見出し画像

花を育てる、枯らす、育てる。

お久しぶりです。
私がnoteを始めたのは2019年の2月です。
日記や運動など何かと3日坊主になりがちな私ですが、「絶対に月に1記事書き続けるぞ」と1年続けてきたところで3月をすっ飛ばしてしまいました。
が、下書きに3月に書いたものがあったのでグレーゾーンのセーフ(アウト)とします。

以前のnoteにも書いたことがありますが、私は植物を買っては枯らし、また買っては枯らします。

いつかのクリスマスに母から貰った小さな木は完全に枯草の色をしていますが、枝に葉がついて自立しているのでこれもセーフ(アウト)としています。

私が植物を育てる3つの理由。

私の実家は植物園になりかけています。
母の趣味です。
もとより植物が好きな母なので、昔から観葉植物が家にありました。
本格的になってきたのは今住んでいる実家に引っ越して来てからのことで、7,8年前になります。
帰宅すると2メートル以上ある木がいました。リビングに。
そこからでしょうか、植物が増え続けて今ではリビングだけでも3本います。
もはや家具をずらしてまで置いています。
テレビも邪魔だと端に追いやられています。
最近では庭でキウイやレモン、なんとかベリーなど育てているようです。
楽しそうです。

そんな母のも育った私も、植物は好きです。
一人暮らしを始めるにあたり、IKEAに家具を買いに行った日、薄いピンクのバラとベンジャミンの小さな木を買いました。
数か月後枯らしました。

理由その1
「なんとなく部屋には植物があるものだという感覚が刷り込まれている」

我が家の植物史の中で最年長はラナンキュラスと金魚草だったのですが、彼女が日々蕾をつけたり花を開かせる様子が愛しくて、また強かに生きている様子が美しくて、我が子のように愛でていました。
私が花を買うときって、一目惚れをするか何か頑張りたいときなんですが、後者のときって一緒に生きているぞ…という気持ち、こう、私がいるぞ、私にはあなたがいる、みたいな…。
結局枯らしてしまうんですが。

理由その2
「相棒」

じつは本題、3つ目の理由です。

いつのことだったか、忘れてしまいました。
友人の恋愛の話を聞いていた時です。
よくある愚痴です。
彼氏から連絡があまり返ってこない、家まで送ってくれなかった、迎えに来てくれない、ずっとスマホ見てる・・・・
具体的に覚えていませんが大方こんな感じだった思います。
その時に聞いてハッとした言葉、

「釣った魚は餌やらなきゃ死ぬし、水をやらなきゃ花も枯れる、たとえ私がサボテンだとしても流石に枯れる、ペットだったら脱走する」

なんとなく色々なところで聞いたことがありそうな例えだし、恋愛格言Botが呟いていそうな言葉です。
私がハッとしたのは「水をやらなきゃ花も枯れる」の部分で、それは私が観葉植物シリアルキラーだからということもあるのかもしれませんが、子供と大人の間を抜けて大人街道を歩き始めたところですから、色々思うことがありました。
その時は恋愛の話でしたが、私にとっては人との信頼関係や私が人を大事にするということ、人間関係の構築の要のように思えました。
とても当たり前というか、つまり思いやり、慈愛の心ですよね。
当然のことと、分かっていました。分かっています。
人をぞんざいに扱っているとも思っていませんし、家族友人恋人、皆愛しています。
でも私は自分で表現することにおいてとても不器用であることも、自分がいかに素直でないかも、自覚しています。
だからこそ不安になってしまうのです。
花を慈しむこと、そしてそこに執着すること、そこに私の願望と恐怖が表れています。
豊かでありたい、大切にできる人間でありたい、優しくありたい、人を傷つけてしまってはいないか、私の手で中で枯らしてしまう。

理由その3
「暖かい人でありたい」

こうして実は今日も、散歩ついでに新しい鉢植えを買いに行くのですが。
なんだかんだ、単純に植物好き人間なのでお花を買いに行くのはとても楽しいです。
もう春ですから、元気に育ってくれるといいなと、思います。

最後に私が植物を枯らしてしまった理由ワースト3を発表します。
3.夏も冬も暴風雨の日もベランダに置きっぱなし
2.水のあげすぎ、あげなさすぎ、萎れ始めてから諦め早すぎ
1.前の日に買ったペットボトルのお茶や炭酸水などの残りをあげる

私「お茶は体にいいし、炭酸水シュワシュワしてなんかよさそう、炭酸風呂とか気持ちいい、二酸化炭素って植物のごはんとも言える。」
友人A「とても植物が好きな人の思考とは思えない」
友人B「病気?」

深く反省しています。
可愛いジョウロ、買おうかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?