青い鳥をさがして
『私のノート』
第二次世界大戦のあと
1948年 日本で
「暮しの手帖」が発刊されました
それより さらに100年前
デンマークで
「フォルケホイスコーレ」 という学校が誕生しました
「暮しの手帖」も「フォルケホイスコーレ」も
必然的に発生した
学びのかたち だと感じています
何度も震災に見舞われた日本でも
ようやく 地域 とか コミュニティの必要性が
高まってきた というときに
コロナウィルスの流行で いろんな仕組みが
がらっと変わってしまいました
(そして、いま 無理やり戻そうとする
謎の力も感じますが)
あえて
良いタイミングだったのではないか
と 思うようにしています
私は教員免許をもっていない
兼業主婦ですが
いま 私が住んでいる小さな町で
でできることを探していたら
気づいたら手仕事学校を作り始めていた
という記録です
「あなたのノート」
幸せの青い鳥を 探すのをあきらめないで
いつか見つかるから
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