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自分回帰~来るべき未来の自分になるために

非常事態宣言下において時間だけはあるので、セルフヒーリングを続けている今日この頃。

先日は「よしっ! 重点的に第3チャクラをやろう」と思い立ち、中にあるゴミをとにかく掻き出して捨てる!と言うイメージにて、サイキカルヒーリングを延々とやっていたのですが、永遠に終わる気がしないっってくらいに大量のゴミ(エレメンタル)がありましたw  一つひとつちゃんと見て(確認してられないので、とにもかくにも、まとめて捨てる。廃棄処分、大量処分、間違えて捨てたものは戻ってくるから、今はとにかく捨てまくる!でした)

これは紋々としていた時に和尚禅タロットを引いたとき、「ブレイクスルー」のカードを引いたので、これは第3チャクラにあるブロックを何とかしないとダメだなって思いましたんです。普通にレイキ流したり、瞑想したりでは解決しないなって。そうですね。コレクションとしてのタロットはほとんど手放しましたが、いくつかはまだ持っていますし、仕事では使うことがほとんどないですけど、自分のことで迷ったときは相談相手として、考え事を整理するときに使ったりします。そして、和尚禅タロットはとくに内省的な気づきを得るときにヒントをくれるので、とても重宝しています。

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「ブレークスルー~自らのパワーで限界を打ち破る」

そして今日も続きをしようと思って手を当てると、そうそんなにゴミは残っていないようで、それでもいくつか処分した後に改めて内観してみたわけです。先日はどす黒くて波動としての色を感じられなかった第3チャクラが何とか色(健全な場合にはレモンイエローな色の波動を放ちます)を感じられたので。まぁ、まだちょっと汚い色だけど。

すると第3チャクラがね、チャーシューみたいに凧紐のようなものでグルグル巻きになっているのです(あくまでビジュアルイメージです)。それ以外の表現としては、サイズの合わないとても窮屈な服を着て、成長を阻害し止めている、抑圧しているって、そんな感じ。実際の体積よりも狭い部屋(箱)に閉じ込められているというか、それ以上は大きくならないように、枝葉が伸びて行かないように押し込められているみたいな。

ああ、これは自分への制限なんだなって思いました。それで思い出したのが、数年前から和尚禅タロットを引くたびによく出てきていたこのカード。

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付けられたシンボリックな意味は「条件付け」なんですが、見ての通り、羊の群れの中で羊の皮を被ったライオンが描かれています。

改めて結び付けて考えてみると、まあ、そうですね、本当の自分を押し殺してごまかして、別人のフリをして生きてきた。そんな感じでしょうか。

本当の自分でいることは…ありのままの自分として生きることは、常に周囲を傷つけることだと…誰かを傷つけたり、苦しめたり、不愉快な思いをさせてしまうことだとずっと思っていました。幼少期の体験のこととは別に、自分という存在は周囲にとっては良くない存在であると、そのような思い込みですね。セルフイメージの核の部分。

実際のところ。私は変わった子供でしたし、自分が他の人と違ったところがある人間なのだと受け入れた瞬間から、孤独という暗闇の中に取り残されたわけです。

他の人が視えないものを視て、聴こえないものを聴いて、そして全然違う価値観を持っていたりする。後に解った、IQによる他者との認識の違いと言えばそうだけど、それだけでは無かったですからね、私の場合。

死んだ人が視えるとか、この建物は近いうちに燃えてしまうとか、このおじさんは悪い人だ(後にお金を盗んで逃亡)とか、そんな不吉なことを口にする子供は気持ち悪い、子供のクセにちっとも子供らしくない可愛げがない(何しろ新生児の時からの記憶があったし)、なんかまあ、そんな。

嘘つきとかも言われてしまうし、怖がられてもしまうし、バケモノみたいな目でも見られてしまう。だから、口にしないのが一番で。

その昔、職場で何気なく、会話の流れで相手の実家の間取りを「視た」ままに説明してしまったならば(どうも井戸が元凶だったようなので)、それを聞いた人たちが「みてみて!」と、どうでもいいことを質問攻めにしてくる。それを断ったり、たまたま答えたことが相手にとって不服なことだったりすると、途端に悪口とイジメに転じる。勝手なことを言って、職場の風紀を乱すとか何とか。

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視たくない、と思って、蓋をするようになったのは、たぶんその頃かなあ。

そうそう。自分で自分の問題と対峙するのに、自分のことだとやはり難しい部分も多いので、ヒーリングを他者にちょっと手伝ってもらったんですが、その時に仮面みたいなのをつけていて、さらに「目」の部分に何重何層にも、ものすごく丁寧に蓋がされてたんですよね。ああ、これでは視えにくいはずだし、視えなくなった原因はここにあったのね、と。

でも、こんな状態で仕事が出来ている自分に少し感心もしたりして…蓋をしているわけなのに。良く出来ていたよなって。

して、色々と外したり、あーだこーだはやって頂いたわけです。

それはそれとして。まだ何かあるなあ、十分ではないなあ、何かなあ、残りは自分でやらないといけないなってことで、引き続きのセルフヒーリング。

それで第3チャクラがチャーシュー状態になっているのを発見したわけですが。ピッコロ大魔王の出産みたいに、ポンッ!って、大きいものが一気に   「出た~! スッキリ!」と、言うようには行かないなあ。

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「信頼」このカードも出ましたねー 普通のタロットでも「愚者」よく出るけど(この問題に対して)。何も持たずに、すべてを信頼して虚空に飛び込めってかっっww  アーサー王伝説だと「聖なる愚か者なパーシヴァル」を示すカード。映画「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」のインディみたいな行動をとれってことです(謎)。映画を見てない人には解らんですねっっ

スランプの原因はコレですね。はい。すべてが繋がります。自分に対する不信感。自分の力の根源、そして自分自身に対する疑問とか拒否感とか、否定的なあれやこれや。これじゃ、接続(供給)が断たれるわけです。

そうだなあ。ずっと、らしくなかったよなあ、って思います。自分が自分でいられなかったっていうのかな。自分らしくいようと思うと、叩かれると言うか、前述のように否定されますからね、この現代においては。私は異邦人です。誰も自分と同じものが視えている人はいませんでしたし、それを理解してくれる人はいませんでした。自分はキチガイなのかも知れないという孤独の中で、他者と関わるにあたっては演技をして、本当の自分ではない良識ある人物のふりをしなければならなかった…と言えばそうです。

思ったことや本心を言えず、そのあたりごまかして、適当に思ってもいないことを口にして、普通の人としての自分を生きる必要性。視えるものを無視して、聴こえることに耳を塞いで、知ったことを知らないフリをして、咽喉まで出かかる言いたいことを胸にとどめて、平凡な自分を生きようとしても、それでも「変わっている人」とは評されてしまう。

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今では、これまでの人生で起きたすべての経験も、自分の他人とは異なった資質や個性も、道も何もかも受け入れてはいるけれど、やっぱり抑圧していた事実は事実として残っているので、傷としてしっかり存在しているのですね。それに対して見て見ぬふりをしていた訳ではないけれど、そういうのを「癒す」と言う発想がすでに頭に無かったというのが実際でして。

てなわけで、この縛り、鎖のような凧糸を外して、実際の私には見合わない窮屈な洋服を脱ぎ捨てて、狭い部屋も出て(幾重にもぎゅうぎゅうに押し込められてました)、第3チャクラを解放してあげたりなんかして。

すると、赤ん坊が大量に出てきた。

あら?? 子宮ではないのに、何故?? 私が過去生で生めなかった子? それとも悪い意味で奪ってしまった命とか?? と思っていると。これは私が外に出さなかったアイデアの象徴でした。自分の中にあった生命力とか創造力の象徴のようなものらしかった。外に発露しようとした自分のアイデアを外の世界に生まずに、胎内に止め置いて殺してきたんだというような意味合いで。

そんな風にエンストを起こしていた第3チャクラをいじると、何故か猛烈にお腹が空いてきたりしてっっ わははは 解りやすいですね。

そういえば、私は過去生で仕事から逃げるために餓死したりとか、恋愛のことで悩むと食が細くなるってのがあったなあっっ汗

てなわけで、セルフヒーリング続行中です。他のチャクラもやんないとなあ、でもまだ第3チャクラはやんないといけない気がするしっっ はい。ちゃんとさぼってないで、自分のこともやんないといけませんね。その時間があるんですから、マジほんと。

てなわけで、とぅーびーこんてぃにゅー

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