「説得」ではなく、「誘惑」で社会を変えていく

伊藤亜紗先生のPOLAの記事のタイトル。大好きで何度も読み返している。
https://www.pola.co.jp/we/meetup/ito-asa03/

研修の仕事をしていると、成長して出世したくないと言ってきたり、否定されるんじゃないかと話す前から身構えているスタッフに出会う。そのたびに、感情をいれず「仕事だからやって。以上」と言うのがいいのか、自分の失敗を開示して心的距離を近づけて迫っていくのがいいのか迷う。前者は識学で感情労働が少なく楽で、責任を本人に引き受けさせるので成長を促しやすい。ただ軍隊みたいで心惹かれないし、下手するとうつ病患者を量産しそう。後者の場合、人としてつながれる感じが強い。ただ、工数が多く感情労働でとても疲れるし、依存を生んだり他責にされやすい。正解はないので、毎日新人からベテランまでいろんな人と交流して試行錯誤している。わたしはもともとクール=人に興味がないと見られがちで失敗してきたので、いろんなモデルを模倣して、いまでは教える仕事が天職だねとよく言われるようにまでなった。良くも悪くも過集中で自立しすぎなので、社内の人に研修すると、「甘いな〜」とイラっとすることがある。得意なことがすきとは限らないんだなあ。

記事で伊藤先生が、「教育もそうですが、人に何かをさせるのは、熱の伝播しかないと思います。先生が本気でおもしろがっていたら、生徒もついてくる。」とおっしゃっているが、本当にその通りだと思う。わたしが研修でもやもやするのも、自分の熱が足りないからだと思う。たしかに熱はあったのだけれどもう冷めてしまった。英語を教えることでお客さんから「勉強が仕事の息抜きになった」「こんなに一生懸命教えてくれる人はいない」「占い師みたいに自分の伸び代と解決策を伝えてくれる」と言われたり結果がでるのはうれしかった。自分が勉強してお客さんに実践するPDCAサイクルを回せば回すほどお客さんの英語力が伸びて喜んでくれるのはうれしかった。でも、「英語を教える」ことがどうでもよくなってしまった。将来ほんやくこんにゃくみたいなのが絶対開発されるし。私に熱がないから伝播せず、誘惑できない。でも説得もださいからしたくない。説得や強制がうまくいかないことはめちゃくちゃ経験済み。

わたしはなにがしたいんだろう?
目に見えないもの、心理や真理や哲学を学ぶのは純粋に楽しい。歌ったり、書を書いたり、バイオリンを弾くのも純粋に楽しい。歌は心と身体のメンテナンスのためもある。人の行動に潜む肯定的な意図の美しさに気づくと感動する。辛くて悲しくて消えてしまいたい人の助けになりたい。人を助けるってものすごくむずかしいのが悩ましいが(助けることでその人の偉大さや未来を阻害してしまう可能性がある)。

いつもここらへんをぐるぐるする。とにかくいまは、ことばにする。海に小石を投げたくらいの影響だけど続ける。なにより自分のために。そしたら体系化していこう。Festina lente(ゆっくり急げ)。

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