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深い闇と向き合う

(メインブログ「神様達と共に」で2013年11月30日に公開された「深い闇と向き合う」の内容を、一部修正&加筆して再アップしております。)


最近このブログでは、時代の変化についての情報をよくお届けしています。

その大抵がポジティブな視点の内容なのですが・・・これは読者さんに前向きな視点をお届けするためという想いからです。

やっぱり個人的にも、どうせ生きるのなら前向きに楽しく生きたいからですね(^^)


ただ・・・僕自身注意していることなのですが、時にその前向きさに拘ること自体が、逃避になる可能性があります。

真実を心でしっかり見つめられない時に、どこか前向きさやポジティブな考え方でごまかす様なことは、誰でもあることだと思うのです。

ですから、本当の意味で前向きに生きいるためには、時にはネガティブな事柄だとしても・・・真実は真実として、真正面から向き合い、より深い部分を見通し、受け止め、考える姿勢も大切だなぁと感じています。

時代は変わってきたとはいえ・・・テレビをつけると、痛ましい事件は起こり続けています(TωT)

その根本となる原因として・・・人の心の深い闇が実在していることは、誰もが否定できない事実でしょう。


深刻になるつもりはないですが、何度も同じ様な事件が起き続けている以上、その様な深い闇もまた僕達日本人が真正面から見つめるべき課題なのかもしれないと・・・最近は思うのです。


ただ、そこにどう向き合えばいいのか・・・。

これは多くの人が抱える、一つの根本的な疑問ですよね。

また、スピリチュアル的な思想が、その答えの一部を担っているようにも感じています。

今日はせっかくなので、闇と向き合うスペシャリストであるお釈迦様と一緒に、その話題を深めてみようと思います(。-ω-。)


ただ、内容が内容ですので、ここまで読んで「読みたくない」と感じる方は、どうぞ無理はなさらないでくださいねm(_ _)m

(真剣に闇と向き合うためには、心構えや準備、またはタイミングが大切なのかもしれません。)

では、お釈迦様、よろしくお願いします(-人-)


お釈迦様「よろしくお願いします。」


お釈迦様が亡くなってから2500年が経っていますが、今の日本、いや世界中で痛ましい事件が起こり続けています。

この根本的な原因はどこあるのでしょうか?


お釈迦様「まず大切なのは・・・人の心をよく知るということです。

表面的な出来事で・・・全てを判断することはできません。

痛ましい事件の奥には・・・必ず大きなカルマが絡んでいます。

カルマとは・・・その人の心の痛みです。

日本全体について・・・考えてみましょう。

あなたがおっしゃる通り・・・多くの人が前向きな情報・・・得をする情報を得ようとしますが・・・勇気を持ってカルマと向き合おうという情報がどれほどあるでしょうか。

そして・・・あらゆる負の遺産は蓄積されていきます。

否定的なエネルギー・・・つまりカルマとしてです。

そこにメスを入れるために・・・多くの魂が転生していますが・・・その大部分がまだ本来の力を発揮できずにいます。

その原因は・・・やはり世を恐れ・・・否定的なエネルギーを恐れるが故です。

しかし・・・大切なことは・・・もしあなたが慈悲に目覚め・・・それを死をいとわない覚悟を持って貫くのなら・・・あなたは何も失うことはない・・・ということです。

相手の心を知り・・・慈悲の眼差しを向けること・・・。

これが唯一の解決方法です。

表面的な事象で・・・人の心を計ることはできません。

悪人はいません。

ただ・・・仏性を持ちながらも・・・道に迷った人がいるだけなのです。」


ほぉ~・・・ありがとうございます・・・。

お釈迦様は、たぶんそうおっしゃるだろうなぁって思っていました(^^)

ただ・・・慈悲の眼差しを向けることと言っても、ひどい事件をおこした犯人に対してなかなか難しいケースも多いんじゃないでしょうか。


お釈迦様「残念ですが・・・私はどのような闇も真っすぐに見つめる道を歩んでいますので・・・脇道について語るつもりはありません。

ただ・・・一つ言えることは・・・無理をすることはない・・・ということです。

あなたはあなたのペースでよいのです。

恐ろしいと感じるならば・・・恐ろしいと感じているのですから・・・それを否定することは誰にも出来ません。

むしろ・・・その恐ろしさを大切に見つめてあげましょう。

このことは・・・前回もお伝えしましたね。

その上で・・・恐ろしさが少なくなってきたのならば・・・相手と向き合えばよいのです。

大切なのは・・・自分がそうしたいと思うかどうかです。

私も・・・弟子たちには・・・自分のペースで向き合うようにと伝えていました。

しかし・・・その者の心が磨かれ・・・清められるほどに・・・必ず試練として魔は近寄ってきます。

魔とは・・・大きな光に挑戦を届けに来る天使とも言えます。

それは・・・いろいろな形でやってきます。

直接・・・体や心が痛みを感じたり・・・または・・・縁の深い人を通して否定的なエネルギーをぶつけられたり・・・何か大切なことが失敗したり・・・失ったりと・・・あらゆる形で魔は私達に挑戦をしてきます。

しかし・・・それに動じることはありません。

大切なのは・・・あなたの中に宿る仏性(魂)は永遠であり・・・無限無生(生まれることも死ぬこともない)だと知り・・・そのままに生きることです。

悟りを得たとしても・・・仏性のままに生きることは大変なことです。

私は・・・悟りを得た者に・・・そのような生き方を一歩一歩丁寧に届けました。

場合によっては・・・あえて魔と向き合わせるように仕向けることもありました。

それによって恐れを乗り越え・・・新たなる体現(仏性と人生が一体化すること)が起こり得るからです。

痛ましい事件は・・・あなたの世でも・・・私の世でも起こり続けています。

しかし・・・それは無限無生の魂が・・・己を磨いている過程とも言えるのです。

もし・・・あなたが闇にも慈悲の目を向けたい・・・と願うのであれば・・・相手と向き合った際に・・・心を動じさせてはいけません。

相手に同情すること・・・説得することが慈悲ではないのです。

慈悲とは・・・相手の奥にある仏性を見つけ・・・それもまた無限無生であることを信頼し微笑み・・・見透し・・・共有することなのです。」


うわぁ~、深いですねぇ∑(゚Д゚;)

いやぁ・・・おっしゃる通りだと思うのですが・・・。

お釈迦様、いきなりハードル高いんじゃないっすかね(^▽^;)

よかったら、もうちょっと噛み砕いて話していきませんか?

えー・・・相手の心の奥にある魂が無限で・・・本来生まれることも死ぬこともないものであるのはわかりました。

しかし、それによって恐れを持たずに闇と向き合い、受け止める強さにどのようにつなげていくのでしょう?

また・・・闇に染まることと、闇を受け止めることは違いがあると思いますが、その辺も教えて頂けますか?


お釈迦様「すみません・・・。

つい・・・私の弟子たちに語るように話してしまいました。

ここでは・・・私の実体(肉体)がないので・・・心にダイレクトに届けるわけではありませんからね。

あなたという媒体を通し・・・また活字という媒体を通さなくてはならない・・・。

つまり・・・よりわかりやすい説明が必要ということですね。

私も学びになります。

ありがとうございます。」


いえいえ・・・∑(゚Д゚;)

めっそうもありません。

こちらの方こそ、合わせて頂いて申し訳ないですm(_ _)m


お釈迦様「あなたはわかっているはずですが・・・なぜ慈悲にその力(闇を昇華する力)があることを・・・伝えないのでしょうか?

慈悲は・・・闇を唯一・・・幸福へと変える力を持っています。

慈悲無くして・・・闇を幾ら見つめたとしても・・・それは本当の意味では昇華しません。

慈悲とは何かと言えば・・・精神的に持たざる者(乞食)となり・・・相手の心を真っすぐに見つめた時に湧いてくる・・・あたたかき仏性(魂)の灯です。

少しでも・・・自分が相手よりも上だという判断が入った場合・・・慈悲の目で相手を見透すことはできません。

唯一・・・持たざる者の慈悲の眼差しでのみ・・・相手の心を知り・・・あたたかき灯を届けることができるのです。

ただこれには・・・練習が必要な場合もあります。

慈悲がわからないのであれば・・・何度も何度も人に心を開き・・・真正面から向き合い・・・相手を思いやるという練習が必要なのです。

場合によっては・・・非常に長い期間の練習になるかもしれません。

ですから・・・私は悟りを得た者に・・・一旦その事実を忘れ・・・いろいろな人と会うようにと伝えます。

それによって・・・自分の知らない感性が開かれ・・・まだ見ぬ己の闇と向き合うことができるようになるのです。

それを続け・・・慈悲を磨かなければ・・・相手にとって・・・本当に必要なものを届けることが出来ません。

どれほど聡明だとしても・・・相手の心を知らなければ・・・扉を前にして鍵を持たぬも同然なのです。」


なるほど・・・いやぁ、おっしゃることわかります。

確かに・・・相手を裁かずに、それでいてあたたかな平等な目線で見つめた時、相手の心の奥にも美しい魂が宿っていると信じた時に、はじめて相手の魂(心)がハッキリと見えてきます。

この時、相手の心を見つめる動機が大切ですね。

少しでも『自分の方が知っている』とか『自分が相手に教える側だ』という意識が混ざっていると、不思議と魂(心)が見えてこないんですよね・・・。

魂(心)の世界というのは本当に不思議です。

僕もセッションをする前に、できるだけ平等な姿勢でお客様のお心を感じさせて頂こうと思っていますが・・・でもお釈迦様の慈悲にはまったく及びませんよ(^▽^;)

やっぱり、僕はまだお釈迦様がおっしゃるような精神的に持たざる者(乞食)には、まだなれてない気がしています。

これは自分を卑下するわけじゃないのですが・・・深く客観的に自分を見つめると、まだ無意識領域にはプライドや自己顕示欲もあると感じているのです。

そういう部分って思ったよりも根が深いようで・・・無理をして活動を広げようとしたり、黒子性を忘れると、知らず知らず大きくなることもあると感じています。

特にこの業界では、そのせいで失敗される方も多いですからね・・・。

今はそれをしっかりと見つめていきたい時期なので、まだ慈悲について自分が伝える側になることに違和感があるのですよ(´Д`)

今まで感動的な慈悲体験や神秘体験もいろいろあったのですが・・・このブログでそういう個人的な体験をほとんどシェアしていないのも、同様の理由からなのです。

個人的にはそういう体験はその瞬間の宝であって・・・大事に記憶として抱え持っていても、その瞬間以上の感動はありえないわけで・・・シェアすることで自己顕示欲が大きくなるぐらいなら、手放しした方がいいだろうと思っています。


お釈迦様「そこはその通りですね・・・。

悟りですらも・・・その体験自体・・・『得た』ということに捕われるならば・・・愛欲や貪りの心を大きくするものであると・・・弟子たちには伝えています。

ただ・・・慈悲を実践することと・・・その話はまた少し違う話です。

あなたの言うとおり・・・相手の心を知ること・・・知ろうとすることは・・・相手を導いてあげようとか・・・相手を助けてあげようという目線ではできません。

そこにはまだどこかに・・・『自分が優位』という心が隠れているからです。

相手の心を知らせて頂くことに・・・こちらが感謝すること・・・それ自体に大きな宝があることを知っていなければなりません。

あなたは思考錯誤している段階の様ですが・・・そういう姿勢と情報を届ける役目を持っているはずです。

もしできるのならば・・・いずれは腹を決めなさい。

あなたは誰も・・・教えることはできません。

ただ・・・相手の心を感じることが幸せなのです。

人とは皆・・・本来はそういうものです。

相手の心・・・そこに深い闇があったとしても・・・その奥にある相手の痛みを共に感じることを・・・最後までしっかりと続けるならば・・・真実と共に・・・溢れる様な感動がやってくるはずです。

誰もが・・・その人なりの途方もなく美しいドラマを持っています。

たとえ・・・あらゆる人が否定するような人だとしても・・・唯一その人なりの壮大な命のドラマ・・・尊敬されるべき仏性を持っているのです。

闇を乗り越えるとは・・・闇を受け止めるとは・・・ただそのことを信じ・・・感じ・・・見透すことです。

それをしっかりとした芯を持って貫いた時に・・・どのような人も・・・こちらの慈悲を感じ・・・『やっとわかってもらえた』と感じるのです。

私は毎日のように・・・私の元を訪れる魔と対話してきました。

ある時は・・・頑なで・・・なかなか慈悲を届けられない存在もいました。

しかし・・・どんな存在にも必ず仏性があり・・・美しい人生があります。

それをただ信じ続けた時・・・必ずそれは届きました。

皆・・・あたたかな灯を得た時に・・・頑なな心に柔らかさを取り戻し・・・私のもとを去って行きました。

彼らは・・・全てが無駄ではなかったと知ったのです・・・。

たとえ魔と呼ばれる存在であっても・・・誰もが仏性を持っており・・・仏性その者であることを共に共感すること・・・共に分かち合うことが慈悲であり・・・闇を受け止め・・・昇華するための方法です。

これを理解し・・・実践するのには時間がかかるでしょう。

ですから・・・自分のペースでよいので・・・それを試みてください。

それと・・・あなたの質問に答えましょう。

『闇に染まる』と・・・『闇を受け止める』の違いですね。

『闇に染まる』とは・・・相手から・・・自分の中にもある闇を感じ・・・それに対して無意識で共感や同情を届たり・・・癒着するような時に起こります。

大切なのは・・・闇を甘やかすのでも・・・裁くのでもなく・・・ただ慈悲の目を向けることです。

己を守り・・・闇を裁きによって遠ざけることも・・・己を犠牲にし・・・闇を甘やかし続けることも・・・根本的な解決には繋がりません。

あたたかき心に宿る灯を大切に・・・慈悲の姿勢を貫き・・・それによって相手に気付きの種・・・改心のきっかけを届け続けることが・・・私達にできる唯一の方法なのです。

このような姿勢を持って・・・相手の心の闇と向き合うことが『闇を受け止める』ということでしょう。

なぜならば・・・あらゆる命が完全なる魂の尊厳・・・個々の自由意思を持っているからです。

私達は一つですが・・・相手の仏性を尊敬すべきであり・・・その自主的な芽生えを・・・こちらの意図で潰すことはできません。

もし慈悲を持たず・・・自分の得た気付きで相手を染めようとするのならば・・・その心の奥には・・・支配や自己を顕示したいという欲望が含まれているものです。

相手の全てを肯定し・・・受け止め・・・信頼するという姿勢が出来てはじめて・・・私達はお互いに有益な言葉を共有することができるのです。」


おおぉ・・・な、なるほどです・・・∑(゚Д゚;)

スゲー真実をわかりやすく、ズバズバと言って下さっている感じがします。

これは・・・実際にそれが実践出来ているお釈迦様だからこそ、言えることですよね(^^;)

いやぁ~、ハードル高いなぁ(笑)

やっぱり、僕にはまだ無理だな(^▽^;)

でも・・・そういう方向性、真実を知ることは、道しるべになりますね(^^)

個人的には内容が心に響くものがありますので、少しずつでもあきらめずに、人と向き合うことも練習していって、少しでもお釈迦様みたいに人に気付きを届けられるようになれたらなぁって思いますよ。


お釈迦様「あらゆる人にできることを・・・私は知っています。

出来ない人は・・・いないはずですよ。

でも・・・繰り返しますが・・・無理はしないでください。

いきなり実践するのは・・・無理がある場合が多いのです。

心には許容量があり・・・受け止められる負のエネルギーにも・・・その時によって限界があります。

まずは自分の心の中で・・・咀嚼すること・・・理解することから始めましょう。

過去に受け止めきれないことがあったのなら・・・時間をかけて見つめ直せばよいのです。

慌てないこと・・・しかし・・・勇気を持って真っすぐに見ていくこと・・・。

それが肝要です。」


わかりました(^^)

焦らず、でも出来る限り真っすぐに見つめていこうと思います(`・ω・´)ゞ

お釈迦様、ありがとうございましたm(_ _)m


いやぁ・・・今日の記事は深いなぁ…(´Д`)

個人的には時間をかけて、理解して、実践していきたい内容ですねぇ。

ご覧くださった方も、どうかご無理はなさらないでくださいね。

もしよかったら、まずはゆっくりと理解を深めながら、共にじっくり進んでまいりましょう(^^)


ご覧くださりまして、ありがとうございました。


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