見出し画像

業について その1

(メインブログ「神様達と共に」で2017年9月9日にアップした「業について その1」の内容を、一部修正&加筆して再アップしております。)


このブログで、時々出てくる・・・「業(ごう)」という言葉がありますよね。

これは「カルマ」と言われることもあります。

ご存じの方も多いと思いますが・・・「業」も「カルマ」も、元々は仏教の言葉ですね。

ただ・・・これって結構、誤解の多い言葉でもあるなぁと感じています。

そして、これまで・・・あまりこのブログで詳しく説明してこなかった言葉でもありますね。


昔からの読者さんはご存じだと思いますが・・・僕はこの「業」のことをよく「魂のフタ」と呼んでいます。

この「魂のフタ」については、過去にいろいろな記事で解説させて頂いてます。

「業」にせよ「魂のフタ」にせよ、それを否定的に扱うことはないし・・・自分を愛することや・・・肯定的に向き合うことが一番大切だと思っています。

この「業」や「カルマ」という言葉が大きく誤解されてしまった最大の原因は・・・過去の宗教や政治、教育の中で「罪」という言葉と共に利用され・・・人々をコントロールする手段となってきたところにあるのでしょうね。

そのような影響は、実はかなり深く・・・人々の心に残っていて・・・。

それが潜在的な罪悪感や、自己否定にも繋がっていることも多いようです。


本当は、どんな「業」にも・・・「カルマ」にも・・・肯定的に愛を持って向き合うべきなのですが・・・(TωT)

過去の歴史の中で、多くの支配的な人・・・多くの国家、多くの歪んだ宗教が、人をコントロールするための口実として、このような言葉を利用してきた背景があるようです。

それはまさに、「業」を持って「業」を裁くようなもので・・・かえって「業」を大きくしてしまうことがほとんどなのです。

ですので・・・このブログでは、そのようなことが無いように・・・。

できる限り、この誤解を解く方向で・・・慎重に言葉を選んでお届けしてきました。


「魂のフタ」という言葉も、実はそのような厳しい過去の宗教や・・・政治的な背景を考慮して、ニュアンスを柔らかくするために、僕が考え出した言葉でした。

ただ、実は一方で・・・「魂のフタ」というニュアンスでは、本来の「業」全体のエネルギーの流れを説明しきれない部分もあるのです・・・。

より奥深い内容を扱っていく中で、それはそれで、真実をボヤかしている側面もあるなぁと・・・。

実は数年前から僕の中で、徐々にそう感じることも増えてきていました(。-ω-。)


なのでやはり・・・そろそろ真正面から「業」について扱っていく必要があると思ったわけです。

僕の中でもいろいろと思慮を重ね・・・やっと「業」ということについて、自分なりにわかりやすく説明できる準備が整ってきたと感じています。

ちょっとヘビーな話題ですけどね(笑)

でも実は・・・よく理解出来れば、そんなにヘビーなことではなくて・・・逆に「業を恐れることはない」と、心がスッキリできことでもあると思うのです(^^)

ということで・・・。

大きな4つポイント(①~④)に絞って・・・出来るだけわかりやすく、「業」について解説していこうと思います。


ちなみに、この内容はあくまでも、僕がこれまで感覚的に理解してきたこと・・・セッションなどで神様達が教えてくれた情報を元に、まとめたものです。

僕個人の中で・・・現実と照らし合わせて、「これは真実だ」と確信してきた内容ではありますが・・・。

必ずしも、これが全ての人にとって正しい内容だと、押しつけるつもりもありませんし・・・違う理論を唱える宗教やスピリチュアルを否定するつもりもありません。

何が真実かは・・・読んで下さっているあなた様のお心が「真実だ」と感じるものでよいと思っています(^^)

僕の中に、目には見えない領域の真実を広く普及させる目的はなく・・・少しでもあなた様のお心が楽になるために・・・。

また、お幸せを深めていくために、必要な情報を提供できれば・・・という想いで発信しています。

そのため、真偽に関する議論をしたいとは思いませんし・・・あなた様の中で大切だと感じる部分を、あなた様なりに活用して頂けましたらそれで十分です。

その点、どうかご理解頂けましたら幸いですm(_ _)m


では、ちょっと前置きが長くなりましたが・・・。

「業」について4つのポイントを、一つ一つ丁寧にお届けしてまいりましょう(^^)/


ポイント① 業とはマイナスのエネルギー体

多くの方は「業」という言葉は、何か悪いことをした時、その行為を指す言葉だと思われているかもしれません。

でも実は・・・僕の視点から見ると、業とはエネルギー現象であって、例えば因果応報などの表面的な関係性だけで説明できるものではないと感じています。

よく誰かを傷つけると業になって、来世で自分が傷つけられる・・・とか言いますよね。

でも、必ずしもそうではないのです。

例えば・・・過去世でAさんがBさんを欺し、お金を奪い取ったことがあったとしましょう。

当時のAさんは、普段からお金が無いと不安で不安で仕方がない人で・・・ある時、つい焦りと欲からBさんを欺してしまったのです。

もし単純に「業」というものが因果応報で説明できるものだとすると、今世では今度はAさんがBさんから欺され、お金を奪われる・・・ということになりますよね。

しかし、必ずしもそうならないケースもあり得ます。

過去世でAさんはBさんからお金を奪うことによって、自分の中の不安を埋めるかのようにして、安心を得ました。

ということは・・・Aさんの心の根本的な問題は「お金に対する不安」なのです。

ですからもし・・・その「不安」を根本から癒すことができれば、Bさんからお金を奪われるという因果応報の現実を引き寄せないで済む・・・ということになるわけです。

今世で、AさんがBさんに再会した時に・・・Bさんも過去にお金を奪われた経験から、心の奥に「お金に対する不安」を持っていたとして・・・。

もしAさんがBさんの心に寄り添い、自分の中にも同じような「お金に対する不安」があることを告白し、一緒に乗り越えて行こうと励まし、自分自身も「お金に対する不安」と向き合い癒すことが出来たとしたら・・・。

あるいは・・・直接深く関わらずとも、Aさんが自分自身の心に向き合い・・・「お金に対する不安」を深く癒すことができたとしたら・・・。

それによってBさんは・・・Aさんからお金を奪おうという気持ちにはならないかもしれません。

それでも、やはりBさんは・・・Aさんになんらかの迷惑をかけてしまうかもしれませんが、「お金に対する不安」が癒された分は、Aさんの被害は少なくなる可能性が高いのです。

つまり、「業」というのはシンプルに、自分が抱え込んでいるマイナスの感情や、マイナスの信念であって・・・それをどれだけ抱えているかによって、それに呼応した現実がやってくる・・・ということなのですね。


ですから、もし自分自身や相手と真摯に向き合い、潜在的なマイナス感情やマイナスの信念に気付き、手放していくことが出来たら・・・因果応報はやってこなくなります。

逆に言えば・・・。

どれほど悪いことをしないように気をつけていても・・・心の中でいつも誰かを批判したり、マイナス感情やマイナスの信念を大きくしていると、やはりそれに呼応した現実がやって来るのですね。

なので、悪いことをしたらその人は必ず悪い人・・・というわけではないのです。

「業」の本質は、流動的なエネルギー体なので・・・外見や一時的な状態だけで、その人を判断することは出来ませんよね。

つまり・・・「業」という言葉で、誰かに悪い人としてのレッテルを貼ることも出来ないわけです。

このブログでたまに出てくる「業」や「カルマ」という言葉も、変化しうるエネルギー的なもの・・・という意味で使っています。

人は常に変わっていくものですし、全ての魂には愛と慈悲が宿っているので、最初からの悪人・・・根っからの悪人はいないのですね。

ですから、「業」という言葉は、むしろ見えない心の領域を表す言葉であって・・・どちらかと言えば、潜在的なマイナス要素に気付き、それを癒していくために仏教で活用されてきた言葉である・・・と僕は感じています。


ポイント② 業は償うものではなく向き合うもの

「業」という言葉を調べてみると・・・よく「業を償う」とか、言われることがあると思います。

また・・・「人間は罪深いので、よい行いを積むべき」などという教えを聞くこともあります。

もし①が真実だとしても、確かに僕らは潜在的に・・・さまざまなマイナス感情やマイナスの信念を持っています・・・。

だとしたら、それを解消するために、普段から「業を償おう」とか「よい行いをしなくては」と、思うべきでしょうか?

これは・・・僕の中では基本的にNOです。

そもそも、「償い」や「よい行い」というのは、必ずしも普段から意図してするものではないと思うからです。

①の例で言いますと、AさんがBさんの心に寄り添い、一緒に「お金に対する不安」を癒したとしたら・・・これは確かに「償い」であり、「よい行い」と言えるでしょう。

しかし、もしAさんが自分の業を解消するため・・・という動機からBさんと向き合ったとして、果たしてBさんの心は癒されるのでしょうか・・・?

人の心は案外、真実を感じ取るものです。

AさんはBさんのため・・・と言っておきながら、実はそれほど親身ではなく、何か自分の意図ために寄り添っている・・・と伝わってしまうかもしれません。

もし、それが伝わらないとしても・・・Aさんはどこか義務や自己否定を抱えているので、Bさんの心が癒されるほど、あたたかい心で寄り添うことは難しいかもしれません。

ですから、結果的に「償い」の気持ちや自己否定から・・・「よい行い」を心がけることは、あまり役に立たないことが多いのです。

それよりも、僕は自分の心に正直になるだけで十分だと思っています。

もし過去世で相手に対して悪いことをしていたとしたら、不思議とこの人の心に寄り添ってあげたいとか・・・よいことをしてあげなければという気持ちになることが多いようです。

特に魂が犠牲のプロセスを歩んでいると、そういうことが多いみたいです。

魂がもし・・・慈悲のプロセスを歩んでいると、「この人には慈悲を持って向き合いたい」と思い、慈悲が溢れてくるかもしれません。

いずれにしても、相手との関係の根底にあるマイナス感情やマイナスの信念が癒されれば「業」は解消されるわけで、実は・・・多くの場合、魂的にはそのような状況をわかっていることも多いようです。

ですから、そのような場合は自然と相手に対して、そのような心が湧いてくるものなのですね。

もし、自分の中にマイナス感情やマイナスの信念が多くあることに気付いたとしても・・・。

例えば、誰かスピリチュアルな能力がある人から「あなたはあの人に過去世で悪いことをした」と指摘されたとしても・・・。

それでも「償い」や「よい行いをすべき」をあまり強く意識しなくていいし・・・そうしない方がよいと思います。

なぜならば・・・そういう意識の在り方は、根底に自己否定があるので、今度はかえって自己否定や罪悪感というマイナスの信念(業)が増してしまうものだからです。

それでは、また別の種類の業が増えてしまうので、意味が無いですよね(;^ω^A

心はとても精妙で・・・一つの現象や一つの言葉に捕らわれると、とたんに不安になったり、自分を否定したりすることもあります。

真実を知ることはよいことですが・・・でも、否定的なエネルギーの言葉を真実だと思い込んでしまうと、かえって事をこじらせてしまう可能性もあります。

ですから、否定的な雰囲気で・・・義務や罪悪感を刺激するような周囲の言葉や、プレッシャーには惑わされず・・・。

逆に、自分の心が感じるところを大切に・・・。

むしろ「業」・・・つまり、自分が抱えるさまざまなマイナス感情やマイナスの信念に対しては、愛や慈悲、穏やかさや前向きさなど・・・自分らしいプラスの心で向き合うことが望ましいのですね。

これは、これまでのブログでも重点的にお伝えしてきた内容です。

魂 12の個性」でお伝えしたような、自分らしい個性の輝きが・・・皆様お一人お一人のお心の中に宿っています。

ですから「愛と慈悲」と言うと、ちょっと難しく感じるかもしれませんが・・・。

要は、自分の中のマイナス要素をしっかりと認め・・・あとはプラス要素でアプローチしていけば、「業」は癒されていくわけです。

例えば「大丈夫・・・大丈夫」と、明るく前向きに自分のマイナス感情に語りかけたり・・・。

「そのままでいいんだよ(^^)」と、優しく平和的に自分のマイナス感情に語りかけたり・・・。

「頑張ってきたねぇ」と、あたたかく共感して、寄り添う様にアプローチしたり・・・。

何も語らずに・・・どっしりと落ち着いて理解を深めていくようなアプローチを試みてみたり・・・。

つまり・・・各種マイナス感情の性質に応じて・・・その時にその時で自分なりに、最もプラスのエネルギーが出やすいアプローチ方法でよいのですね。

あなた様のお心の中心には、必ずプラスの力が宿っています。

それを、このブログでは「愛」と「慈悲」や・・・。

「癒し」や「調和」・・・「明るさ」や「気高さ」・・・。

他にも「心の力」や「前向きさ」などの言葉で表しているわけです。

このように考えてみると、自分自身の「業」と向き合っていくプロセスは、実は自分らしさを引き出していくプロセスにもなっている・・・とも言えるわけです。

業は償うものではなく向き合うもの・・・。

では、このことを、もうちょっとわかりやすく計算式風に説明てみましょう。

「業を償う」スタンスですと、そこに「罪悪感」が加わってしまい・・・。

「業」(-1)+「罪悪感」(-1)=「業」(-2)

と・・・なってしまうので・・・(TωT)

自分らしいプラスの要素を中心に据えて・・・例えば「前向きさ」を中心に向き合うことで・・・。

「業」(-1)+「前向きさ」(+1)=「業」(0)+「徳」(+1)

・・・という結果になります。

そう実は・・・前向きさで業を消化することで・・・業が「徳」という「運」のようなエッセンスに変化するのです。



つまり、「業」に「前向きさ」のエネルギーを届けることで、黒いエネルギー体である「業」がジュワーッと消化されて・・・。

そこから新たに、キラキラと輝く「徳」というエネルギー体が生まれてくる・・・ということなのです。

この様子は、僕自身、内観して自らのエネルギーを観察していく中で、何度も見てきました。

お伝えしたように、「徳」は「運」や「生命力」などに変換できるプラスのエネルギー体であり、人生の中でさまざまな肯定的な結果や、ここ一番の活力や、さらには人との縁などを届けてくれます。

このような目には見えない領域の力学を見てみますと・・・。

「業」というのは、必ずしも悪者ではなく、自分らしさを成長させてくれたり・・・しっかり向き合い癒すことで、かえって人生を深く幸せにしてくれる力となり得るものなのです。

つまり、他人であれ自分自身であれ・・・。

もし、悪いことをしたとしても必ずしも否定的に裁かれるべきではなく、謙虚にその間違いと原因に気付き、真実を受け入れたのであれば・・・あとはもう、肯定的なプラスのエネルギーを持って向き合うことが正解なのです。

その様な真実は・・・人間にはハッキリと見えていないので、業に対して業を重ねて裁くような・・・むちゃくちゃな思想や教育が当たり前の様にはびこってきたわけなのですね・・・(*´Д`)=з

しかし、もうアセンションは終わり・・・犠牲の時代から慈悲の時代へとシフトしています・・・。

根が深いさまざまな問題は残っているものの・・・少なくとも否定的に裁くような古い常識や教育に心を染める必要はないし、なによりも自分の心を大切に生きていい・・・。

むしろ、肯定的な心の要素を力強く堂々と育んでいっていい・・・。

今はもうそんな時代に入っていると、僕は感じています。

ただ、たとえマイナス感情にプラスの心で向き合うことが正解と頭ではわかっていても・・・。

やはり、実際に根が深いマイナス感情を心の中で真正面から認め・・・受け止め・・・プラスの力で消化していくのはしんどい時もありますからね(;^ω^A

これは僕もそうですし・・・なかなか難しいものなのです。

ですから、特に大きなマイナス感情や・・・マイナスの信念が自分の中にあると気付いた場合は、焦らず時間をかけてコツコツ向き合っていこう・・・。

そんな風に、気を長く持って向き合っていくことも大切なポイントでしょう(^^)

このブログの内容や各種企画では、いろいろな「業」にもプラスの心で向き合っていきやすいように・・・多種多様なサポートをお届けしているわけです。


はい・・・。

では長くなりましたので、一旦ここで中断して、残り2つのポイント(③、④)は次回にご説明しようと思います。

この内容が、あなた様の中で少しでも心を楽にしたり・・・癒しを深めるきっかけとなりましたら・・・とても嬉しいです(^^)

よかったらぜひ共に、一歩ずつ自分の人生と向き合い・・・大切な自分らしさを見出してまいりましょう。

ご覧下さりまして、ありがとうございました。


もしこの活動を支援したいと思って頂けましたら、サポートして頂けましたらありがたいです(^^) (少額でかまいませんし・・・ご負担にならない範囲でよろしくお願いしますm(_ _)m)