「冒涜のピエタ」第2話

それは一見すると犬だった。
ただし体長は6mもある。
深夜。巨大な犬が家々の屋根を駆けて行く。
投光器を向けると犬は途端に姿を消し、別の屋根に現れた。犬は持ち前の身軽さとテレポートを駆使して包囲網を抜けて行く。
『おや?』
路上に降りた犬が足を止める。誰かがこちらへ歩いて来る。
雲の隙間から月光が差し、対峙した両者を明瞭にした。
ペストマスクを被った警官。左肩にペリースを提げている。
犬の方も、やはりただの犬ではない。首に乗っているのは、ベールを被った端正な女の顔だった。所謂、人面犬のような姿。
女神は目と口を閉じたまま、しゃがれ声を発した。
『臭う、臭う。冒涜者の臭いだ。聖域を踏み穢す異端者の臭いがするぞ』
ニーナ・ノーマン警部補はペリースを翻し、球体関節を擁する義手を露わにした。
上腕にあるゼンマイネジを回して抜くと、義手に幾何学模様の亀裂が走る。
月光を反射しながら展開した義手は、肘に撃鉄を擁する大剣へと変形した。

腕型人形機構アーム・ピューパシステマ鱗片発射剣ドラコ・グラディメント

女神は吐き捨てた。
『なんと醜い』
「おまいう」
女神が地を蹴り突進する。
ニーナは直立姿勢のまま後ろへ倒れ、女神が眼前まで肉迫した瞬間、ほぼ仰向けの姿勢からぐるんと体を回転させ、女神の首を刎ねた。
黒い血が飛散し、落ちた首がビクビクと跳ねる。
「D級ならこんなもんか」
剣についた血を振り払う。が、ニーナは気配を感じて振り向いた。
「あれ?」
首を刎ねた女神が、まだ立っている。
様子がおかしい。体がゴキメキと軋んでいる。
『ふ、ふ、ふふ』
ニーナが睨んでいると、首の断面から女神の顔がぬうっと生えてきた。
ニーナは身震いした。
「うひゃあ」
『我を切りおったな。ふふ。糞にも値せぬ肉塊め。嬲り殺してやる』
女神が飛びかかる。ニーナは身を躱し、すれ違いざまに前足を斬った。
「うげっ」
前足の断面から女神の顔が生えた。首を伸ばして顔を足代わりにし、遜色無く走り出す。
尻尾を斬ると、尻から顔が出る。胴を斬り裂くと、創口から大量の顔が生える。
戦闘を続けるうちに、女神は顔面の集合体と化した。歪なシルエットは辛うじて犬型を保っているように見えなくもない。
「あ~こういうタイプかぁ」
『ふふ、朽ちろ、朽ちて死ね』
走り回る女神を目で追いつつ、ニーナは肘の撃鉄を起こした。
「あんまり街中でやるもんじゃないんだけど」
剣の片刃が鋸歯状に起立する。
「しょうがない。ごめんねご近所さん」
突如、女神が姿を消す。
女神はニーナの背後に現れた――だが、既にその全身は細切れになっていた。
『貴ッ様……!』
肘の撃鉄が下り、ニーナの剣は硝煙を上げていた。剣身は鋸歯を喪失して細くなっている。
そして、消えた鋸歯は彼女の背後の家々に突き刺さり、黒い血を垂らしていた。
『聖域で息づくとは、不敬な奴……よ』
女神がバラバラに崩れる。ニーナは替えの刃を装填して警戒したが、女神は事切れていた。
間も無くパトカーが駆けつけ、地元警官らがニーナを労った。ニーナは警官らに簡単に指示を飛ばした。
「私の刃は使い捨てだから、そのまま廃棄でいいよ。あと、死骸の処理はマニュアル通りによろしくね」
警官たちが夜空を見上げて何やらざわめいていた。
「おい、あれ」
「またか」
「ん?」
ニーナは彼らの視線を追った。
孤独に浮かぶ月の向こう、空に蓋をするように満ちる無数の歯車たち。微かに震えていた歯車が、ガチリと動く。水面に広がる波紋のように、歯車の駆動は連結する全てに波及していく。
マスクの中で、ニーナは目を細めた。
「ああ、トランジがまた女神を呼んでいる。やっぱり寄り道なんてするもんじゃないな。余計な仕事が増える前に、さっさと本部に帰ろうか」
剣が元の義手に変形する。ペリースで腕を覆い、ニーナはパトカーに乗り込んだ。

「ではお嬢様、私はここで。明日の朝、お迎えに上がります」
「うん。お疲れ」
ルトゥム家の屋敷に勤める使用人はごく僅かだ。
イドはピエタの車椅子を押すためだけにルトゥム博士が造った、半自動歩行球体関節人形だ。手がハンドルと連結しており、肘掛けにある鍵盤で操作できる。
(車椅子を自動化してくれれば良いのに。あのマッドサイエンティストは自分の作品が好き過ぎる)
イドはメイドの格好をしており、顔は常に愛嬌のある微笑を浮かべている。歩く以外の機能は無い。
「本日はイタリアンをご用意致しました。イタリアンとはかつて存在したイタリアという国の――」
「知ってる。歴史書で読んだ」
「流石でございます」
無駄に広い食卓を、一人で使う。いつものことだ。
シェフの泉々いずみいずみは体格の良い初老の男だ。昔から住み込みで働いているが、一緒に食事をしたことは一度も無い。
「デザートにはティラミスをご用意しております」
「そう」
「それと、先程旦那様から連絡がございまして」
ピエタは食事の手をぴたりと止めた。
泉々は言った。
「今月もご帰宅なされないとのことです」
「……そう」
「最新人形ピューパの開発がお忙しいのでしょうね」
「そうだね」
「では、後ほどデザートをお持ち致します」
泉々が去った後、ピエタはぽつりと呟いた。
「ほらね、心配なんてしない。叱りもしない。一昨日のこと、とっくに知ってるはずなのに」
泉々の他に、炊事以外のほぼ全ての業務、つまり洗濯や掃除などをやってくれている女性が一人いるらしい。
ピエタはその使用人と会ったことがない。名前も知らない。
ただ、いつの間にか部屋は綺麗になっているし、服は畳んで置いてあるし、お風呂も沸かしてある。
ピエタは心の中で密かにシルキーと呼んでいる。
(シャンプー、そろそろ無くなると思ったら補充されてる。シルキーは抜け目ないな)
博士自慢の防水機構を備えた義足を付けたまま入浴する。ただし、ピエタは日常生活で義足を使って歩くことは絶対に無かった。
風呂が一人用サイズであることは救いだ。この時間だけは虚しさを覚えない。
(湯加減最高……シルキー、マジ神……)
入浴を終えると書庫へ行く。一方の本棚には父の蔵書が、もう一方にはピエタが買った本がずらりと並んでいる。
(あ、もう来たんだ。シルキーが運んでくれたのかな)
数日前に注文した大量の本がテーブルに積まれていた。
(徹夜したいけど、明日出掛けるし……また本に涎垂らしたくないしなぁ)
読書に熱中して書庫で夜を明かすこともしばしばだった。
(あれ?)
一冊の本を手に取る。
(スポーツ工学?なんでこんなの頼んだんだっけ)
ピエタは「あ」と声を漏らした。
(ランカが、シューズが合わないとか言ってたから……アドバイスしようと思って。でも、もう……要らない、かな)
本の表紙を撫でる。
「……」
電気スタンドを近くに寄せ、ピエタは本を開いた。

クィアはルームミラー越しにピエタの顔を盗み見る。
「本当に行くんですか?まずは旦那様を頼った方がよろしいかと」
「お父さんに訊いたって意味無いよ。あの人は対抗策しか研究してないし、それで満足なの。自分の作品が出す成果にしか興味無いんだから」
「そうは言っても……」
「むしろ、女神には居てくれた方が助かるんじゃない。女神が出れば出るほど、人形機構は発展するんだもの」
ピエタは車窓から空の歯車を睨んだ。
「女神の正体が何かなんて、どうでもいいんだよ。あの人は」
「だとしても、どうして民間企業なんですか?もっとちゃんとした所でも……この前会った州警の対女神部隊とか。インターンは無理でしょうけど、旦那様の力を借りれば……」
「民間の方が自由に動けるでしょ?」
「でもこれから行く場所、怪しくないですか?カルトっぽくて」
「そう?代表が面白い論文出してたから、掘り出し物だと思うけど」
「……」
「なに?」
「いえ」
「言いたいことあるなら言って」
「……なんか、州で働いてる旦那様への対抗心なのかなーと」
「クィアさん、あなたの仕事は?」
「……仰せのままに」

到着したのは州の辺境にある古びた聖堂だった。近くの平原には何十年と整備されていない霊廟が点在している。
「不気味な所ですね」
「でも電気は通ってるね」
クィアがピエタを聖堂まで押し、呼び鈴を鳴らす。
少し待つと扉が開き、修道女が顔を出した。
「あら?もしかして電話をいただいた……」
「はい。今日からお世話になるインターンの――」
修道女は目を輝かせた。
「入信者かしら!?」
「いいえ」
修道女は中を振り向き大声を出す。
「皆!入信者よ!」
「違います」
中から中年の男が顔を出し、気の毒そうにピエタを見た。
「入信だと?正気か?やめとけ」
「ええ。だから違います」
修道女がピエタの手をぎゅっと握る。
「あなたに私のお導きがありますように。紹介が遅れたわね。主神兼聖母兼教祖兼シスターのシャルロット・フォールよ。気軽にシャル神様って呼んでね」
「クィアさん帰ろっか」
「お嬢様の心が折れた!?」
退散しようとするピエタに、シャルは言った。
「あら、見て行かないの?電話で話してた例のモノ」
「……!」
クィアを手で制し、ピエタはシャルを振り向いた。
「本当にあるの?」
「ふふ。どうぞこちらへ」
シャルは二人を聖堂の地下へ案内した。エレベーターを降りて長い廊下を進んだ先に、檻がある。
鉄格子の錠を開けながら、シャルは話した。
「気付いたのはあなたが初めてよ。慧眼ね」
ピエタは答える。
「あなたの論文は色々と不審だった。学会では全く評価されなかったみたいだけど、だからこそ興味を惹かれた。あの自信に満ちた文面はいったい何を根拠としているのか」
檻の中へ通され、ピエタはそれと対面した。
「まさか」
思わず息を呑む。
「本当に生け捕りしていたなんて」
それは、全身に杭を打たれ、幾重もの鎖に拘束された――生きた女神だった。
「さて、ピエタさん」
シャルは女神の肩に義手の右手を置き、微笑みかけた。
「私に、何を聞きたい?」

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