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美しさの深みへと


やっぱり、これで、よかった。
今日、そう思う出来事があった。


心臓をえぐり抜かれるような
五年という長い時が重ねた体験は
なぜ、そうなのかがわからずに困惑し
連動して堕ちていく精神に
身体は健やかさから離れる一方で
人生に何が起きているのかがわからずに
目の前にあることをこなしながら
進むしかなかったのは独りではなく
大切な成長期を辿る真っ只中に居る
ひとり娘が居たため。



私は、「私は幸せ」だと、自分に言い聞かせるようなことはしないようにしている。その様にして生きてきた方々を見ながら、幸せそうには見えたことがなかったため。私は豊かな時間を過ごしたいため。



30代半ばに知った、こういう世界が日本で広まればいいのに。そう思ったニュースは、広がることはないと知れた。

それは、40代半ばとなった、私に与えられた世界。なんの情報もなく、どうしても行きたいと思った先にあった、この道を辿らなければ「わかる」ことはなかったと確信する、あふれんばかりの情報が、行った先にはあった。この値段でいいのかと驚くくらいに。

記憶しようとせずとも
自然と身体に馴染んでいく感覚。
来てよかった。いまでよかった。
それ以外を思うことの方が難しい。



私が変わることなく
美しく感じてやまない世界。



40年以上の、私にとっては、長い長い歳月は、憧れていた世界が「わかる」ようになるという身近になっていたことを確認した。

特には、過去5年にあった「魂」の真髄が美しくおさめられた箱の中で、「時」が視覚化され、姿なき痕跡としてのサラサラした粒が、この世の全てとしての形を残し、死生を超えた世界が身体として表れた生々しい生の美しさに、同じを観ていた人が居られたのかと、他界された魂の残した美が、様々として在る魂に響き渡り、ひとつとして同じはないことの同じに触れて、同じ色として、持たせた意味の違いに、繋がる全てを想い、全なる時の永久なる生命としての、ひとつの魂である世の真髄を目の当たりにした、日常にあった忘れずにいたい時間。


描きたかった絵を
違う形の生で観て
それを外在化せずとも
可視化されて観せて頂けた。
気が満ちていき満たされた。

非日常としてありながら
境なく日常としてあった時間に
これが魂だと思うことがあった。



クリスタルボウルを
奏でた日に頂いた
数少ないお声の豊かな内容を
ふと、いま、思い出す。



☆ information ☆

12月に
こども魔法塾でイベントを開催します。
日程が決まり次第、ご案内いたします。




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