「その大変は誰のもの?」比べるよりも、今の自分に聞こう。
「もっと大変な人なんていくらでもいる」
そんな風に、言ってくれる人がいると、いつも、そうだよね、そうですよね、と受けとめて頑張る自分がいました。
その言葉は、期待を込めて、私(私たち)を鼓舞する言葉だったのだと思うし、私も自分に対して頑張るための理由にしていたのだと思います。
「もっと大変な人なんていくらでもいる」
確かにそうですね。
けれど、
今の自分の感じる大変さを、そのまま受けとめておくことと、
大変な人はいくらでもいるというのは、
比較出来ても、比較する対象にしないことも出来るのですよね。
自分が大変と感じること、
大変と感じないことを、
自分の中で比べて、
大変だからやらないなどという言い訳ではなく、
自分が大変と思うなら、
きっと大変なのです。
そして、自分の大変の改善や、どうすれば良いかは、自分が自分で見つけ出すものではないでしょうか?
誰かの手をかりることもあるかもしれませんし、誰かを参考にしてみるのももちろんOK。
その大変をどうしたかは参考にしても、誰かの大変と比べて、大変自体は参考にしなくても良いかもしれません!
ですが、大変大変ということが出てきた時に、だからできないなどと、はじめから言い訳にしてあきらめているのであれば、それは「逃げ」になってしまいます。
自分を守るための逃げなのか、
ただやめたいだけなのか等、
自分に聞いてみることは、時には必要かと思われます。
ランキングや、クチコミ評価、等々、目に見えてわかりやすい評価が多く目に留まるご時世ですので、自分の内に問いかける習慣を持ちバランスをとりたいものですね。
誰かに何かを問うことよりも、
誰かに何かを求めるよりも、
自分に聞く行為は、
自分で自由が得られて生きやすくなる。
そんな風にも最近は思えるようになりました。
世間的には難しいことがある時も、そんな自由は許されていることを、愛おしいと思うし、何かに懸命に取り組んでいるからこそ、そこだけが全てでないこともどこかで心に留めて全力が出せる。
具体的な状況や、何があってそう思うか等、ぜんぜん書けてない文章ですが、
今思うことを書きました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?