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甘えと依存

(メインブログ「神様達と共に」で2013年9月18日に公開された「甘えと依存」の内容を、一部修正&加筆して再アップしております。)


あ~・・・・ちょっと思考を整理しなくちゃなぁ~(*´Д`*)

先日の猫神様の記事で猫神様が『素直に甘えるということの大切さ』についておっしゃっていました。

猫や犬は、人間に素直に甘えることの大切さを知っていると言っていましたね~。


しかし、スピリチュアル業界や世間では、よく『依存はアカンぜよ』ということを、目にすることもあります∑(゚Д゚)

確かに・・・素直に甘えるのは大切な一方で、あまりに他者に甘え過ぎると『依存』ということになり、自立から遠ざかることもあるかもしれません。

『甘え』と『依存』・・・これは似て非なるものなのでしょうか・・・。

スピリチュアル業界はともかく・・・一般的にはこの辺のバランスって、どうすべきなのかなぁと気になっておりました。


この辺のことを、今日はバシバシ本音で話してくれるあるじと共に話してみようと思います(^^)

あるじぃ~(* ̄Oノ ̄*)


あるじ「ふふふ・・・いいテーマだな。

今の時期・・・その辺のことを整理したいと思っている魂は多い。

地道に一つずつ・・・テーマを掘り下げていく姿勢は大切だよ。

お前は・・・話題が飛ぶ時があるからな。

そのことを心がけると・・・このブログも・・・もっと多くの人の役に立てるだろう。」


うへぇぇ~∑(゚Д゚;)

いきなり厳しいご指摘ですねぇ(;^ω^A

確かに、以前の僕はよく話題がバンバン飛ぶ人間でした・・・。

昔は落ち着きがなかったですぇ(´Д`)

おかげ様で最近は、話題が飛ぶのはなくなってきました。

確かに・・・一つのことをわかりやすく、丁寧に掘り下げていくことって大切ですね(^^)

なんとなくですが・・・あるじの言うとおり、それによってブログでも人様のお役に立てる度合いが違ってきそうな気がします。


あるじ「さよう。

丁寧な掘り下げから逃げんようにな。

それによって・・・お前の道も開けてくるのだからな。」


うん、ありがとうございます(^^)

それでさ・・・あるじ。

『甘え』と『依存』についてなんだけど、あるじの見解を聞かせて下さいな。


あるじ「よかろう。

まず『甘え』についてだ。

これは・・・人間が成長するプロセスの中で・・・自然発生的に必要な感情だ。

人が人に甘える・・・。

猫や犬が人間に甘えて・・・保護を受けるように・・・人間も幼いころは甘えることで保護を受ける。

それはそれで・・・自然なことであり・・・よいことなのだ。

しかし・・・問題は人間の社会の厳しさよ。

子供が素直に甘えているのに・・・『社会に順応できるように厳しく育てよう』・・・という人間の意図が働くことがある。

この時に・・・親は素直に子供を甘えさせてやることができんのよ。

特に・・・自分が甘えられないで育った親はそうだな。

甘えずに・・・しっかりすることが正しいと・・・潜在的に思いこんでいる。

だが・・・本来子供が素直に甘えることは何も悪いことではない。

大切なのは・・・親の子供を見つめる眼差しだ。

だから・・・『この子は今、素直に甘えているな』と感じたら・・・素直に甘えさせてあげるとよい。

たっぷり愛情を注ぐとよかろう。

一方で・・・『この子は今、駆け引きをしているな。甘えている裏には、何か意図があるな』・・・と感じた時には・・・相手をしないことだ。

『そんなことをしても、大人は動きませんよ』・・・ということも教えねばならん。

いずれにしても・・・大人は子供の素直な心を伸ばしてやる必要がある。

歪みを感じたら・・・そちらにいかんように気をつけるのも大切だ。

『甘え』とは・・・自然なもの。

時に『頑張る』ことや・・・『休む』こと・・・『遊ぶ』ことも自然なことだ。

ただ・・・どれか一つにこだわって・・・それだけが正しいという観念を強めるべきではない。

自然とは・・・流れの様なもので・・・その時その時で違った顔があるものだ。

心も・・・そういうものだ。

いかにその子の心が・・・自然のままでいられるか。

それを育むには・・・心を感じる感性が大切だな。

相手や・・・自分の心にも・・・普段から耳を澄ますのじゃ。

そして・・・それはそのまま・・・大人の人間関係にも応用できる。

いかに・・・自然に生きられるか。

いかに・・・心に耳を澄ますか。

このことが・・・今の社会には大切だね。」


なるほどねぇ~∑(゚Д゚)

つまり・・・『甘え』ってのは本来自然で、よいものなのですねぇ。

しかし・・・厳しい社会の中で、子育ては大変なこともあるんでしょう(´ω`)

親御さんも『こっちが甘えたいよ』って思うこともあるんじゃないかな。


あるじ「確かにな・・・。

だから・・・これを見た親が・・・子供を甘えさせられなかったと・・・自分を責めることはない。

その時その時で・・・精一杯やっているのが親というものだ。

なんにせよ・・・自分も甘えられなかったのだから・・・どうやって甘えさせてあげたらいいのかわからんのだろう。

まずは・・・自分の中に甘えられなかった感情・・・満たされない感情があることに気付いたのなら・・・それを自分で抱きしめていくのがよかろう。

これは・・・いわゆる『自立』を強く意識している者ほど難しい。

強く意識するほどに・・・自然な甘えを拒否してきたわけだからな。

しかし・・・それが潜在的なものだとしても・・・過去に満たされなかった分・・・やはり甘えることは大切なことだ。

もし・・・自分で自分を甘えさせてあげるのが難しければ・・・天を仰ぐがよい。

天には・・・誰をも無償で愛する・・・神に溢れている。

そのことを感じるか感じないか・・・信頼するかしないか・・・人それぞれだが・・・なんにせよ・・・大切なのは心を開くことだ。

天であれ・・・神であれ・・・ソウルサポーターであれ・・・人間に開くのが難しいのであれば・・・他の信頼できる存在に開くのがよかろう。

もちろん・・・信頼できる人がいるなら・・・その人に心を開いてみるのもよい。

それによって・・・心はまた一歩素直になれる。

『素直』イコール・・・『自然』だよ。

自然に生きれば・・・相手の不自然さもわかるようになるし・・・自分の不自然さも・・・また一歩わかるようになる。

そして・・・どこでどう人にアプローチすべきかの感性も磨かれてくる。」


ほぉ~、素直イコール自然ですか∑(゚Д゚)

確かに・・・そうかも・・・。

神様達はスッゲー優しいから、ひねくれ者の僕でも素直になれるからねぇ(*´Д`*)

あるじも厳しいけど、なんか素直になれるから不思議だよ(^^)

厳しさの奥に愛があるのは・・・まーわかるしさ(笑)

で、『甘え』についてはわかったけど・・・『依存』についてはどうなの?


あるじ「うむ・・・本来の『甘え』とは・・・そこに歪んだ意図のない・・・素直な表現だと説明したね。

しかし・・・『依存』には大抵・・・その人間の意図がなにかしら存在している。

それも・・・いくらか利己的だったり・・・保身だったり・・・その者の都合が混じった意図だ。

時に・・・人間は甘えねばならんこともある。

どうしても・・・一人では乗り越えられない時に・・・素直に人に頭を下げて・・・お願いすることが大切な時もあるのだ。

しかし・・・そういう時に大切なのは・・・正直な胸の内をさらすこと・・・。

なにかを抱えたまま・・・お願いするのは・・・少なくとも・・・その者の心にとってよいことではない。

そして・・・その様な素直なお願いもないまま・・・能力のある者がいろいろと甘えを受け入れるのは・・・双方にとってよいことではない。

お願いするならするで・・・正直な胸の内をさらすべきなのだよ。

それをせずに・・・相手に頼るのは『依存』と言える。

そういう場合・・・依存した側は・・・『ありがとう』や『ゴメンなさい』と心から言えんものだ。

素直な心が開けていないのだからな。

つまり大切なのは・・・お願いする時は・・・心をさらけ出すということだ。

もし・・・自分が今『甘え』ではなく・・・『依存』になってないか気になったのならば・・・相手に素直に『ありがとう』や・・・『ゴメンなさい』と言えるかを考えてみるとよいだろう。

『依存』とは・・・知らず知らず起こるものだ。

なぜならば・・・知らず知らず『やってもらって当たり前』になっているのが『依存』だからね。

そうではなくて・・・相手の心をちゃんと感じて生きていれば・・・自然と『ありがとう』や・・・『ゴメンなさい』が出てくるのだよ。」


なるほどねぇ・・・(´Д`)

わかる・・・わかります。

昔の僕・・・学生の頃でひねくれてた頃には両親に『ありがとう』とか『ゴメンなさい』とか、素直に言えなかったですね・・・。

そのくせ、ちゃっかり生活面は親には依存していました(´ω`)

確かにあの状態は自然じゃなかったし・・・『依存』だったなぁって思います。

でも・・・その依存状態を、自分では気付けていなかったですねぇ(´Д`)


あるじ「『依存』は多くの場合・・・本人はまったく気付かずに行われるのよ。

心の奥で・・・少しずつ『やってもらって当たり前』という怠慢が育ち・・・慢性的になることが多いね。

しかし・・・自分を省みたり・・・素直に『ありがとう』や・・・『ゴメンなさい』と言える人は・・・そんなに気にすることではない。

『依存』とは・・・素直になれない心の病の様なものだ。

それを正すには・・・時に厳しさも必要だね。

気付くことに気付き・・・認めることを認め・・・プライドという殻を手放さないといけない時があるのだよ。」


確かに・・・昔の僕がそうでした(;^ω^A

メッチャ厳しい現実に直面して・・・やっとプライドが剥げ落ち、心が依存傾向から脱した気がします。

でも・・・現実ってどこを見ても厳しい場合が多いですから、依存から脱したと思ったら、今度は犠牲になることも多いですよね・・・。

お客さんなんかも、優しい方ほど『私、依存になっていませんか?』って聞いて下さることがあります。

そういう方ほどお心が素直ですから、『全然大丈夫ですよ』って言うんですけどね(^^)

やっぱり時には、素直に神様に甘えるのは悪いことじゃないんですよね。

僕なんかもそうですが・・・依存を乗り越えたら、今度は『依存はいけない』って、自分に厳しくなりがちなのかもしれないですね。


あるじ「今のところ・・・お前のお客さんの中に・・・強い依存を抱えた人はいないようだね。

お前は人に恵まれているな。

感謝するがいい。

しかし・・・プロならば・・・時に依存が強い人間が来た時も・・・言うべきことはハッキリ言わねばならんよ。

何にせよ・・・過剰に依存していることに気付かないのであれば・・・その者にとってもリスクになる。

相手の心に耳を澄まして・・・必要ならばバシッということも奉仕なのだ。」


ははは(笑)

それは、あるじに言われると説得力あるね(^▽^;)

確かに・・・そういう人にバシッというのは苦手だったけど、でも以前よりは、ハッキリ言えるようになってきたと思うよ?


あるじ「お前なりにな。

だが・・・まだまだ甘いぞ。

もっとハッキリ・・・しっかり言わんか。

その者の力を信じているのなら・・・もっとハッキリ言えるはずだ。

お前はまだ・・・信じきれていないのだよ。

相手の潜在的な力・・・自分の潜在的な力をな。

それをしっかりと信じた時に・・・唯一・・・本当に伝わる可能性がある。

風に任せて・・・ふわふわと助言しても・・・なんにも心に届かんよ。

言うなら・・・バシッと言え。

それが・・・愛というものだろう。」


・・・たしかにね(;^ω^A

あるじの言葉が胸に響きますわ・・・。

ふむ・・・そういう時が来たら、そうするように心がけまする(´Д`)


あるじ「うむ・・・そろそろ・・・そういう時期になってくる。

言うべきことはハッキリ言うのだ。

もう・・・ごまかしが効く時代ではないのだからな。」


わかりました(´Д`)

精進いたしますm(_ _)m


うわぁ・・・最後はなんかダメだしだったなぁ・・・(;^ω^A

ハッキリ言うかぁ。

やっぱり時代は半沢なのかな・・・(笑)


でも・・・言ってくれてありがとう、あるじ(^^)

オラできる限りやってみるだよ(`・ω・´)ゞ


そして・・・あるじが言ってた通り、僕が『人に恵まれている』という話も、ホントそうだなぁと思います。

今のところ、お客さんから過剰に依存を受けたことはなく、皆様謙虚で理解ある方々なのですよ(*´Д`*)

本当にありがたいことだなぁと思っています。


セッションでは、あくまでも『お客さんのお心が主役』とお伝えしていますが、そのことをよくご理解いただけているなぁと感じます。

考えてみれば・・・それは、あるじの言う『自然』なことなのかもしれません。


僕がもしスピ的な権威をかざせば、それに注目する依存的な方とご縁があるのかもしれませんが、実際の僕はただの普通の人ですからねぇ(笑)

スピリチュアルは何か特別な人になるためのものでもないし、すがりつけるものでもなくて・・・その人の心のままに、幸せに生きるためのエッセンスなのだろうと思っています。

これからも、そんな感じで気楽に・・・そして時にハッキリと∑(゚Д゚;)やっていこうと思います。

ご覧くださいまして、ありがとうございました。


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