「キリストの霊」と「聖霊」
「キリストの霊」と「聖霊」
一般的に、霊と魂の区別がない聖書理解においては、人がキリストを受け入れるとき、聖霊が内住される、とされている。
イエスは弟子たちに対し、マタイ伝10:20で
「話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話される父の霊です。」
と教えている。
これは、後に弟子たちが総督や王、異邦人に対して証しすることを伝えた際に語っている。
マルコ13:11では
「連れて行かれ、引き渡されたとき、何を言おうかと心配してはならない。その時には、あなたがたに示されることを話せばよい。話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。」
と記述されており、この「父の霊」は「聖霊」であることに異論はないだろう。
もし、聖霊が「父の霊」であるならば、ローマ8:15、ガラテヤ4:6の「御子の霊」という記述をどう理解するべきだろうか。
「父の霊」が、「アバ」と呼びかけるのだろうか?
仮に、聖霊があるときは「父の霊」であり、またあるときは「御子の霊」であるとするならば。
それは「様態論」という教えで、一般のキリスト教においては異端とされる「ワンネス」だろう。
また、ローマ8:9では、なぜに「キリストの霊」という記述がされており、「聖霊」という言葉を使っていないのだろうか?
@ローマ8:9【協共訳】
しかし、神の霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉の内にではなく、霊の内にあります。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。
使徒行伝16:6-7では、「イエスの霊」と「聖霊」として、言葉を使い分けている。
これはなぜだろうか?
さて。
教父エイレナイオスは、「ロゴス:ことば」と「ソフィア:知恵」は神の両手であり、それは「御子」と「聖霊」である、と教えている。
そして。
@ヨハネ伝 8:17
あなたがたの律法には、二人が行う証言は真実である、と書いてある。
と書かれている。
私は、「キリストの霊/御子の霊」と「聖霊」は、それぞれ「ヤハウェの霊」であり、そして、この二つの霊が、キリスト者に内住される、と理解している。
なお本ブログの趣旨は、それぞれが自分の聖書理解を建て上げることであり、そのための「叩き台」として活用していただくことが目的である。
キリストの霊
ヤハウェ「父・子・聖霊」の第2位格「御子」
①「いのち」である方
「御子」の霊が、人に新しいいのちをあたえる。
「霊の救い」は、聖霊の働きかけにより、キリストが人の霊に入り、内住することである。
これは「御体に属するバプテスマ」であり、「聖霊によるバプテスマ」である。
@ローマ 8:9-10
神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。
キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。
@Ⅰコリント 15:45
最初の人アダムは命のある{生き物}となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。 *魂
②「子」としての立場を与える
@ローマ 8:15-16
あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。
@ガラテヤ 4:6
そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。
③御自身が生きてくださる
御子の信仰によって生かされている
@ガラテヤ 2:20
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた「神の子に対する信仰」によるものです。
田川訳「神の子の信において」
ESV「I live by faith in the Son of God」
@ガラテヤ5:22―23
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。
キリスト者は「霊の実」をつけることが望まれている。
この実は「単数形」であり、実はひとつ。
それはキリストである。同4:19では
「あなたがたのうちにキリストが形造られる」という表現がなされている。
④聖霊を与えてくださる
イエスは洗礼者ヨハネによって、〈聖霊によってバプテスマを授ける方〉として証されている。
(マタイ3:11、マルコ1:8、ルカ3:16、ヨハネ1:33)
また、イエスは御自分で約束されている。
(ルカ24:49、ヨハネ14:16-17、26)
*ヨハネ14:17「やがて来られる」
@テトス 3:6
神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。
⑤油注ぎ(任命)
油注ぎは「任命」「任職」「指名」。
@レビ 8:12 恊共訳
それから注ぎの油をアロンの頭に注いで聖別した。
@Ⅰサムエル16:12ー13 協共訳
12 エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。彼がその人である。」
13 サムエルは油の入った角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。この日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。
聖霊
ヤハウェの第3位格「聖霊」
@ヨハネ伝 14:16-17
わたしは父にお願いしよう。父は「別の」「弁護者」を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
「アロス」=「同質の別のもの」
「パラ・クレイトス」=「傍ら・呼ばれた」、「助け主」また「慰め主」
御子の受肉によって人としてのイエスになり、その人としてイエスの中に聖霊は内住され、イエスの内にあって人を経験され、イエスの昇天後に、イエスを証しされる霊として降られた(マタイ3:16-17、ルカ3:21-22)。
@マタイ伝 10:20
話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話される父の霊です。
①罪を認めさせる
@ヨハネ 16:8-11
その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。
「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる」(ローマ10:17)と書かれているとおり、語られた御言葉に働かれる聖霊によらなければ、誰一人として救われることはない。
@マルコ 3:28-29
よく言っておく。人の子らが犯す罪、どんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠の罪に定められる。
未信者が、聖霊によって「罪」「義」「さばき」を示されていながら改心を拒むとき、「聖霊を冒涜」している。結果として思い改め(メタノイア)がないため、永遠に赦されることがない。
②新しく生まれさせる
@ルカ 1:35
天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
聖霊が臨まれ、マリヤの胎に第二位格「御子」が入り、人となられた。
同様に、福音が語られる際に聖霊が臨まれ、人の霊に「御子の霊」が入り、新生させる。
@テトス 3:5
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
@ガラテヤ 6:15
割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。
③聖別する
聖霊は名前のとおり、「聖」であり、世からの分離を与える。
@エフェソ 1:13-14
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。
④力を与える
@ルカ 24:49
わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。
@Ⅱテモテ 1:7
神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。
*健全な、健やかな
⑤真理を教え、思い起こさせる。
@ヨハネ 14:26
しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
@ヨハネ 16:13-14
しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
⑥内住される。
@Ⅰコリント 6:19
知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
@Ⅰテサロニケ 4:8
ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。
⑦導きを与える。
@ユダ 1:20
しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。
霊にあって生かされる
@Ⅰテサロニケ 5:19
霊を消してはなりません。
霊(the Spirit)を〔消して〕はいけない。
他訳:抑制する、静める、冷却する、黙らせる
追記①
モーセの幕屋は「大庭・聖所・至聖所」の三部構造であり、それは人の「体・魂・霊」に該当している。
幕屋の備品の内、純金(神性の意)で造られている器具はふたつ。
ひとつは至聖所のヒラステリオン(贖罪蓋)であり、ひとつは聖所のメノラー(七枝の燭台)である。
①ヒラステリオン
@出エジプト25:17‐21
贖いの座を純金で造りなさい。その長さは二アンマ半、幅は一アンマ半である。
そして打ち出し細工で、贖いの座の両端に二つの金のケルビムを作りなさい。
一つのケルビムを一方の端に、もう一つのケルビムを他方の端に取り付けなさい。すなわち、贖いの座の一部として両端にケルビムを取り付けなさい。
ケルビムは両翼を上に広げ、その両翼で贖いの座を覆い、互いに向かい合って、ケルビムの顔は贖いの座に向いているようにしなさい。
あなたは贖いの座を箱の上に置き、箱の中に私が与える証しの板を納めなさい。
私はそこであなたに臨み、贖いの座、すなわち証しの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために命じるすべてのことをあなたに語る。
@ローマ3:25
神はこのイエスを、真実による、またその血による贖いの座とされました。それは、これまでに犯されてきた罪を見逃して、ご自身の義を示すためでした。
@ヘブル9:5
また、箱の上では、栄光のケルビムが贖いの座を覆っていました。これらについて、今は一つ一つ述べることはできません。
契約の箱は、十戒の石板、アロンの杖、マナのツボ、が入れられ、アカシヤ材を金で覆って造られているが、ヒラステリオンは純金。
ヒラステリオンは、イエス・キリストの神性のみを主張している。
(そこに二体のケルビムがあるのは、極私的には、それはキリストと一体化されたエロヒムであり、イスラエル人と異邦人からなる、キリストの花嫁であるエクレシア、と)
これは「キリストの霊」であり「御子の霊」。
②七枝の燭台
これは純金で造られており、七つの火が灯る。
@出エジプト25:31‐40
純金で燭台を作りなさい。その燭台の支柱と枝は打ち出し細工で作りなさい。節となる萼と花弁はそれと一体でなければならない。
六本の枝を両脇から、すなわち、燭台の三本の枝が一方の脇から、また燭台のもう三本の枝が他方の脇から出るようにする。
一本の枝には、アーモンドの花の形をした萼と花弁から成る三つの節があり、他の枝にもアーモンドの花の形をした萼と花弁から成る三つの節がある。燭台から出る六本の枝は、いずれも同じようにする。
また、燭台の支柱には、アーモンドの花の形をした萼と花弁から成る四つの節を付ける。
すなわち、一体となっている一対の枝の所に一つの萼を、次の一体となっている一対の枝の所に一つの萼を、さらに一体となっている一対の枝の所に一つの萼を、燭台の支柱から出ている六本の枝の所に付ける。
これらの萼と枝は燭台の支柱と一体で、全体は一つの純金の打ち出し細工でなければならない。
また、七つの灯皿を作り、その灯皿を上に載せて、前を照らすようにする。
そして、芯切り鋏と火皿を純金で作りなさい。
燭台とこれらすべての祭具類を一キカルの純金で作らなければならない。
あなたがこの山で示された型どおりに、注意して作りなさい。
@出エジプト27:20
あなたは、イスラエルの人々に命じて、オリーブの実を砕いて採った灯のための純粋な油を、あなたのところへ持って来させなさい。灯を絶えずともすためである。
@出エジプト37:17‐24
また、純金で燭台を作った。その燭台の支柱と枝は打ち出し細工で作った。節となる萼と花弁はそれと一体であった。
六本の枝を両脇から、すなわち、燭台の三本の枝が一方の脇から、また燭台のもう三本の枝が他方の脇から出るようにした。
一本の枝には、アーモンドの花の形をした萼と花弁から成る三つの節があり、他の枝にもアーモンドの花の形をした萼と花弁から成る三つの節があった。燭台から出る六本の枝は、いずれも同じようにした。
また、燭台の支柱には、アーモンドの花の形をした萼と花弁から成る四つの節を付けた。
すなわち、一体となっている一対の枝の所に一つの萼を、次の一体となっている一対の枝の所に一つの萼を、さらに一体となっている一対の枝の所に一つの萼を、燭台の支柱から出ている六本の枝の所に付けた。
これらの萼と枝は燭台の支柱と一体で、全体は一つの純金の打ち出し細工であった。
また、七つの灯皿、芯切り鋏と火皿を純金で作った。
燭台とそのすべての祭具類を一キカルの純金で作った。
純金(神性)で造られ、純粋な油で灯される。そこには祭司の奉仕が伴う。そして、これは聖所に置かれている。
聖霊は、旧約においては「主の霊」として記述される。
その霊は、七つの性質を持つ。
@イザヤ書11:1ー2
エッサイの株から一つの芽が萌え出で/その根から若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。/知恵と分別の霊/思慮と勇気の霊/主を知り、畏れる霊。
①主(ヤハウェ)の霊 ②知恵の霊 ③分別の霊 ④思慮の霊 ⑤勇気の霊 ⑥知識の霊 ⑦畏れの霊
新約においても、「主の霊」は、七つ。
@啓示録1:4
ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、玉座の前におられる七つの霊から、
@啓示録4:5
玉座からは、稲妻、轟音、雷鳴が起こった。また、玉座の前には、七つの松明が燃えていた。これは神の七つの霊である。
@啓示録5:6
また私は、玉座およびそれを囲む四つの生き物と、長老たちとの間に、小羊が屠られたような姿で立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。
以上のことから、ヒラステリオンは「キリストの霊/御子の霊」を意味し、至聖所すなわち「霊」に内住される。
七枝の燭台は「主の霊」「聖霊」を意味し、聖所すなわち「魂」に内住される。
このように示唆している。
追記②
「父・子・聖霊」なる唯一の実在者ヤハウェ。その相互内住。
父と子は「ひとつ」
@ヨハネ伝14:10‐11
私が父の内におり、父が私の内におられることを、信じないのか。私があなたがたに言う言葉は、勝手に話しているのではない。父が私の内におり、その業を行っておられるのである。
私が父の内におり、父が私の内におられると、私が言うのを信じなさい。
エクレシアは、父と子の「ひとつ」の交わりに加えられる。
そこには、聖霊が伴われる。
@ヨハネ伝14:19‐20
しばらくすると、世はもう私を見なくなるが、あなたがたは私を見る。私が生きているので、あなたがたも生きることになる。
かの日には、私が父の内におり、あなたがたが私の内におり、私があなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
@マタイ28:19
だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。
彼らに「父と子と聖霊」の名(単数形)によってバプテスマを授けて、
追記③
レビ記14章における記述の予型。
右の耳、右手の親指、右足の親指に、血が塗られ、油が塗られる。
血⇒キリスト
油⇒聖霊
追記④
キリスト者は、イエス・キリストを再現する、存在。
イエスの誕生は、聖霊によって、母マリヤの胎に「御子」が宿った。
アダムの子孫ではないため、死の支配下になく、霊が生きている。
霊が「御子」ゆえに当然のこと。
霊が生きているゆえに、魂が健全に機能しており、御言葉に対して敏感であり、12歳にしてラビたちと対等に語れる。
イエスは、ヨルダン川にてヨハネのバプテスマを受けた際、聖霊が鳩のように下って、魂に内住された。
アダム属の人は、福音が語られる際に「信」するときに、聖霊により「御体に属するバプテスマ」される。
その際に、「いのちを与える霊」となられた「御子の霊」が内住し新生する。義認される。
キリストの御体エクレシアとされ、キリストと一体化する。
キリストの油注ぎ(任命)を共有する。
キリストの御体とされ、イエス・キリストと一体化しているゆえに、その魂に聖霊が内住できるようになり、主の配剤のもと、求める者に聖霊が内住される。宣教の力を受ける。
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