「冒涜のピエタ」第1話

あらすじ
遥か未来。全ての陸地が海に沈み、人類は人工大陸“島”に居を移した。
国を撤廃し複数の市からなる州を築いた人々の平和な暮らしは、謎の生命体“女神”により脅かされている。
車椅子の少女ピエタは、クラスメイトのランカとの友人関係に悩んでいた。共感性に欠けるピエタは打算の無い人付き合いが理解できず、ランカの純粋な好意を信じることができずにいたのだ。
しかしある日、放課後の学校を女神が襲撃し多くの生徒とともにランカが命を落とす。
初めて感じる喪失感に、ピエタは戸惑う。仇である女神と対峙すれば、この感情の正体を知れるだろうか?
ピエタが己の本心と向き合った時、女神に蹂躙される世界がその輪郭を見せ始める。

補足
【世界観】
……人工大陸。現在稼働しているのは一つのみ。人類の6割が暮らす。
……最大の地域区分。複数の市からなる。
廃島……機能を失った島。資源が乏しく紛争が絶えない。人類の4割が暮らす。
人間……島の住人。女神が狼藉者と呼ぶ者たち。旧人類とも。
女神……人間を襲う謎の生命体。時を停める力を持つ。
トランジ……空に浮かぶ無数の謎の歯車。
人形機構ピューパシステマ……ルトゥム博士が開発した対女神兵器。強制覚醒薇発条パラレライズ・スプリングを内蔵している。
強制覚醒薇発条パラレライズ・スプリング……ルトゥム博士の師が開発した対女神装置。時間停止を感知すると薇発条が作動し、装着者と周囲の原子歯車を再駆動させる。
原子歯車……全ての原子が持つ時を刻む歯車。

女神の正体……数千年前に外宇宙へ進出した人間たち。進化の果てに肉体を廃し寿命を克服した新人類。本体である黒い液体を様々な形態の外骨格で覆っている。陸地があった頃の地球に帰還した際に神として君臨するが、やがて旧人類と敵対。激しい戦争の果てに地球から逃げる。数百年の時を経て仲間を連れ報復に来た時には、地球は強固な防壁に覆われていた。
トランジの正体……地球を覆う防壁の自動メンテナンス装置。歯車が回ると防壁の時が巻き戻り、損壊を修復する。女神は防壁に穴を空けて地球に侵入するため、歯車の稼動は女神出現の前触れでもある。
女神やトランジの言い伝えはほとんど残っておらず、現在の人々はその正体を知らない。

【キャラクター】
ピエタ・ルトゥム
……14歳の少女。幼少期に実親の虐待で二度と歩けなくなる。人形機構の研究を目的にルトゥム博士に引き取られ養子となる。人形機構のシステムは彼女のデータを基に造られている。内心ではルトゥム博士を軽蔑しているが、彼の一番の理解者でもある。
ランカ・クランク……ピエタのクラスメイトの少女。ピエタを「御伽噺のお姫様のよう」と想い憧憬を抱いている。
クィア・パラコード……27歳男性。ピエタの専属ドライバー。廃島出身の元傭兵。対女神には役に立たないが、対人戦ならば州兵にも引けを取らない。
泉々いずみいずみ……52歳男性。ルトゥム家のシェフ。ピエタの食の好みを全て把握している。
ニーナ・ノーマン……25歳女性。州警警部補。対女神部隊ブラスフェムス隊員。舞台女優をしている双子の妹がおり、顔が瓜二つであるため仕事中は常にペストマスクで隠している。
シャルロット・フォール……32歳女性。自称シャルロット教の主神。元バイオリン奏者。兄夫婦と姪を女神に殺され復讐と根絶を誓い、片腕を捨てて人形機構を身に付ける。神を自称しているのは女神を滅ぼすためならば神に匹敵しなければならないという決意のもと。戦闘センスが高い。
ジェイス……42歳男性。シャルロット教戦闘員。元州兵。アドレナリン中毒を患っており、女神との死闘に生の実感を得る。
ルゥ……12歳の少女。シャルロット教通信員。女神被害遺児。
鯱歌しゃちか……21歳女性。シャルロット教戦闘員。廃島の戦闘民族出身。
エンジェル……31歳男性。シャルロット教警備員。地面恐怖症であり、常に壁や天井に張り付いている。シャルロットの論文にアドバイスなどしている。
ルトゥム博士……55歳男性。人形機構開発者。ピエタの養父。ピエタに親心を抱いたことは無いが、優秀なモルモットとして高く評価し敬意を向けている。


本文

ピエタ・ルトゥムが教室の窓から眺める空の遥か上は、複雑に絡み合った無数の巨大な歯車に覆われていた。
「ねえピエタ。成績表、どうだった?」
クラスメイトのランカ・クランクに話しかけられ、ピエタは振り向いた。
「またオールA?」
「体育以外はね」
ピエタは車椅子の肘掛けを撫でてそう言った。ランカは苦笑した。
「もう、笑えない自虐ネタはやめってばー」
「ランカは体育Aでしょ?夏休みは大会あるんだよね?」
「まあね」
「頑張ってね。お父さんが良いって言ったら応援行く」
ランカはピエタの机に頬杖を突いて項垂れた。
「それがさぁ~、補習クリアできなかったら大会出さないって先生がさぁ~」
「え?ランカ補習なの?」
「数学でドジっちまいやしてねぇ」
「大変だねぇ」
「他人事~」
「他人事だもん」
ランカはシュバッと立ち上がり、芝居がかった口振りで言った。
「ところがどっこい、ピエタはこれから私専属の講師になってくれますのでぇ、他人事ではありませぇん」
「わー初耳」
「私が大会に出れるかどうかはぁ、ピエタ先生の手腕にかかっておりまぁす。ひいては我が部が州大会に勝ち上がれるか否かもぉ……」
「一言で言うと?」
「勉強教えて下さいピエタ先生ィ!」
「初めからそう言えばいいのに」
深々と下げられたランカの頭を、ピエタは優しく撫でた。ランカはピエタに縋りつくように膝をついた。
「うぅ、頼むよピエタぁ」
「そんなにピンチなの?」
「今回はヤバいです」
「今回は?」
「今回もヤバいです」
「テスト何点だったの?」
「12点」
「グッロ」
「うわぁん引かないでよぉ!」
「おぉよしよし」
ランカが子供のようにしがみつく。ピエタはくすくす笑って背中をさすった。
「大丈夫だよ。また教えてあげる。ランカは飲み込みが早いから、一発でクリアできるよ」
「ほんとに?」
「うん。ランカはできる子」
「……なんかできるような気がして来た!」
「単純~」
ランカはピエタの膝に頭を載せ、体温に安堵するように微笑む。
「やっぱり持つべきものはピエタだねぇ。ありがとねぇ、いつも」
「いいよ、勉強教えるくらい。ランカにはいつもお世話になってるから」
「!」
ランカが不意に顔を上げ、ピエタは少し驚いた。
「私、お世話してるつもりなんて無いよ」
ランカはピエタをまっすぐ見つめた。
「友達だもん。そんな他人みたいなこと、言わないで」
「?」
「私がピエタと一緒にいたくて、したくてしてるんだもん。お返し、みたいなの……気にしなくていいんだよ。ほんとに」
「……」
ピエタにはランカの言っていることがよくわからなかったが、寂しそうな顔をしていたので、彼女の頬に手を当ててそっと撫でた。
「そう。……うん。わかった。そうする」
ランカは満足そうに破顔し、ピエタの手に頬ずりした。
「ピエタの手って、いつも温かいね」
「そうかな」
「うん。気持ちいい」
ピエタはふと外に目をやり、校門前に停まる一台の黒い車を見つけた。
「あ、お迎え来た」
「じゃあ送ってくよ」
「ありがと」
「お礼なんていいってば~」
窓枠に四角く切り分けられた夕日が、廊下を規則正しく照らしている。ピエタとランカはその上を進んだ。車椅子の車輪がキィと鳴る音が、静かな校舎にやけに大きく響いた。
「明日、いつもの図書館でいい?」とピエタは尋ねた。
「うん」
「昼から?」
「朝から!晩までびっちり!じゃだめ?」
「いいよ」
「お昼一緒に食べよう」
「そうだね」
校門に着くと、車の前に立っていたスーツ姿の男がぺこりとお辞儀し、ランカからピエタを引き取った。
「またね、ランカ」
「うん。また明日」
ランカは手を振り、走って校舎へ戻って行く。きっとこれから部活に行くのだろう。
ピエタを後部座席に座らせ車椅子を積むと、男は車を出した。
「どこかへ寄られますか?」
「ううん」
「ではお家へ」
石畳に舗装された道路を駆ける。ゴシック建築の家々や聖堂が並ぶ街並みが、車窓を流れていく。
「クィアさん」
「はい」
運転手はルームミラー越しにちらっとピエタを見た。ピエタは外を向いたまま尋ねた。
「友達って、他人じゃないの?」
「問いの意味がよく……」
「自分以外って、みんな他人だよね?」
「そうですねぇ。観点によりますが、一般的にはご友人も身内に含めて支障無いかと」
「友達同士には見返りが要らないの?」
「……関係性にもよるかと」
「そっか。私、ランカは私が参考書より便利だから世話を焼いてくれるんだと思ってた」
「それ、ご本人には言わない方がよろしいかと」
「うん。言ってないよ。前みたいにいじめられても面倒臭いし」
「そういうタイプには見えませんけどね」
「そうかな」
「ええ。良い子ではありませんか。素直そうで」
「そうだね。素直だね。凄く」
「お嫌いなのですか?」
「別に。むしろ好きかな。都合良くて」
「……」
「クィアさんは私のこと好き?」
「ええ。好きですよ」
「お給料が無くても私を送り迎えしてくれる?」
「私はお嬢様のご友人ではありませんので」
「そうだね。知ってた」
クィアはちらっと空を見上げ、シフトレバーに手を伸ばした。
「少し急ぎます」
「どうして?」
「歯車が動きます」
空に薄っすらと浮かぶ歯車の群れが、微かに震えていた。
「クィアさんは迷信を信じてるんだね」
「旦那様から忠告されておりますので」
「“歯車が動く時、女神が降って来る”。本当にそうなら、あんな歯車さっさと壊しちゃえばいいんだよ」
「……そうかもしれませんね」
ガチン。
歯車が回る。

運動着に着替えたランカが体育館に入る。既に練習を始めていたバスケ部員がランカに気づき、声をかけた。
「あれ、練習来て大丈夫なん?」
「先生から許可貰ってきたー」
「なんでなんで」
「賄賂?」
「寝たのか私以外の女と」
「違う違う、絶対に補習クリアするって約束で~」
部員が得心したように手を打つ。
「あぁそっか。例の子ね」
「例の?」
「ほら、あの子。なんか知らんけど金持ちの娘」
「あ~あのなんか知らんけどお嬢様のね。めっちゃ頭良いんだっけ?」
「ランカはマブダチなんだよねー?」
「なるほど~その子に勉強見て貰う算段か~」
「えへへ。そーっす」
「噂じゃ、ほぼ全教科満点だって」
「うそ、この学校のテスト毎回ド鬼畜なのに?」
「良いなぁ私も教えて欲しいー」
「お前先輩だろーが」
キャプテンがランカに言った。
「ま、大会近いし練習出てくれんなら何より。さっさとアップしておいで」
「了解でありまーす」
練習に戻った部員が、ゴールに向かってシュートを打つ。
突然、ゴールの前に白いベールを被った巨体が現れた。
ボールがそれにぶつかり、床を転がっていく。
「……え?」
5mを超える巨躯が、ゆっくりと振り向く。
全身が陶器のように真っ白な女だった。顔はゾッとするほど端正で、まるで彫刻のよう。一方で、皮下には青い筋が脈打っている。
「あ……」
部員たちは青ざめた。
コートから離れていたランカは、彼女たちより遅れてその存在に気づいた。
それはキトンに似たドレスを引きずって歩き、先程シュートを打った部員の前に立ち止まった。
それの首が、伸び始める。ベールも一緒に伸び、頭から垂れ下がった。それは伸ばした首を蛇のようにうねらせ、部員の目線の高さまで頭を下げた。
近くで見ると顔も巨大だ。それは部員の顔を覗き込むように、間近まで迫った。しかしそれの瞼は固く閉じたままだった。
部員はガチガチと歯を鳴らした。
それは口を開くことなく声を発した。美貌からかけ離れた、低いしゃがれ声だった。
『狼 藉 者 め』
ドレスの中からぬうっと伸びた大きな手が部員を鷲掴み、ペキリと握り潰した。
体のあらゆる穴から血や臓物がはみ出し、周囲の部員たちに降りかかる。部員たちは誰からともなく悲鳴を上げた。
「きゃああああ!」
「うわああああ!」
「め、女神ぃぃ!」
「女神!女神が出たぁっ!」
それは逃げ惑う部員たちを容赦なく叩き潰した。
握り固めた拳で、上から殴りつける。たったそれだけで彼女たちは容易く潰れ、風船のように弾けた。
コートが血に染まる。女神は出口へ向かう部員に顔を向けた。
『逃がさぬ』
初めにゴールの前に現れた時のように、女神は出口の前にテレポートした。
先頭を走っていたキャプテンはドレスの中へ入り込み、踏み潰された。裾の下から血溜まりが広がる。部員たちは悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように引き返す。
『狼藉者に死を』
女神が部員を無造作に投げる。天井の照明に激突した部員が感電し丸焦げになる。再びテレポートして部員に追いつき、虫を潰すように手でパンと挟む。
次々に部員を殺す女神の頭に、ボールがぶつけられた。
「やめろぉ!」
ランカがカゴからボールを取り、女神に繰り返し投げつけた。女神が振り向き、ランカの目の前にテレポートする。
「ひっ」
ランカは間近からボールをぶつけたが、女神は微動だにしなかった。
「このっ」
『狼藉者どもよ』
「いやっ、来ないで、いやぁぁっ」
女神はランカを掴み上げた。
『そんなに球遊びがしたいのか?』
「やめて、放して、はなっ……あっ、ぎ、ぎひぃッ」
女神はランカをバスケットゴールに叩きつけた。

雨が降るなか、棺に土が被せられる。
ピエタは車窓から墓地を眺めていた。
「言ったでしょう?」
運転席にいるクィアが言った。
「歯車は悪兆です」
「天気みたいなものだよ。ただの思い込み」
「残念でしたね。今までで、一番仲が良さそうなご友人だったのに」
「そうかな」
「悲しくないのですか?」
「わからない」
「少なくとも、お嬢様が葬儀に参列したいなんて言う相手はいませんでしたよ。今まで」
「……」
埋葬が終わる。ランカの母親と思しき女性の泣き声が聞こえる。ピエタは窓を閉めた。
「学校に行ってくれる?」
「今からですか?」
「もし悲しいのなら、行動に移すべきだと思うの。何か。何でもいいから」
「……素晴らしい心掛けですが、今日はお勧めしません。雨雲の所為で歯車が見えません。また動き出したら――」
「クィア・パラコード。あなたの仕事は?」
「仰せのままに、お嬢様」

州立アルバデア女学院は警察によって封鎖されていた。半壊した校舎にはバリケードテープが張られ、駐車場の入口には見張りの警官がいた。
「入れそうにありませんね。帰りましょうか」
「行って」
「え?」
「お父さんの名前出せば通れるでしょ」
「使いますねぇ、権力」
半ば強引に押し入り、体育館前に停車する。クィアはてきぱきと車椅子を下ろした。
「濡れますよ」
「たまにはいいよ」
壁に空いた穴から体育館の様子を窺うことができた。捜査はとっくに終わっているようで、中はがらんとしていた。
赤黒い血痕がそこかしこに残っている。死体があったと思しき場所に白線が引かれているが、人の原型を保っているものはほとんど無い。
「私たちが出た十分後に女神が現れたそうです。運が良かったですね」
「私はね」
「……」
「確かめてみたくなったの」
「?」
「あの子が死んだ場所に来れば、悲しくなるかなって」
「ご感想は?」
「まだ……」
足音が近づいて来る。ピエタは無視したが、クィアは足音の方を向いた。
ペストマスクを被った、レインコート姿の不審者がいた。
「お、お嬢様……変態が現れました。帰りましょう」
「ふーん」
「ふーんて」
不審者は警察手帳を取り出した。
「州警のニーナ・ノーマンです」
「け、警官と不審者の兼業……?」
「警官一筋です」
マスクでくぐもった声は低かったが、フードの内から垂れている結った髪と、レインコートの中の制服のボディラインからして女と思われた。
「なんですかその不気味なマスクは?」
「これは――」
ピエタがぼそりと言った。
州警察対女神部隊ブラスフェムスのノーマン警部補。派遣されたのはあなた一人?」
「よくご存知ですね、ピエタ・ルトゥムさん」
ニーナは礼儀正しくお辞儀したが、ピエタはそっぽを向いたままだった。ニーナは穏やかに話した。
「しかし困ります。いくらルトゥム博士のご息女といえど、現場に無断で立ち入られては」
「隊員があなたしかいないのを見るに、女神はC級以下?」
「捜査情報ですので」
「ほらお嬢様、怒られる前に帰りましょう」
車椅子を押そうとするクィアの手をぱしんと叩き、ピエタは言った。
「ここで私の友達が死んだ」
「ここはピエタさんの通っている学校でしたか。お悔やみ申し上げます」
「ランカ・クランクはどこで死んでいたの?」
「それを聞いたら、お帰りいただけますか?」
ピエタが初めてニーナと目を合わせる。ニーナは血に染まったバスケットゴールを指さした。
「あそこに頭を突っ込んでいました」
「どんな風に?」
「文字通り、真っ逆さまに。首がちぎれかけ、破けた腹部から腸がぶら下がっていました」
「お嬢様、もういいでしょう?」
「……」
クィアが車椅子を押す。すれ違いざま、ピエタが言った。
「あなたがここにいるってことは、女神はまだ見つかっていないんだね」
「ええ」
「私が先に見つけたら、私が狩っちゃってもいいかな」
「……」
「ちょっと、お嬢様」
「いいよね。州法には、一般人が女神を殺しちゃいけないなんて法律は無いもの」
「もう、大人に喧嘩売るのはやめて下さい。警部補、私たちはこれで失礼しますので」
「構いませんよ」
クィアは目を剥いてニーナを見た。が、表情はマスクに隠されていた。
「私が働く手間が省けるだけです」
「ふーん。手柄奪ってもいいんだ?」
「功績にも昇進にも執着はありません。民の自衛で片付くのなら、それほど合理的なことはないでしょう」
「同感」
車までの道中、クィアはピエタに耳打ちした。
「本気じゃないですよね?お嬢様」
「私が冗談で啖呵を切るとでも?」
「……ご友人の敵討ちのおつもりで?」
「さあ」
ピエタは掌に落ちた雫に目を落とした。
「わからないから知りたいの。ねえクィアさん、車に無線機積んであったよね?」

雨はまばらになりつつあった。
ニーナは校庭のベンチに腰かけてメモを読んでいた。すぐ隣には生々しい人型の血痕と白線が残っている。
「死者数、生徒184名。教員39名。全校生徒の半数弱か。流石に閉校かな。女神に襲われた学校なんて、今後誰も入学したがらないだろうし」
彼女の独り言を聞いていた地元警官がむっとした目を向ける。それを知ってか知らずか、ニーナはメモを閉じて警官に話しかけた。
「女神の現場は初めて?」
「……まあ」
「女神の実物も見たことない?」
「ええ」
「そうか。幸せ者だね」
「はあ」
「知ってる?女神はね、人間を襲っても別に食べるわけじゃないんだよ」
ニーナはマスクの嘴を指で叩く。
「女神の顔は顔ではなく、単なる記号に過ぎない。本当の口や目は有ったり無かったり。形態や生態は個体によってバラバラ。本当に気色悪い連中だよ。で、だとしたら、だよ。食べないのなら、彼らはどうして執拗に人間を襲うんだろう?」
隣の血痕へ目をやる。
「殺すためだ。女神は人間を殺すために殺す。それが本能ならまだいい。生理現象の一つならまだ理解ができる」
(できるか?)
「厄介なのは殺意に動機があった時だ。私はね、女神に殺された人たちを見る度に思うんだよ」
血痕を撫で、彼女は言った。
「ああ、これは怒りだ。女神は怒っているんだって。女神は私たちが大嫌いで、殺したくてしょうがないんだ。共存なんてできっこない。どっちかがいなくなるまで、私たちは殺し合う運命なんだ。私たち人間は、女神にいったい何をしてしまったんだろうね?」
警官のトランシーバーがノイズを鳴らす。ニーナは立ち上がった。
「さて、博士のご息女と競走だ」

「次の交差点を右」
「信号赤ですよ」
「いいから突っ切って」
「無茶言わんで下さい」
「あなたの仕事は?」
「仰せのままにぃっ!」
周囲の車にクラクションを鳴らされながら、クィアは交差点を駆け抜けた。
「お次はどちらへ?」
「まっすぐ」
「信号は?」
「突っ切る」
「もうやだこのお嬢様」
ピエタは無線機に繋いだヘッドホンを耳に当て、地図を指でなぞった。
「そこ左」
「まっすぐって言いませんでした!?」
「ナイスドリフト。次は右ね。そこから暫くまっすぐ」
「曲がる必要ありました?」
「あの先の橋、女神に壊されたみたい」
「天災に会いに行くんですか?」
パトカーのサイレンと、大きな破砕音が空にこだまする。女神は近いようだ。
「こんなこと、旦那様に知られたら……」
「怒られる?そうかな」
「だって大事なお嬢様を――」
「そうかな?」
ピエタはヘッドホンを外した。
「大事な娘を、こんな体にするかな?」
「……それは」
何かが空を横切る。ピエタたちが走り去ったすぐ後ろに、パトカーが落下した。
「うぉわぁ!?」
「クィアさん、前見て!」
「なんでお嬢様は冷静……うぉわぁ!?」
前方60m。交差点のど真ん中で、全長5m超えの白い女神がパトカーを持ち上げ、振り回していた。
「クィアさんアクセル!」
「はぁぁ!?」
「轢いて!」
「あったまおかしいんじゃないですか!?」
「クィアさんの仕事は?」
「仰せのままにぃぃッ!」
クィアはアクセルをベタ踏みし、女神がぶん投げたパトカーをくぐり抜けた。正面から激突するかに見えた次の瞬間、女神が忽然と消えた。
「えっ!?」
ブレーキ痕を引いて急停車する。ピエタが窓の外を覗くと、女神は道路沿いの建物の屋根に立っていた。
「ほ、ほんとに消えた……でもよかった……」
「クィアさん、出るよ」
「マジかよこのお嬢様」
続々と駆け付けたパトカーから警官が降り、発砲する。が、女神は銃弾を物ともしなかった。信じ難いことに、柔らかそうなベールさえ弾丸を通さない始末である。
女神がしゃがれ声を吐いた。
『狼藉者ども。報いを受けさせてやる』
女神が警官たちの背後にテレポートし、怪力に物を言わせて殺戮した。
『摘んでやる。懺悔しろ。臓物を敷いて赦しを乞え。貴様らの赤子を砕いて呑み込ませてやる』
警官たちが引き裂かれ、踏み潰され、肉塊と化していく。刎ねられた首が道路を転がり、車椅子の足元に止まる。その顔は恐怖に引きつっていた。
悲鳴と弾丸が飛び交うなか、ピエタはクィアに尋ねた。
「クィアさん、怖い?」
「ええ。人生で一番。お嬢様は?」
「わからない」
「得意ですねそれ」
「ランカも怖かったかな」
「たぶん。いえ、絶対。怖かったでしょうね」
「そっか」
ピエタがスカートの裾をめくる。
「……そっか」
露わになった彼女の脚は、生身でなく――人形のような球体関節を有していた。
「クィアさん」
「はい」
「ありがとね」
「何を今更」
「もういいよ。怖いんでしょう?」
ピエタは太腿の、生身と義足の境目に差し込まれた小さなゼンマイハンドルを回した。
「あとは、自分で歩くから」
雲が晴れ、眩しい日差しが降り注ぐ。
ゼンマイハンドルを抜き、ピエタは立ち上がった。
義足はキイ、カシャリと駆動音を鳴らして歩いた。ピエタは自らの意志で、女神の元へ向かった。
『ぬ?』
女神がピエタに気付く。掴んでいた警官の頭を果物のように握り潰し、閉じた瞼でピエタを見下ろす。
「ご機嫌麗しゅう、女神様」
ピエタはカーテシーをした。
カシャン。
義足に幾何学模様の亀裂が走り、展開した。
内部から繰り出した部品が互いに連結し、絡み合い――瞬く間に変形を遂げる。
黒く重厚な金属の脚。無骨なシルエットは変形前より遥かに巨大化し、ピエタの身長を2m近くまで上げている。
膝には撃鉄。脹脛にはシリンダー。踵に生えたヒールは、銃身だった。

脚型人形機構クルス・ピューパシステマ六連疾駆跳砲ロウカスタⅥ

スカートから放した手を、膝の撃鉄へ移す。
「正直、まだあなたを恨んでいない。ううん、もしかしたら恨んでいるのかも。わからない。でも、もし、あなたを殺すことで何かを掴めるんだとしたら……だから」
ガチリと、撃鉄を起こす。
「試しに、殺されてみて」
撃鉄が下り、ヒールの銃口が火を噴く。
閃光マズルフラッシュを引いて高々と跳躍したピエタは、女神の顔面に弾速のドロップキックを見舞った。
一瞬遅れ、銃声が轟く。
『ぬぅッ!?』
女神の首がぐにゃりと伸びて深く仰け反る。ピエタはスカートをふわりと膨らませ、信号機の上に着地した。
『お、おォ……』
女神の顔に深い亀裂が走り、黒い液体が漏出していた。
『傷を、儂に、儂に傷をつけおったな、狼藉者め。貴様、その足、貴様、さては侵したな、犯したな、我らが聖域を穢れた足で踏み躙ったなぁぁあ?』
「狼藉者……あなたたちは人をそう呼ぶんだってね」
ピエタは両膝の撃鉄を起こした。
「確かに、的を射てる。人類ほど冒涜的な動物はいないもの」
女神がピエタに殴りかかる。銃声とともにピエタが跳び、信号機が破裂した。
女神の背後で閃光が瞬き、ピエタの回し蹴りがうなじを直撃した。女神はこの世のものと思えぬ悲鳴を上げ、道路沿いの建物に叩きつけられた。
『おのれ、赦さぬ、赦さぬぞ。このような、穢らわしい。儂は断じて赦さぬ、死に損ないの分際でぇぇッ』
女神の体からバキゴキと異音が鳴る。小刻みに身を震わせたかと思うと、ドレスの正面が真っ二つに裂け、異様に長い腕が大量に現れた。
「わっ」
腕はいくつもの肘を擁して折れ曲がり、どこまでも伸びてピエタを追いかけた。ピエタは四方八方から掴みかかる手を身軽に躱し、女神の股下をくぐり抜けた。
ピエタが交差点から走り去る。女神は潜望鏡のように首を伸ばしてピエタを見つけ、咆哮を上げた。
『逃ぃぃぃがぁぁぁさぁぁぁぬぅぅぅ!』
腹這いになった女神は夥しい数の手を多足類のように蠢かせ、猛烈な速さでピエタを追いかけた。
バタバタと暴れ狂う女神の手は、周囲にある外灯や標識を引っこ抜いてはピエタに投げつけた。路駐した車や建物から抉り取ったレンガを投擲することもあった。ピエタが道を曲がると、女神は壁にべちゃりと貼り付いてそのまま壁面を駆けた。
『待ぁぁぁぁぁてぇぇぇぇぇぇッ!』
広場に出た。ピエタは中心にある噴水を跳び越えて女神と正対する。女神は噴水などおかまいなしに突っ込んで来る。
『今度こそ逃がさぬぞ』
その時、噴水から溢れていた水が――水滴が、空中で静止した。
噴水だけではない。空を飛ぶ鳥が、女神に蹂躙された車から立ち昇る煙が、人が、大気が、音が……全てが、動きを止めたのだ。
ただ一人、女神を除いて。
『殺してやる、鏖てやる、肉め、供物にもならぬ、呪われた肉どもめ、腐乱し、虫の苗床と化し、醜悪に果てろ、それでもなお、貴様らには地獄の業火こそが相応しい』
女神は噴水を踏み越え、像のように固まるピエタに無数の拳で殴りかかった。
『肉と散れ冒涜者めッ!』

人形機構ピューパシステマの第一人者ルトゥム博士曰く、この世の全ての原子は時を刻む歯車を内包している。
女神にはその歯車の動きを止める力があるのだという。
つまり、時を止める。
彼らが見せるテレポートのような移動方法はそれに由来している。
この埒外の力を食い止める策は見出せなかった。だが、ごく小規模に限り抗う術はあった。
止められた歯車を、再駆動させる。
人形機構。またの名を、強制覚醒薇発条パラレライズ・スプリング
その薇発条は歯車の停止を感知し、装着者の細胞を、身に纏う全ての原子の時の刻みを――呼び起こす】

振り下ろされた全ての拳を跳び越え、ピエタは女神の鼻面に銃口を突きつけていた。足首から先を展開し、変形した巨大な銃口を。
止められた時の中を動くピエタに、女神は怒りを露わにした。
『貴様、我らが聖域をぉッ!』
ピエタは展開した腿から掌よりも大きな弾薬を取り出し、シリンダーに詰めた。
「聖域ね。そっか、女神様はこういう世界がお好みなんだ」
カチリ。
撃鉄を起こす。シリンダーが回る。
「でも、うん。ごめん。きっと、この世界は人には静か過ぎる」
『死ね穢れた人げ――』
炸裂弾ラプトゥーラ
ピエタが放った極大の弾丸は女神の顔面を粉砕し、後頭部を突き抜け、背中から胴体へ侵入した途端、炸裂した。
女神が爆散すると同時に、時が流れ出す。
広場に銃声が轟き、黒い血肉が豪雨のように降りしきる。黒く濁った噴水に、もげた女神の手がぷかりと浮いた。

「うーん」
ニーナは聖堂の屋根から広場を見下ろしていた。
「一歩遅れたなぁ。有言実行とは……流石、あの博士のご息女だ」
フードを取る。マスクのレンズには、黒い海に立つピエタが映っていた。

硝煙を上げる脚のシリンダーを開き、無心で空薬莢を落とす。
ピエタは静かな眼差しで、女神の残骸を見つめていた。
「お嬢様」
顔を上げると、隣にクィアがいた。クィアはハンカチでピエタの顔を拭った。
「満足されましたか?お嬢様」
「……」
「お嬢様?」
「あのね、クィアさん」
「はい」
クィアはピエタの顔をちらっと見て、目を丸くした。
「不思議」
ピエタは呟いた。
「ランカにね、会いたくなったの。もう居ないのに。おかしいね」
彼女に温かいと言われた手で、ピエタは自分の脚を撫でた。銃身の発熱はじきにやみ、ピエタの脚は硬く冷えた。
人形のように。

第2話

第3話


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