の学力のピークは幼稚園の年長だったと思う。
高校受験に失敗した母が学歴コンプを娘にぶつけた。
三歳から公文を初めて、幼稚園の教室でカレンダーの皆が分からない漢字、株式会社かぶしきがいしゃを読み上げ、賞賛を浴びた。
幼稚園の親と先生の日誌は全て読めており、先生は私が遊んでいて膝を擦りむいた事、まで親に報告しなければいけないなんて大変だな。と幼稚園の先生にだけはなりたくないなと思った事も覚えている。

七夕を行事として大々的にやるのは幼稚園で最後ではなかろうか。
先生が裏山から取ってきた笹に、皆で飾り付けをし、願い事を書く。
その時はセーラームーン全盛期である。
勉強が出来た事で、自尊心が変な形に肥大した。
お友達がセーラームーンになりたいと書くのを、心の中で、存在しないものになれるわけないのにとバカにしていた。
かといって、集団生活を拒否出来るほどの頭の回転はない。
親や先生に見られても心配のない短冊にする為、お花屋さんになりたい。と思ってもいない事を書いた。

時が流れた。
弟が出来て、母親は勉強に付きっきりでは無くなった。勉強を楽しい、ではなく、恐怖と支配でやらされていた私はあっという間に出来なくなった。
賞賛の記憶だけは消えず、私はやれば出来る、本気出していないだけとの自尊心が残った。
実際は、漢字検定は準二級止まり、中学の成績は中の下、私立高校に行けば新聞配達をさせる。
との脅しを受けて、偏差値50の公立高校に行くのが自分の精一杯だった。

七夕にそうめんすら食べないが、短冊に願うとしたら何を願うだろうか。
夫と二人暮らし、お互いに夢中で引き離されてしまうほどの情熱も、一年に一回の身が焦がれる気持ちもないが、それぞれが生活の一部である。
不妊治療中の専業主婦と自分の立場を考えると

「夫が健康で不妊治療がうまく行き、宝くじ五億円が当たりますように」

メルヘンさはまるでない、現実的かつ、汚い大人の欲望しか出て来ない。


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