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訳が分からない、「未知の海」

17日から突然始まった鹿児島の旅は、

「訳がわからない」

という、摩訶不思議で、少々居心地が悪くて、完全にお手上げで、でもやむを得なく幸せな領域(スペース・空間)を泳ぐようなものだった。

私はこの領域のことを親愛を込めて、「未知の海」と呼ぶことにした。

訳も分からないまま海に飛び込んでしまった。でも飛び込んでしまったからには泳がないといけない。でも泳ぎ方も知らない。なんで海の中に来ちゃったのか分からない。なんなら海の中で何が起こってるのかも分からない。

もう訳がわからない。すべてお手上げだ。

海のうねりは、波は、一瞬一瞬でその姿形を変える。たった今見えた波の形は次の瞬間崩れ、また違う様相となる。

海は止まらない。水は止まらない。

海は常に今、この瞬間にしかいない。

今、今、いま、いま、イマ......

その動くうねりを全身で、無抵抗に全てを受容しながら、それでも何処かへ泳いで行きたいという意志を持って私も海の中で動く。

すべてをお手上げしてお任せする受容的な女性性のエネルギーと、何にでもどこへでも行ける能動的な男性性のエネルギーが混ざり合って、融合するところ。

まるで呼吸のように。吸う息と吐く息が互いに一つでダンスするように。矛盾するようだけど実は表裏一体。

未知の海の中を泳ぐのは、こんな感じだった。

だって、本当になぜ鹿児島にきたのか全く分からなかった。目的も分からなかった。だから行きたい場所とか宿とか全く何にも決めずに来た。鹿児島駅に到着しても、さて何処へ行けばいいの?と足が止まってしまった。

でもだからこそ、ただただ今目の前にあるものをキャッチして、瞬間瞬間の行動に集中する。

それしか出来なかったの。それが出来た。多分人生で初めて。

そしたら、驚くべきことが起きた。





つづく

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