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先日、お歯黒の話が出て、思い出したこと。
つぶやきで書こうと思ったのですけど、すると文字数が足りず…てなわけでさらっと独り言的書き込みをば。

私の母方の曾祖母が、昭和になってからもお歯黒してたって話。いやさ、私は小さい頃会っただけの人だから、お歯黒していたとか、まったく覚えてませんけど。

母が言うには、母方の実家に泊まりに行くと、祖母か祖父(母からして)かのどちらかの布団で寝ることになったのだそうですが、祖父は胃が悪い人だったので火鉢を抱えていて、それが危なくて恐ろしく…祖母は祖母で、お歯黒をしていたので、寝ているときに口の中からまっ黒な歯が見えて、それはそれで子供心にとても恐ろしかったと。

ちなみに母方祖母の家の人たちだけでなく、母方祖父の姉妹たちもお歯黒していたらしい。祖父の両親は祖母と結婚する前に亡くなっていたので、知らんけど。その娘たちがしていたということは多分、祖父の母たる曾祖母もお歯黒はしていたんだろう。

え? 昭和初期、昭和20年代までお歯黒してたって? びっくりだぜ。

確かに母方祖父祖母の家系(先祖)は薩摩士族ですが、明治維新と帯刀禁止令は祖父母の祖父母の代くらいで、明治・大正、昭和と100年近く過ぎてるというのに、昭和になってまでお歯黒してたんかっー!ってね。なんだかー

ちなみにお歯黒を塗っている姿も恐ろしかったそうです。

以前にも少し書きましたが、母方実家(大工だった祖父が建てた)は玄関が三つあって、表玄関(その家の主人と長男とお客様しか利用できない)と裏玄関(その他家族用の玄関)、それと使用人用の台所に付属した勝手口と言うように…武家屋敷をコンパクト化したような作りの家だったり、一人ひとり足つきのお膳で食事を出したり、子供たちや孫にも「さん」付け、他人行儀に敬語で話しかける人たちだったり(だが鹿児島弁)、父方農家とはあきらかに毛色の違うおうちでした。囲炉裏とかもありましたけどねー

あと、武家の妻たるもの、家の中で髪の毛を梳いてはならないとか…(なんかよくわからん) なんでも、髪の毛が家の中に落ちているのはいけないとかどうとかで‥‥それって姑の嫁いびりとかじゃないの?って思ったりしますですよ。他にも、理解不能な習慣とか伝統とかがあったとか、子供の頃に聞いたような気がします。忘れちゃったけど。

そして、祖父が垂水(ご先祖様が壇ノ浦から逃げて上陸した)にいた時、先祖代々住んでいたところは…道鏡事件で有名な和気清麻呂が流罪になったとこの近くで、後に宇喜多秀家も一時的に流罪になって、うちのご先祖様とその27人のリーダー格だったおうち…平野家が表立って宇喜多秀家のお世話をしたのでありました。

歴史って面白いですよね。家系図や資料、写真や家財道具が残っていればもっと色んなこと解って面白かったのに、空襲やなんやかんやで燃えてしまったり、色んな事のドタバタで紛失してしまったのは本当に残念無念だわ。

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