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こうして繋がっていきました(4)

(3)をUPしてから、ずいぶん時間が経ってしまった。

先に書けなかった言い訳をさせていただくと、まず、当時と今では、心境も環境も様変わりしてしまい、昔を思い出すのが面倒。
さらに、次々に湧いてくる「やりたいこと」を優先した結果、こっちが後回しになってしまったのだ。

しかし、書こう、私。
もっと今、書きたいことに進むために、このパートを書き終えよう!

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ドライブ中にFM経由で「You are not alone~I am here with you~」のメッセージを受け取ってから、私の人生は目まぐるしく変わった。

まず、仕事が忙しくなり過ぎて都内に戻った。
多忙な私を支えてくれるのは、スローライフで風光明媚な環境よりも利便性。24h営業のスーパー万歳!22時からレイトショーを見ても、電車で家に帰れる都会万歳!

ところが、3年ぶりの東京は便利だけど、あまり居心地がよくなかった。
体がハクビシンとタヌキが闊歩する環境になじんでしまったのだろうか?

と、どこかピントが合わない日々を送るうちに、天界に届く歌声だわぁと惚れこんでいた推しが亡くなり、愛猫も大動脈血栓塞栓症という難病を発症して他界。私は肺炎で救急搬送……と、短期間の間に大事件が頻発。

人間関係でも、信頼していた人の化けの皮が剥がれて中から妖怪が現れ、仲良くやっていたはずの友人グループとそりが合わなくなるなど、大変化続きですっかり疲れた。

ま、友人グループの反感をかったのは自分に原因があるけどね。
昔は面白かった彼女らとの時間が、どういうわけか違和感だらけになってしまい、女子会中も「帰りたいなぁ………」と思うことがたびたび。ある時ついに「ごめん、用事思い出したから先に帰る」と一抜けして帰ったら、風当りが強くなってしまったのだ。女子グループあるある。

でも、食事会の半ば過ぎから、低迷するKpopアイドルの悪口を言い続けるだけおしゃべりが、心底つまらなくて耐えられなかったのだから仕方ない。「冴えないし見たいと思えない」グループのことを、なぜそんなによく見ていて、さらに延々と語る???

私は好きでもなんでもないものに、ポジティブであれ、ネガティブであれ、そこまでの情熱をかけられない。

横浜の山下公園のカフェで、盛り上がる悪口を聴きながら、この人たちのこと嫌いではないんだけど、向いてる方向性が違うんだよなぁ……。このまま、付き合っていっても「チケットを融通しあう仲間」以上の友人にはなれないし、お互いに居心地悪いだけだなと、思った。

しかし、冷静にそう分かっていても、それまでつながりあっていた人たちと疎遠になるのは寂しいものだ。

人間関係にも潮目があって、成長や変化に応じて移り変わるのは当然だけど、私はこういう時、いつも後ろ髪を引かれる。居心地がよかった行きつけのカフェが閉店するような気分になるのだ。

こうして数年来、かなり密に関わっていた関係性から距離ができ、一人でぷらぷらしていたら『ハイヤーセルフとつながって、ガイダンスを得る方法』を教えてくれる先生を見つけた。

きっかけはカフェでぼんやり見ていたネット。
とある著名人のサイトで、先生とその人の対談を読み「ワーオ、見つけちゃったかも」と閃いた。さっそくAmazonでご著書を取り寄せて読んだところ、Yes!Yes!Yes!

魂が「この人だ!この人に教われ!」と、叫んでいた。

私が宇宙やエネルギーの世界に興味を持ちだしたのは、ここより10年以上前で、それ以前にも気功師の先生から気の扱い方を習っていたが、私は気功師志望ではなかったし、ヒーラーになりたいわけでも、チャネラーになりたいわけでも、霊能者になりたいわけでもなかった。

ただ単に「自分の魂の大元」みたいな高次の存在に自力で繋がって、ガイダンスをもらえる能力を持ちたかったのだ。

いちいち誰かの説を信じたり、チャネラーさんに頼んでみてもらうのではなく、必要な時に必要なガイダンスを自分でキャッチして、ただシンプルに、安寧かつHappyな人生を送れるようになりたかった。

いうなれば……精神的、スピリチュアル的な自給自足。

そうした望を持つようになったのは、おそらく私が自分が現実世界の中に、確固たる拠り所を持たない人だったからだと思う。

私は一人っ子だが、母は私が10歳を超えた頃から、子供を思い通りにしたい「コントロールフリーク」になっていった。私の行動や態度が気に入らなければ「あんたなんか死んでしまえ」「あんたさえ、いなければ」「ここはあんたの家じゃない」のどれかを水戸黄門の印籠のように投げつけ、私が楽しそうにしていると必ず冷や水のような嫌味を浴びせるか、意地悪をしてくる毒蛇のような人になってしまったのだ。介護していた祖母が亡くなった頃からだったと思う。

そして、捻じれたまま戻らなかった。
父は朗らかな人だが、触らぬ神に祟りなしと母の攻撃を恐れて常に母に従い、私を守ってはくれなかった。そして、夫妻はそれぞれ別個に「本当は離婚したい」と娘に愚痴る……。

と、私の場合、長らく実家が、帰ることのできない戦闘地域で、なおかつ20代のうちに個人事業主となったため、確固たる拠り所はどこにも無かった。

じゃあ、拠り所になる人を探せば?と言われそうだが、そもそも「誰か」「何か(宗教とか組織とか)」を拠り所にすることから依存が始まり、心が(場合によっては物理的な自由も)不自由になっていくのではないかしら?

関わりを作り、共に喜び、助け合うことと、依存することは違う。
そこをごっちゃにすると悲劇が始まることは、10代、20代の経験でよーく分かったため、私は結婚することにもかなり慎重だった。

昔、女優で文筆家の岸恵子さんが「どこにいようと魂の拠り所は自分です」と、何かのインタビューで話していらしたけど、ホントそうだと思うよ。
その記事を読んだ時、魂の仲間を見つけたようでうれしかったし、こういうことを堂々と発言する人生の大先輩がいらっしゃることに勇気をもらった。

しかしながら、私は自分自身を拠り所にできるほど、自分がしっかりしていなくて心許ないため、魂の親玉であるハイヤーセルフの力を借りたかったのだ。

「ハイヤーセルフ」という存在をいつ知ったのかは、覚えていない。
でも、私は子供の頃から、なぜか空の向こうに仲間がたくさんいると思っていたし、神様は私の味方だと思っていた。空を見上げれば、いつも「大いなる何か」に見守られている感覚があり、私が楽しそうにしていると「それ」も喜んでいる感じがしたのだ。

だから、ハイヤーセルフも「それ」と似たようなものだと認識していた。

実は10代の中頃、親の問題でかなり追い詰められて、真夜中の台所で包丁を握りしめたことがある。その時、心の中で「殺っちゃう?本当に殺っちゃう?」と自分に問いかけていたら、刺した時の感触が両手に広がり、その後の惨劇のイメージが脳裏に浮かんだ。

そして「この感触とこの光景は一生、記憶に残る」と、囁く声が聞こえてきたのだ。

……………マジすか!一生残るんだ。いや、ダメだねえ!そんなの絶対ダメだわ。そんな体験、自分にはさせられません。止めた。寝よう、寝よう。
私はそそくさと包丁をしまい、自室に戻ってすぐ寝たが、あの時の声はハイヤーセルフではなかったか、と思っている。とても静かで穏やかで、あんな場面なのに一切の批判を含まない、大きな愛を感じる声だった。

そんなわけで、私は子供の頃にいつも感じていた「大いなる何か」と同じか、その親戚みたいなものであろうハイヤーセルフと再び、コネクションを持ちたかった。

でも、どうしたら自力でハイヤーセルフとつながれるの?
と、途方に暮れていたら、ナチュラルにそれができてていて、やり方を教えてくれる人が現れたのだ。


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