あがお@(旧)枯れ野

私と貴方でランデブー 自分と会話した中でみつけた思いを 形として残していきたい。

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文字列は、私が世界に存在している証明

なぜ文字列を生み出そうとするのか。 私は、なぜこんなにも“文章”を書きたいと思うのか。 私は、特にこれといった意味もなく、noteのアカウントを開設した。 ただ胸の内にあったのは、 “文章を書きたい” これだけだった。 しかし、投稿に挑戦しようとするも、テーマすら思いつかなかった。 これまで2つテキストを投稿したが、 なんとまあ、 異臭を放つ投稿か ただ憂鬱な気分を、文字にしただけではないか。 そこで、私は“なぜ文章を書きたいのか”を考えることにした。 “自分の気持ち

    • 食欲vs読書欲

      お腹がすいた でも、本を読みたい 先日、食欲と読書欲の戦いが脳内で行われた。 教授に勧められた「思考の整理学」は、難しそうな題名のわりに、内容はエッセイでとても読みやすく、様々な筆者の経験や偉人の逸話を根拠に思考について語られており、とても面白かった。 本を読みたい この欲は確かにあった。 しかし、お腹がすいた。 ご飯は食べた。しかし、なぜだろうか。デニッシュパンを食べたくて、しかたなくなった。近くのコンビニまで買い買いに行かなくてはいけない。それも面倒だ。だが、口の

      • 「あ」が「お」に

        私は、「あ」と「お」を書き間違える なぜか、昔から書き間違える。 小学生のひらがなの練習でも書き間違えていた。 中学の先生にも、「貴方は、なぜ「あ」と「お」書き間違えるのですか」と聞かれた。 質問ではなく、軽く嗜められていた。 いや、こっちが聞きたい。 形が似ていると感じたこともない。 強いて言うなら、「同じあ行族だな」ぐらいだ。 (族って言葉がかっこいいので、関連性があるとすぐ「族」ひとまとめにしてと呼んでいる) 書き間違いに加え、私は漢字を覚えることも苦手だ。 「袖

        • まず、自分自身を見て

          “変わりたい“と願うのは、今が不幸だから 変わった先では幸せになれると期待している。 自分を構成する全てが入れ替わって、真新しい自分になりたいと願っている。 そんなこと、できないのに。 変わりたいと願い、想像する私は、本当に私なのだろうか それは、理想としているどこか別の人間ではないか? 現在は過去から成り立っており、歩んできた人生が、人間をその人たらしめている。 私が望んでいた幸せになるための変化は、過程をすっ飛ばした、背景を持たない変化だ。また、過去を変えられない私

        • 固定された記事

        文字列は、私が世界に存在している証明

          世界の作り方

          どーも 今日も今日とて、私を綴っていく ここ数日で、たくさんの気づきを得た 初めて、仮病ではない「風邪」をひき、 就活の面談をしたり、 自分を客観視する機会を持てた。 それらの気づきを一つ一つ書きたい気持ちもあるが、 今回はその中の一つを書こうと思う。 “世界の作り方” 文字列だけでは、仰々しい。 でも、“自分独自の空間をつくる“といった表現ならば、 多くの人に理解してもらえるのではないだろうか。 私は常々、“なぜ人は他者を必要とするのだろうか”と考えてきた。 「個人

          今日は、つぶやき 将来やってみたい事をふまえて、貯金計画立てたけど、 めっちゃお金必要やん! やりたいことも、タダではできない事を実感したし、 何より自分がどれほど、親に経済面で頼ってきたのかが、よくわかった

          今日は、つぶやき 将来やってみたい事をふまえて、貯金計画立てたけど、 めっちゃお金必要やん! やりたいことも、タダではできない事を実感したし、 何より自分がどれほど、親に経済面で頼ってきたのかが、よくわかった

          今日は手抜き。いや、手間抜き

          どーも 今日も今日とて、私を綴っていきますよ 今、セブンイレブンの「プレーンビスケット」を食べながら、 この投稿書いている。 今日も頑張ったので、ご褒美。 ご褒美といったら、スイーツや少し値段の高いお菓子を買う人もいるだろう しかし、私は安くて大容量のお菓子の方が“ご褒美”と感じる。 この素朴な味が好きだし、何よりいっぱい食べられる。 “質より量“これに限る。 「食べ放題」という文字が愛おしいほどだ。 お菓子をたべ、梅酒を飲んで最高の気分なのだが、 最近、疲れを感じると

          今日は手抜き。いや、手間抜き

          正解がある“家族”

          どうも 今日も今日とて、私を綴ってく 家族には、「こうあるべき」といった正解があると思っていた 家族揃って食卓を囲み 夜は一家団欒 出された食事は、必ず食べきり 夜19時以降は必ず家に 3食、母親の手作り 手抜きの食事なんて、あり得ない 捉え方によっては、いい家なのかもしれない だが、これがどんな状況においても厳守されると考えてほしい 私が特に違和感をもつのは、母親だ 母親は、どんなに疲れていても 家族の食事と家事をこなす 「手を抜いたっていい」「休んでもいいよ」

          正解がある“家族”

          私はなぜ

          私はどうして勉強をしたいのだろうかこの問いの答えが、いまだに分からずにいる。 誰かに言われたから? もう勉強を強要されるような年齢はない 勉強をせずとも、誰も私を咎めたりはしない じゃあ、なぜ勉強をしたいと思う 自分が学びたいと思うからではないのか ならばどうして、勉強をするのが辛いのだ

          是正

          好きなこと、嫌いなこと 苦手なもの、己にとっての正しさ 個性を成すそれらを、私は忘れる 確かにあった 好きだと思った、嫌いだと感じた イラつきや怒りの感情も、あった だが、思い出せない 自分の胸の高鳴りや脳の悲鳴を 分からない 元々ないのではない 確かにあった なぜ消えてしまう 感情や私意はなかったように忘れてしまう 私と社会の境を自身で消しているようではないか 摩擦で私の輪郭を廃棄している ”あった”と認知していることが 消えたこと表している