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「じぶん」をつくっているもの

未知のものに足を踏み出すときには、ワクワク感と不安が入り交じり、神経を細部まで覚醒させる。その一方で、慣れない環境や役割に身を置くと、身体も心も強張り、自然体でいることが難しい。新しい環境で、周囲との関係性を探りながら、もう一度、自分を作り上げなくてはならない。その負担感は人それぞれだが、5月病というのは、誰しも通り抜ける調整のプロセスなのだろう。

人は、それぞれの文脈の中で生きている。物事が細分化されてしまった世の中では、あたかも、人は一人で生きているように見えるかもしれない。だが、文脈から人だけを抜き取っても、その人らしさは、必ずしもついてこない。環境や役割が変化し、その人の生きている文脈が変われば、必然的にその人も変わる。

周囲との関係性を含む環境との相互作用の中で、自分が作られている。そう考えると、「自分」の範囲は自分自身を超えることに気づく。私を私らしくしてくれているのは、私を取り巻く環境や人々があってこそ、だ。そうすると、空気のように当たり前と思っている環境や自分と切り離された存在として捉えている周囲の人達に対して、愛情と感謝の気持ちが湧いてくる。

周囲との関わりの中で自分を探る時、新たな可能性が開ける。とはいえ、変化は負荷のかかるものだ。一定の役割や肩書を長年背負っていると、自分像も固定化してしまうかもしれない。その殻を破ることに抵抗もあるかもしれない。だが、役割を背負った自分ではなく、ひとりの人間として、人に、世界に向き合う時、自分という存在は、ダイナミックに変化し続ける。「私はこうだから」と決めつけることなく、開かれた自分でありたい。

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