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40代膵臓がんサバイバーです [4]

〜前回のあらすじ〜
人生初の大部屋での入院生活。慣れない環境、怒涛の検査、食事制限の空腹にヘロヘロになりつつ、なんとか入院生活を送る。そんな中、ひょんなことから病名が判明?!


それは教授回診

入院生活も終わりに近づいた週末。一通り検査も終わり、後はお楽しみの晩御飯を待つだけ…そんな、暮れなず〜む黄昏時の夕暮れに、事件は起きました。

先生たちがゾロゾロ…と、各部屋を順番に回診している声が聞こえてきました。入院経験がある人にはお馴染みの、まぁ、ドラマでよく見るあれです。
順繰りに回って、自分たちの病室へ入り、病室の患者さんとお話しした後、いよいよ自分の番となりました。

カーテンを横に、ずらっと並んだ先生達は正直、自分の担当医師以外は全くの初対面の方達ばかりでした。
すると、担当の医師が、見るからに大物感溢れ出る医師に、

「例の、すいとう の患者さん です」と伝えました。

すると大物先生の顔がスッ…と「あぁ…」と言った様子で曇りました。


、、、、、、、、、なんなんだ、この空気感?



まず……「 す い と う 」って何だ?

スイトウ?、、、水槽?、、、いや、"すいとう" と言ったよな、、、水筒??何かの医学用語なんだろうか、、、?????

と、頭がパニックになっているうちに、当たり障りない内容で終了。先生達は廊下へ出て行ってしまった。

何が何やら、ボーゼンとしつつも、必死に廊下から聞き漏れる単語を拾い集めましたが、やはり、  す い と う  としか聞こえない。

これは相当まずいのでは!?という第6感と胸騒ぎしかしなくなったので、スマホで急いで検索。「すいとう」と、入院している科名「胆管膵」で。


検索結果は『膵臓がん』

全く忖度することなく、正直な結果がスマホの画面に映し出されていました。

検査こそしたものの、そもそも癌であるとも疑って無かったし、まさか膵臓癌だなんてもってのほかでした。

そりゃぁ、さすがに知ってますよ、『膵臓癌』って言ったら、ほぼ先が短い病気の代名詞中の代名詞だって事くらい。

なんならどうせ、良性の大きい腫瘍とかで、先生から「じゃぁ〜1ヶ月後に入院ね。入院は1~2週間くらいかな。まぁ〜早くて1週間で退院できるから」とか言われて!ほんじゃ、プラス自宅療養を多めに見て一ヶ月程度かな…繁忙期前にはきちんと回復して復帰できそうだな〜…あ、傷病手当申請しなきゃな〜医療保険も!…くらい呑気に考えてましたよ!!!どーせ何にもわかってないバカものですよ!!!何なんだよ、、、いったい!!!!!!

と、何処にもぶつけようの無い怒りと混乱で、どんどん涙が溢れてきました。大人になってからほとんどしなくなった、嗚咽が出てくる涙。頭から布団をたくさん被って、同じ部屋の人に悟られないように、とにかく必死に、必死に、必死に、涙を噛み殺していました。

その後のことは、正直よく覚えていません。
家族と友達には直接、連絡したのは覚えています。義理の家族には、直接ではなく伝達で連絡してもらいました。自分の責任では無いとはいえ、こんな先の長くない病気にかかってしまい、想像以上に早く独り者にさせてしまうかも知れない(我が家には子供がいません)こと、いつも心配ばかりかけてしまっていて、大した孝行もできていないこと。本当に申し訳無く、その申し訳なさと、正直自分自身、混乱していて頭の整理がついてゆかずに、直接伝えるのが難しく感じたからです。


最後の検査

翌日、もう終わりと思っていた検査に、画像の撮り直しがあるとのことで、再び検査へ。検査は先日の若い技師の方とは違い、ベテランらしき方に担当していただいて、しばらく色々な角度から撮影した後、
「ご自分のご病気の内容は伺っていますか?」と尋ねられました。
正式には聞いていませんが、当然もう知っていたので「まぁ、何となく悪いものであるとは…」と、曖昧に返答しました。
その後医師へ結果報告で急いで電話をかけていましたが、「例のあの件で〜」のように、ぼやかして伝達してくださっていました。

夕方、いつものように、担当の先生が一人で回診に来てくだいました。その時、何と言ったのか正直覚えていないのですが(いつも都合よく忘れています…汗)、一言二言程度の会話の中で、少し涙目になり、何となくとげとげしい言い方をしてしまったため、ちょっと変な雰囲気になってしまいました。

自分のために一生懸命検査をしてくださったのに、その時は申し訳なかったと、今でも反省しています。

いよいよあさっては月曜日、決断の時です。


つづく





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