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博文約礼~知識とスキルを伝えること

うちにいらっしゃるクライアントさんの中には、かつての私のように、自分が体験している理解不能で、かつまた他人には説明しづらいこと…に悩まれたあげく、当方の扉を叩かれた方も少なくありません。

霊的な体験と言っていいかと思いますが…他人には見えないもの、感じられないもの、聴こえないもの…をキャッチすることに悩んで、それが幻覚なのか妄想なのか現実なのかの判別が出来ず、これは一体どういうことなのだろう?…と、周囲にも誰にも相談出来ないことを長年抱え込んでいらっしゃって、ずっと苦悩されていた方たち。

自分の身に何が起きているのか解らず、知識と理解が追い付かないままに、どう受け止め、消化したり、どのように定義付けたらいいのか…とにもかくにも混乱して…自分はおかしいのでは無いか、狂ってしまったのだろうか? 
そんな自問自答を反芻しては、何が何だか解らないままに精神を疲弊させ、消耗される日々を過ごされていたのでしょう。
そんな風に霊感体質や霊媒体質であったり、霊的素養を持ち合わせたが故に、悩み苦しんでいる人はわりと多いものです。
たいていは人に理解してもらえませんし、精神病患者と間違われる(その区分は傍目には難しい)こともあるわけですから、自分が正常な状態でそのような稀有な体験をしているだけなのか、それとも精神に異常をきたしてしまっているのか…思慮分別や常識があるが故に、そのような怖れと不安、孤独に苛まれてしまうのです。

そうですね。どうしても女性の方にそのような方は多いですね。男性でもそのような問題を抱える方はいらっしゃいますけども。対比すると、どうしても女性の方が多いですよね。これは男性脳と女性脳右脳と左脳の使い方の違いなのかも知れません。一概に決めつけや断定は出来ませんけれど。

そうした体験をしている人は、蓋をして視ないようにしてしまうか、誰か信頼出来る人を探して、コントロールする術を身に着けるか… 
いやさそれ以前に、自分の身に起きていることについて、それが何であるのかをまずは調べるところから…様々な書物を読み漁って、既存の知識の中に解析と解読を求めるところからされる方の方が多いでしょう。昔は書物がその術で唯一の情報源とも言えましたが、今はネットという簡単便利なツールがあります。

私自身も、周囲に相談出来る人、そのような体験について話せる人がいなかったので(幼少期より霊的な体験をしている身内がいるにも関わらず)… あらゆる書物や漫画にその答えやヒントを求めまくりました。その書物の著書さんや漫画家さんに手紙を書いて質問をしたりとかもしました。けれど、納得のいく答えは見つからなかったし、なかなか得られず仕舞いでした。

占いの仕事をするようになって、魔女術や魔術の勉強をしても、稀有な体験(至高体験のような)や不可思議現象に遭遇するばかりで、仕事を通して知り合うことになった同業者や霊能者、その道の人たちに聞いても、残念ながら経験や感覚をシェア出来る方には出会えず、私が抱えている謎や疑問を解き明かすことは出来ないままでした。

私がヒーリングの仕事をするようになった経緯については、過去の記事にも何度か書いていますけれど、このような仕事をするようになった当初も、フリーズすることばかりで、何がなんだかよく解らん!ってなってしまうことはよくありました。
で、ダスカレについて書かれた書物を読んで、その瞬間に自分がこれまで体験してきたことと、書かれている内容がすべて繋がって、
「ああっ!そういうことか!」って…なんかもう、ここにすべての答えが書いてあるって、パーツがはまった瞬間でした。電流が走って、電に頭を打たれたような、なんていうんでしょう。ひらめきが下りてきた瞬間にも似た、まさに啓示そのものをもらったような、頭も心も納得して、すべてが腑に落ちた瞬間だったんですね。

そうですね。他人に共感・理解してもらえない、共有出来ないことがあるって、孤独なことでもあり、ちょっとしんどいですよね。
同業者の人に話しても通じなくて、馬鹿にされたりすることもあったりしたし「あなたにそんなことが解るわけがない」とか「あなたにそんな力があるはずないじゃない」とかとか…鼻で笑われちゃうこともありましたよ。

そんなんで自信なんて元々ない私は、疑心暗鬼に陥り、自己否定ループに嵌ってしまうことも間々ありました。

同じものを視ている人がいないと、自分の五感で捉えている世界をどう信じたらいいのか…不安から否定に入っちゃいますよね。
私はきっと、イカれているに違いないって。
視えているモノのことも、感じられるコトも、聴こえてくる声も…何もかも鬱陶しくて、きっとこれは自分の心が作り出した幻覚で妄想なのだろうって。そう結論付けるわけです。

パラノイア統合失調症かのいずれかで、それとも単純に鬱なのかも知れないし、もしかしたら脳に腫瘍とか異常でもあるのかも知れないって…自分に言い聞かせて、そして絶対こんな話を他人にしてはいけない、このようなところは隠さないといけない、普通の人に見られるように…平凡な人間だとそう思ってもらえるように…目立たないようにしていよう…そんな風に、さも常識的な人間であるかのようにふるまうことを自分に架したりして。

残念ながら、普通を装っても、私が世間ズレした変わりモノだってことはどうしても変えようのない事実なので、こればかりはどう取り繕っても化けの皮がすぐに剥げてしまいますが…w

自分が自分の身に起きていることで悩み、それがどういうことなのか理解出来なくて…また、その謎や疑問の答えを求めてあれこれと知識を探求し、結果として、他人の身に起きていることを解き明かす仕事(説明することを主として)をするようになり、今となってはそれも必然なことだったのだなあ…と痛感していたします。私自身が体験していないと、悩む気持ちもその状態や心の迷路に陥ってしまう状況も、背景も理解してあげられませんから。
その意味でも、すべては運命の計らいと言うか導きだとも思ったり。

今もそうですね…確信は無いですよ。すべてを肯定して、真実と信じ切るのも危険だと…疑念や猜疑心はブレーキとして持っておくべきだと考えています。もしかしたら、勘違いや思い込みの妄想かも知れないし、幻覚を視ているだけなのかも知れないという視点。
「if…もしも、そうだとするならば」と言う仮説のもとに、客観的に判断する合理的視野を捨ててはいけないとも思いますし、そうした視野と同時進行で、見たまま感じたままをありのまま、そのまま受け止めて否定することなく、それを真実として分析・評価していく思考も大切にしています。

そうでないと、「決めつけ」「偏り」が生れてしまうから。
例えば、その偏りや決めつけとは、「過去生」の問題にばかり焦点を絞りすぎてしまったり、霊的な存在や原因を除去することにばかり目が向いてしまったり、現在の問題や今の人格そのものが抱えている問題を忘れてしまったり、全体性を見る視野を曇らせて、一つの問題のせいだけにしてしまい、見るべき範囲を狭めてしまわないためでもあります。

ただ一つとして言えていること…忘れてはいけないことは…
それが真実(事実)であろうと無かろうと、そのような問題があるというのは紛れもない事実で、クライアントさんがそのことで悩んでいたり、しんどく、辛い思いをしているのも本当のことで、それがどんなレベルで起きていることであろうとなかろうと、その人の心の中で起きていることがあるってことは、変えようもない現実なんですね。

だからこその、サイコセラピーという分野。

まあ、でも。セッションの場では…ことにチャクラ・ヒーリングなんかでは、クライアントさんと同時に視ていくことで…検証と言うほどのものでは無いけど、照らし合わせをしながら進めていくことも多いものですから…
(クライアントさん自身に視て頂くのだけど、私自身もクライアントさんの視ているものをチェックしながらと言うような、双方向から見ていくやり方)

そうすると、クライアントさんからは自分が感じていたもの、視えていたものを、別人である私も視ている(視た)ということで安心感を得られるわけです。同じものを感じたり、見たり、解する人がいることの確認作業。

チャクラ・ヒーリング以外のセッションでも、私からの説明でクライアントさんが「ああ、なるほど」って納得・理解して、それで腑に落ちる瞬間もあるわけで(そうはならない人も勿論いますが)。
自分の身に起きたことの説明を得て、「そういうことだったのか」って確証とか、未消化な感情の行き場や思考の落としどころが見つかれば御の字かなって思います。

とは言うものの、
私が何でも解るかって言うと、そんなことは無いし(解らないことも多い)…絶対的にいつも正しいとか、正確性のある情報提供が出来ているとも、保証は無いんですけどね。すべてをお見通しな千里眼持ちとは自負出来ないし、残念ながら力及ばずなまだまだ未熟者です。知識はあるけれど、頭でっかちなのかも知れない。この辺りは自信が無いとか、そう言うのではない。謙虚さとも違いますよね。
自分を信じてないという事もないし、以前みたいに自己否定の塊でも無いけど… 自信を持ち過ぎたらいけないと言う風には思います。
それは高慢と欺瞞と自惚れの始まりだから。まだまだエゴイズムはたくさんあるし、いつだってスピリチュアル・ナルシズムの罠に晒されている。

かと言って、自分自身と視ている世界(得られている情報と理解出来ていること)に対して不信感を持ちすぎたり、猜疑心を深めすぎて、打ち消してしまうのもよろしくない。この辺りの塩梅、バランスが非常に難しいです。

正しくモノを見て、評価すること、偏りすぎないこと、理性を働かせること、否定しすぎず肯定しすぎず…な天秤を思考に置くこと
簡単なようで一番難しい作業です。
だからこそ、心と精神の訓練、内省、里の修行を常に忘れてはいけない。どんなことからも学び、人としての自分の成長を、生活と人生の中で優先順位の一番に考えることをしないといけないわけです。

なんか結局、自分語りな記事になってるなあっっ汗

とりあえず、そうですね。
私自身が集めてきた知識スキル、積み重ねてきた経験などなど。それを伝えることは天職の一部であるとも思っています。ただ、解りやすく説明出来ているかと言うと…ちょっと自信ないですね。なるべく解りやすいように比喩などを用いて、頭の中でイメージ出来るようにして、書いたり、伝えたりするように心がけてはいるのだけども。

私が知っていること、理解していることをこうして公式の場で書くことが、画面の向こうにいる誰かの役に立つことならば… その人自身の身に起きていることを理解したり、自分自身や人生を深く見つめ直したり、知ることの礎になるのであれば…

このような内容(知識や技術的な部分)をblog(note)に書いている理由もそうだし…セッションにしても、レッスンにしても…今はもうセミナーとかグループレッスンはしてないけど…そう言う目的もありきですかね。

一人でも多くの人に「ああ、そういうことか」「なるほどそういう意味なんだ」とか…疑問の問いを与えられて、頭の上のクエッションマークを消すことが出来たらとは思ったり。はい、状況の改善や自分への理解に繋がって、「これはそういう現象なんだ」と…不安を少しでも払拭出来ていたなら、ベストかなあ。

さて、どうなんでしょう。お役に立ててますですかねww


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