温故知新力−因数分解は何の役に立つ?−
1 「因数分解は何の役に立つ?」
ある人がこんな発言をしていた。
「因数分解は何の役に立つのですか?」
確かにそう感じる人は少なくないと思う。
この発言を受けて、私は数名の友人に因数分解は役に立ってるか聞いてみると、「全然」や「因数分解ってなんだっけ?」という返答がほとんどであった。
この回答からも因数分解は実生活において幽霊のような存在であることがわかる。
しかし、こうした質問からわかるのは質問者には「温故知新力」が足りないことだ。
温故知新力を身につけることで学校の勉強が無駄でないことがわかるはずだ。
この文章では上記の質問が生まれる原因を温故知新力の説明を通して探っていき、最後に本当に因数分解が役に立たないのかを考えていきたい。
2 温故知新力とは1⃣ー知識の「概念」をつかむー
温故知新は孔子が残した有名な言葉である。
まず「古いことに習熟する」について述べたい。
これは過去の知識や知恵をしっかり学ぶことである。
学ぶことが重要なのはいつの時代も同じであり老若男女問わない。
これについては多くの人が認知していることだ。
学生であれば受験勉強、社会人であれば資格取得のため、定年を迎えた方なら生涯学習と様々な目的がある。
多様な目的があってもその作業は過去の知識を学ぶことに一貫している。
学ぶといっても温故知新力を養成するためにはただやみくもにしてはいけない。
しっかり学ぶ必要がある。
しっかり学ぶとはその知識のコンセプト、つまり「概念」まで掘り下げるて学ぶことである。
学校教育では公式を暗記し問題を解いていくスタイルが多い。
つまり、表面的な知識の吸収に終始しているのだ。
因数分解の公式を暗記したところで現実世界で現れることはほぼないだろう。
先の質問者が因数分解の学習を無駄だと思うのも無理ないことだ。
しかし、重要なのは公式よりもっと深いところにある「概念」をつかむことだ。
3 温故知新力とは2⃣ー領域を超えて活用するー
では、なぜ知識の「概念」と捉える必要があるのか。
それは「新しいことをわきまえる」ためである。
「新しいことをわきまえていく」とは、過去の知識や知恵をその分野の領域を超えて活用し新しい発見をしたり、生み出したりすることだ。
例えば経営者には『論語』の愛読者が多いと聞く。『論語』という哲学を経営という領域で活用することで新しいものを提供する。
まさに「新しいことをわきまえている」良い例である。
つまり、表面的な知識の暗記では領域を超えて活用することができないのだ。
だからこそ「概念」まで掘り下げる必要がある。
先の質問が出るもう一つの原因は因数分解を数学の世界でのみ活用しているからである。
ーある知識の「概念」を捉え、それを領域を超えて活用し新しい発見をしたり、生み出したりすることー
これが私の伝えたい「温故知新力」である。
4 因数分解は本当に役に立たないのか?ーいいや、世の中は因数分解で成り立っているー
まとめると、上記の質問が生まれるのは
1 過去の知識を表面上の暗記で終わらせていること
2 因数分解を数学の世界でのみ活用していること
この2点が原因である。
これはそのまま「温故知新力」不足であることを述べてきた。
それでは本当に因数分解が役に立たないのか考えてみたい。
数学における因数分解とは
「ある数学的事象をある別の因数の積で表したもの」
である。
数学の世界を超えて表現すると、
「世の中の現象をある視点から整理し明示すること」
といえる。
このように定義すると、世の中は因数分解だらけだ。
例えば「アルハラ」や「モラハラ」といった言葉は飲酒の強要、いじめや嫌がらせといった現象を切り取り、言葉で明示することで社会的課題としてはっきりと人々に認知させた。これは因数分解といえる。
打って変わって写真家の仕事も因数分解である。風景写真を撮る際には、連帯たる自然のある一部分にピントを合わせ美しい自然を写し出す。それを人々に提供する。まさに因数分解だ。
このように世の中には因数分解が溢れていることがわかる。
因数分解が役に立っているというよりも因数分解で世の中が成り立っているというほうが適切である。
「因数分解」だけでない。学校で学ぶあらゆる知識が身の周りと密接に関わっていることを考えると、勉強することの意義も感じられるはずだ。
学校の勉強に無駄なものはない。
それをどのように活用するかだ。
新しいものを発見する、生み出す瞬間は喜びである。
みなさんもぜひ温故知新力を身につけてもらいたい。
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