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望む回答を得るためには的確な質問をせよ

こちらも過去blogからの転載です。数年前に書いたもので、それぞれ書いた時期は異なりますが、類似のテーマを持つ4つの記事をまとめました。なので、長いです。

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どうでもいいトリビアですが、OZと言うのは古代ノルド語でルーン文字ではアンスル(ANSUR,ANSUZ)のこと。信号、神、神の言葉と言う意味合いがあります。そして、英語のAnswer(返事、回答)の語源ですね。AZ=OZ 宇宙の始めの音と最後の音の組み合わせ。つまりは「オーム」「阿吽」と同じ意味を持つ言葉(ロゴス)。

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黙って座れば?

ちなみに、タイトルは水野南北(江戸時代の観相家)について書かれた著書のタイトルより。

さてさて…またしても思うところありましたので、断り書きまで。

ええっと、私が提供しているサービスとしてのセッションですが、基本的に、お客さんが具体的に質問してこられた内容以外のことには、何か私のほうから一方的に情報提供をすることはありません。

つまりは、「質問や悩みとして、きちん言葉として口に出された」ことだけに対しての回答・解説しかしていないと言うことです。

占い師の仕事をしていたときもそうですが、こうした仕事をしていると、「何も云わなくても、ホンモノなら、こちらが知りたいことは解って当然」と、当てモノ的なことを期待されて訪れる方も時にいらっしゃいます。

「視えてるのなら、必要なことや知りたいことは全部言ってくれるだろう」
と、そういうことを期待される方とか…また、あえて情報を伝えず、本当のことを言わず、こちらの力量を試すことをされる方もいるのは事実です。

疑心暗鬼の塊というのかな・・・そういう人もいるし。

そりゃ、初対面の人間を最初から信頼するのは難しいし、何しろ、胡散臭い眉唾もある世界です。確かに用心することに越したことはありません。

何でも鵜呑みにはせず、「疑う」ことって大切です。とくに都会では、自分を守る方法として当たり前の意識ですし、それをしないでは無防備すぎますからね。

そうかと思うと、「視える人なんですよね!」と過剰な期待を抱いて来られる方もいます。とくにこのブログを見ての方は、その傾向が強いような(汗)

私のことを何か特殊な能力を持った、特別な人間のように過度の期待を抱かれたり、そうしたイメージを持たれる方もいるようですが、私はなんてことない、フツーのオバサンです。何でもかんでも知っている人間では無いし、すべてまるっとお見通しなわけでは無いです。

むしろ、判らないことのほうが多いですよ。

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それに人の心なんて、覗けたとしても、勝手に覗くものでは無いでしょう?もし、誰か第三者が、あなたの心を勝手に「読み取る」ことをしたら? 覗いたりしていたら? とても、気持ち悪いし、不気味なことですよね。プライベートの侵害以前に、安心出来ないというか、落ち着かないことです。

それに、他者の心を覗くことがどういうことなのか、きちんと理解している人間は、それが出来たとしても、勝手には覗かないと思うんですよ。そんな風に、「こころ」の面でもそうだし、その人の悩みも背景ももちろん、状況とかも同じことです。

てなわけで、私は「当てモノ」的なことはしません。勝手にペラペラとあーだこーだ、一方的な情報を提供することはしません。

その人が、言葉に出して具体的に伝えてくれた情報をもとに、そのことに対して解説したり、アクセスしていい範囲のことをキャッチして、伝えるだけです。あとは伺った話と受け取れた情報をもとにしてアドバイスしたり、問題解決のための「セラピー」を施すだけです。それが私の仕事。

何か感じたり、キャッチしたりしたとしても、質問の内容や抱えている問題と無関係のことなら、あえて伝えません

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特に霊的なこと過去世に関することはなおさらです。私は霊能者と言うスタンスやポジションではなく、サイコセラピストとしての立場で仕事を行っていますので。

それに、仮に憑依など、霊による影響で問題が起きているケースだったとしても、ほとんどの原因は、霊そのものより、そうした人間に害をおよぼす霊を引き寄せてしまった、当人自身の問題(性格とか考え方とか生活習慣とか)なのですよね。

そのような事例での私の仕事としては、霊そのものの存在の「せい」にすることではなく、霊を引き寄せてしまったその人の在り方(根本原因)を解決することにあるので。ええ、それが私の仕事なんですね。

「霊が何体くっ付いてますよ」って説明して、「はい、取りましたよ」って・・・それは、私の仕事ではないんです。

そういう人は、取ってもとっても、またくっ付けますから。取ることばかりが能じゃないというか、「生き方」「考え方」を変えない限りは、どうにも改善されないことのほうが大半ですから。

でないと、永遠の負のループというのかな・・・そこにはまって、常に霊でも、生きた人間でも、環境とか状況とか、周囲からの何かしら影響を受けて、流されて、色んなことに振り回されて生きるだけですから。

だから、霊だけに焦点を絞っても意味が無いんです。過去生の問題も同じ。

ああ、それと、初めていらっしゃる方には・・・初回のセッションでは、ヒプノセラピーはしません。他所や他の方は方針が違うでしょうが、私の場合は、信頼関係が出来てからでないと、と考えています。それから、氣の流れの問題とか、そっち方面の初歩的な問題を抱えている状態では、潜在意識の記憶(エレメンタル)をいじるのは「危険」なことと判断しているので。

そういう理由です。まとまり無くてスミマセン。

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望む回答を得るためには的確な質問をせよ

水星逆行の直前ということで敢えてこの手の話題をば…

時々、友人や知人とかその周辺の人から「逢いたい」と言われることがあります。

でもただ「逢いたい」と言われても対応に困るというか・・・
「ん❓ はぁ そうなんですか❓」とか
「そうおっしゃって頂けて光栄です」
「そりゃ どうも」「なんで❓」 とだけしか返しようが無く。

それが学生時代とかであるならば、私みたいな変な奴がいるよとか、趣味嗜好が似ているとか共通項があるとか(例えば同じバンドのファンとか)、そういう接点からの「逢ってみたい」ならば、「じゃあ今度一緒に遊びましょうよ」と言うようなノリで会ったりする機会もあるでしょうけれども…
(そうやって友達の友達ってが広がって、繁殖していくから)

これが私の職業に対する好奇心とか、そう言うモノだとそんなに単純な話では無いわけです。

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仮に私の職業とそこに付随する資質への、私に対する興味だったとしても
「今度こうした集まりやイベントがあるからご一緒しません❓」みたいな軽いお誘いで楽しそうな集まりだなーと…こちらが思えるものだったら誘いに応じるかも知れません。

でも本当にただ「逢いたいんです」ってことを伝えられても、
「どういう意味で逢いたいと思われたんですか❓」って、眉間にシワ寄せて怪訝な顔を浮かべるしか無く、こちらとしては警戒せざるを得ないのです。

そういう時は「仕事のご相談だったらサイトを見て下さいねー」と、お伝えして終わっちゃいます。

だって、なんで会いたいのか、どういう目的なのか…どんな意図で「逢いたい」と仰られているのか、よく解らないからです。意味不明というか応えようがないので。

さて、それはお客様でも同じです。

セッションやレッスンを受けるにしても、どのようなお悩みで当方を頼ろうと思われたのか…どういった問題を抱えていらっしゃるのか…解決したいことは何なのか…どうしたいと思っているのか…何を望んでいるのか…

現状のこととかこれまでの経緯とか、知りたいこととか、何を迷っているのか、自分の気持ちとか考えとか、混乱しているとか、何をして欲しいと思っているのか。

そういうのを話して下さらないことには、何も始まらないのですよ。

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ただ私のような職業の人間に逢いたい。ブログを読んで話してみたいと思ったと、それ自体が目的ならそれはそれでいいのですが。それだけですと、セッションにはなり得ないんですね。普通に世間話で終わってしまう。逆にそれが主たる目的でセッションを申し込んで下さったというのなら、そこのところを前もって仰って頂ければ…そういうお話の時間ということで当方も割り切れるわけですが。曖昧なのが一番困ります。

ホームページにもこちらのブログにも、その辺りのことをいちおう書いたりはしているんですが。

私は「黙って座れば」みたいに質問や相談の無いところで、こちらから自動的にメッセージをお伝えしたりはしません。預言者とか神様のお告げを伝える人ではないのです。確かに職業的にはヒーラーやセラピストというよりは、ユタやシャーマンに近いことしているのは事実ですけれど<ウィッチドクター

聞かれないこと、相談されないことには応えようがないし、相談に乗りようがないのです。会ったならば、何か自分に必要なことを話してくれるなどと期待なさらないで下さい。

受動的な態度の方には期待されましても、差し上げる回答は無いのです。

サイトに書かせていただいている通り、自分の人生の問題に積極的に参加して、能動的に自らがリアクションを起こし、セッションという空間をきっかけに、人生に化学変化を起こそうとしない方には、そう望まれない限りは…当方で得られるものはそう多くは無いと、どうぞ知って頂きたいのです。

もし、あなたが自らの人生に必要なものを確実に得ようと言うのなら、
あなたの疑問に対して的確な答えを得るべく、それを引き出すために相応しい質問を用意する必要があるがごとく、それなりの態度ー行動(リアクション)を取ることが肝心だったりするでしょう。

どのようなスピリチュアルなサービスを利用するときも、どうぞそのような前向きな心掛けかつ積極的な姿勢を持って、利用して頂きたいのです。

お金を無駄にすること無く、対価を支払って得るサービスを通して、受け取る恩恵を最大限求めたいのであるならば…
「このサービスを通して自分が得たい結果は何か」と言う意図を明確にした上で、その得たい結果を得るために自分はどうあるべきか…ということも合わせて考えてみて下さいませ。

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求めなければ道は開かず

似たようなことを過去にも幾度か書いていたりしますけれど…プライベートソーシャル(仕事)とを分けているつもりでも、完全なる分離は難しく、 
その境界線を図るには失敗と試行錯誤の連続でした。

とりあえず仕事の領域に掛かることに関しては、友人知人であっても、
「Webサイトを見て、そっちから依頼してくれる? 」…と説明し。

料金以前に、正式な依頼として申込が有るか無いか、そこを基準にするのがベストというところに落ち着いてはいます。

その昔、20代はバブルの頃。職場で知り合った人で、後に私が占い師になったと知ると「占って欲しい」と言ってきた人がいたのですが、
「プロだから仕事料はいただきます」と伝えたならば…
「ケチ!! 友達からお金取るの?」なんて非難されたことがありました。

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なんでも彼女がワーキング・ホリデーでオーストラリアに滞在した時、ルームメイトだった人がタロット占いが趣味ということで、よく占ってもらってたんですって。なので、どうもそれと同じに軽く考えてたらしいのですよ。
(いやさ、その人は趣味でやってたアマチュアの方。プロとして専門でそれをしている人と同列にしないで欲しいところ)

その前にそもそも、友達って言えるほど親しくないんだけど?? と言うツッコミもまずあったけれど… こういう反応をする人は世の中には多いもの。今の時代だと、セコケチと言うのかな。

その人だって美容師の資格持ちなんだから、「じゃあ、あなたはただで私のヘアカットをしてくれるの?」なんて言った日には、たぶん「この資格を取るためにどれほどの時間とお金かけて、大変な想いをしたと思ってるのよ!」…ってなことを言いそうな人ではありました。

つまりその人は、占いという技術にお金を払う価値を認めてないのね。でも、その価値のない技術を持っている人にやってもらう占いに、価値は認めているのかなんだか知らんけど、してもらいたいと…

なんだかよく解りませんが。だったら、金銭的価値が見出せないこと、自分にとってお金を払うに値しないこと…価値を認められない、技術や知識に頼るのはやめとけばーって感じ??

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さて…友人で困っている人。私がサポート出来そうな問題を抱えている人とか、会った時や状況をメールなどで聞いた時とか、私の方であれこれキャッチしたり、思うところがあったとしても、やはり相談されない限りには何も言えませんよね。こちらからは何も出来ないと言うのかなあ…

遠回しになんとなくで伝えたり、一般常識的な会話の範疇でさりげなく示唆することしか出来ないですのよ。

基本的に私の友人はオカルトとか心霊とかには興味の無い、ましてスピや電波話なんて何それ?的な普通の友達ばかりなのでww

私がこういう仕事をしていることは、それとなく感じ取ってはいるけれど、良く解ってないと言うか、占いと何が違うのか多分みんな解ってないww

(一緒にご飯した時に軽いもので、その場で対処出来るものなら、くっ付いているのを祓ったりはしますが、わざわざそれをしたことは言いません)

聞かれれば答えるけど…というスタンス(オカルト的なことや霊的なことなんかは特に)

こちらから言わず、何か伝えてきたり…何か対処してくれることを期待してくるような人は、(前述のような人)だいぶ切ってしまったし、そのようなものが透けて見える人とは最初の時点でFOするので、今はもう関わること自体無いのですけれども。

逆に私のできる範囲で手伝えるかもしれない、手助けができるかもしれないって…そんな問題や事例を抱えた友人と接する時には、様々なジレンマに悩まされることにもなります。

はっきりと助けて欲しいって言われれば、こちらが出来ること出来ないことを具体的に提示できるんですけどもね。

友人の相談事として聞いて欲しいって言うような求められ方なら、本当にそれまでの「聞くだけならいいよ」ってスタンスで、時間作って話聞いたり、メールのやり取りまでになっちゃいますね。

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昔からの友人の場合、こちらが助けてあげたい、私の担当分野だと思ったときには、一度位はヒーリングを友人として「させて頂く」ことはします
こちらから「ヒーリングをさせて欲しい」と、お願いして受けて頂くことはするんだけども(一度までは)、断られることとか遠慮されることとかもあります。

けれどその後で続けて欲しいのか、もっと具体的な助けが欲しいのか…これ以上はNoサンキューなのか、その先は当人の判断、意志表示次第。

一度の体験で気持ちが楽になったとか効果を感じられたとか、これは良さそうだとか改善されたとか…もっと受けてみたいとか、継続した施療とかこうした目には見えないテクニックに対して、金銭的な対価を払うことの価値を見出して、有料のサービスを受けようと思うか否かは、当人が決めることなので。

さてさて 去年でしたかね。久しぶりに会った友人が家族間のことで複雑な問題をたくさん抱えていて、メンタル的にも体力的にもしんどそうだったので、長い付き合いの友人だったこともあり、こちらから申し出て遠隔と対面でのヒーリング(レイキの施療)を一度ずつさせて頂いたのです。

まぁ、私の担当領域(ジャンル)のことでしたしね。

ありがとうって感謝されて、後日ちょっとしたお礼を頂いたりなんかしたけれど…それで少しでも彼女の状態を良くすることに寄与できたなら、それでよいんです。お礼なんて別にいらないし。 

そうは言っても、問題の根はとても深いものでしたので、その一度や二度の触り程度の手伝いだけで、解決に至るまでのサポートが出来たわけではないし、問題は今も継続中です。

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そして、その時にも痛感したんですけど…
本人が「お願いします」「助けて下さい」って頭を下げて、こちらに対して真摯かつ自発的及び能動的に"依頼"してきたことでない限り、手出し出来ないというか…ここまでってとこしか関われなくて、関与出来ないことのほうが多すぎるのですよ。

そうですね。
入り口のところあたりまでしか出来ないって感じでした。これ以上は立ち入り禁止みたいにシャットアウトされて、させてもらえなかった感じです。

ここにはお金の問題(当人が負担するか否か)も絡んでくるんだけども…

(お金を支払うってことは、自分から望んでそのような力に助けを求める意志表示なので。支払いって別の意味合いからすると、今の自分の生活の中で出費として痛い金額を払うってことは、マイナスを背負うことでもあるから、他人や見えない存在の力を借りて自分の問題の解決を測ろうとする。すなわち他力本願だけども…これをする時には、自分も痛い思いをしないと正負の法則としてね、力を借りられないわけなんですね。借りる力の等価交換だから、自分が何か損しないことには…別の言い方だと、与えないことには与えられないってやつなんです)

その時に私が彼女に対して働きかけたワークは、私が申し出たことに対して彼女が受け入れただけのことだから、「やってもらえるのなら、ありがたい」という感じの受動的な行為でしか無くて、彼女自身から私に対して、
「助けて欲しい」と依頼してきたことでは無いので、ここには制限が働くわけなのですよ。

これは金額自体が大きい少ないってことではないの。その人にとって痛い金額を負うかどうかだから。(年収200万の人と500万の人では、痛い金額は違いますから)

でも頂く側にとっても、もらいすぎはいけないという決まりはありますよ<見えない世界のルールとして。上限がある中で、個人が決めればいいって感じにはなってるけれども。

うちはそうですね。安く設定させて頂いているほうかな…と自負してみる。(クライアントさんがそう仰って下さっているからっっとイイワケ)

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お金を払う払わないって言う、報酬がそこに存在している依頼かどうかって
そういう問題では無く…他人に「お願いします」って自ら頭を下げて、お金を支払ってまで助けて欲しいことかどうか、その人の覚悟や自分の問題との関わり合い方試されてるって感じ。

その覚悟や決意がないとね、見えない力、存在の人たち(透明なヘルパー)は動けないのです。

だから私も前述した友人に関しては、彼女から言われない限り、これ以上は何も手出し出来なくて、遠くから見守っているだけなんですよね。メールのやり取りをして、話聞くだけ。それしか出来ない。

まあ一度は手助けしましたから、私はこういうことが出来ますよ、それを仕事にしてますよ。友人としてサポートとして、出来る範囲までのこと、ここまでしか出来ない…ってとこまではなんとなく示してはいるので。

とは言うものの私の方から、
「そちらからの正式な依頼がないと、こうした見えないところからのサポートは入らないから、ちゃんと仕事として依頼してんかー」
なんて言うことでも無いですしね。

そのような誘導では意味がないんですよ。彼女が強く望まないことには結果として何も起きないだろうし、私が関与できる範囲も限られたままだし、他人に言われてでは元も子もない。解決できる力なんて得られない。

実際、こっちから促すのは押し売り以外のナニモノでも無い。

向こうのほうから、私の職業的なサポートをして欲しいと言ってこない限りには、何も出来ませんのよ。してもいけないことですし。何しろ彼女の人生であり、当人が選択することなので。それもまた自由意志です。

そんなんで身近な人のことで、焦ったい思いはたくさんするけれど。今もしていますが…他人の人生をコントロールするために、この仕事をしているわけじゃないし、分を弁えて、当人と自然にまかせて、でしゃばらないことも大切なことだったりします。
 
それが一番難しいことなんですが。

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あわよくば

私がしている仕事(職業)って、専門職と言えばそうだし、特殊な仕事と言えばそう。世間的な評価が低いというか、太古の昔から存在する二つの職業のうちの一つであるにも関わらず、認知されていないし(知られてはいるが)、世間的な印象や通りは悪い

※世界最古の職業は売春で、その次に占い師や呪術師(シャーマン)の類

最近あったことでははないけれど、「ああ、そうなんだよなあ・・・」と思い返してゲンナリしたことをば。以前にも書いたかも知れないが。

占い師時代には、お客さんと友達になるってことはしなかった。それはタブーでもあったし、ほんの少し距離が縮まったことで、実際痛い目にあったからだ。

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ヒーリングの仕事にスライドしてからは、依存心や依頼心の強い人は少し減り、問題を抱えてはいても、丸投げって人ばかりでも無くなって、まあなんていうか、長いお付き合いになってくると、気心が知れてくるクライアントさんや生徒さんもいたりする。

それでも、健康的な付き合いや関係性を築けるのはほんの一握り。やはり一線を引いて付き合うのが、お互いのためだったりする。

生徒さんとはランチにも行ったり、実習の延長線上の外出も無くはない。この人となら大丈夫だって、用心を重ねたあげくのこと。危ういなって人は、もちろんお断りします。ただのお客さんとは行きません。※レイキの講習の際には案内がてら、ランチをご一緒することもありますけど

個人セッションだけ、いらしている人とは原則距離を置きます。先生と生徒という関係性があって、そして、自分自身の問題を他人に何とかしてもらいたいっていう、そういう状況からは既に離れている人であったり、個人セッションとプライベートでの関わりをきちんと分けて考えられて、何か相談するときにはきちんとお金を払って依頼する姿勢を示してくれて、共依存の関係にはならないだろう・・・って、人に限ってのこと。

この手の仕事をしている人たち・・・
(ヒーラー、セラピスト、占い師、霊能者、チャネラーetc)

たぶん、ほとんどの人が経験していることなんだけども…大体においてはイロモノ的で胡散クサイ見方を世間からされつつも、ときに特別な力を持った特殊な人って憧憬に満ちた目で見る人もいて、するってーと、親しくなることでの恩恵を求めてくる人たちがいたりなんかする。

「あわよくば・・・」って感じに。

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例えば、

たまたま、ある人にとあるモノを渡す必要があって会うことになったとき、
仕事でないから外でお茶でも・・・となったときに、
「それって、完全に相談じゃん?」と言うような、セッションでされるような話を延々とされてしまって、「あの、何で仕事でもないのに、あなたのプライベートな悩み事を延々と聞かされないといけないわけ? 私、あなたの友達じゃないんですけど??」ってこととか。

こういう人は、こちらがそのことで不快さや怒りを示しても、意味を解さない。残念なことに。

たまたま、うちの生徒さんを知っていたが故に、生徒になることで単なるお客さん以上のサービスをしてくれると…そういったことを期待してぜひ知り合いになりたいとコンタクトを取ってきた人もいた。(その人は本当に失礼な人だった)

私がお客として訪れた店で、私の職業を知ってなのか、利用客として訪れている場において色々と悩み事を相談してくる人もいた。(別の記事に書いた鍼灸師の人とか)

でも、その人たちだって、お客さんがオーダーしてお願いした商品やサービス以上のことは提供しない…と言う職業的倫理というかボーダーラインを決めるポリシーとか持っているでしょうに…それが商売だっていう自覚があるだろうに…自分はそれをしないのに、なんでこちらに求めてくるんだろう。

(逆に、私みたいな胡散臭い職業の人間が来るのは、迷惑ですって…blogでお店のリンクとか貼られるのも、ヘンなお客さんが来るから困るって、最近ヘンなお客さんが増えたのは、私がブログで紹介してくれたせいだって、とある喫茶店のオーナーさんに言われたこともあります)

残念なことに、スピなことを教える立場の人にもそういう人はいます。
それは無料の勉強会で、今の私の思想の基盤があるとこなんだけども。月二回のお勉強の前、教えてくれる立場のその人に、「一緒に夕飯を食べませんか?」と誘われたものの、単なる世間話ならいざ知らず、蓋を開けてみたら私の「能力」を用いてのアドバイスを期待しての個人相談。その代わり夕飯はご馳走するとか言うのなら、それはそれでお礼をする気持ちがあると理解出来るけれど。

反面教師としてその人から学ぶことにはなったけれど、その人の依頼心はそれだけでなく、無料のサークルとは言え、私はその人の無料の個人コンサルや個人的感情の捌け口としての受け皿になるために、そのサークルに通っているわけではないわけで。

ほどなく他の理由もあって、私はサークルを辞めた。

(いやさ、話の流れで相談になっちゃったりとか、そういうのはまあ仕方ないんだ。共通の話題を話せる人もそうそういない分野のことだから、愚痴とか思いごととか、その手の話をしたくてなら問題無い。
予め、『ちょっと相談に乗って欲しいんだ』『愚痴聞いて欲しくて』とか、
予告してくれてのことなら、まだ対処もできる。
『そういうのは仕事で依頼して』とか『お金頂きますよ』と断れるから。
でも、あきらかに何か言ってもらおうみたいな”あざとさ”は本当に不愉快だし、関係性を利用されることには反吐が出てしまう)

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私が職業として提供しているサービスを求めるなら、
「あわよくば、何か益になることを・・・アドバイスをもらおう」なんて言うのではなくて、お客さんとして依頼をしてくれれば済むことなのに。

そんな風に、「あわよくば」で求めてこられても、真摯に何かを提供することなんて出来ない。お金という対価は、私が相手にしてあげたいことと、それを求める人との合意の証だ。

お金を払うことも、もらうことも、愛情のやり取りあってのこと。

そんな「あわよくば」なんて、こちらを低く見た、自分は相手に何も与えずに徳をしたい・・・なんて考えの人に、何かしてあげられるほど、見返りの無い愛情を与えられる、マザーテレサみたいな聖人ではないんで。

こちらが立ち寄った「ついで」で、先方のためになるアドバイスを落としていくことを期待されても、友達だったり、私の職業関係なくいつも良くしてもらっているのでとか、こちらが恩義を感じて何か力になってあげたいと思う相手だとか、そういう関係性で無い限り、ふつーのお客さんとしての、誰もが言うようなことをしか、言えないではないか。

うん。なんかもうそういうの気持ち悪い

自分は何も投資をせず、相手に何の見返りも払おうとはせず、ただ他人の好意を期待して、それを求めている人なんて。

私がお客さんから、物品をもらわない、提供しているセッションメニューの代金以外のものは頂きません、としているのも、そういう理由です。

そんな気持ちや下心がある人ばかりではなく、純粋に好意からだとか、単なる日本人の習慣からだとか、そういう人がいるのも解っているけれど、物品をギフトとして相手に渡すことで、「いつも…してあげている」みたいな気持ちになってしまう人とか、馴れ合い的な気持ちを抱いて、一方的に親しみを持ち、友達になったつもりに錯覚してしまう人がいるので、そういう状況を創らないために避けているのです。

かつて生徒さんとして通ってくれる人の中にもそういう人がいました。

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あくまで勉強のための御題、相モデルとしてのケース事例・サンプルとして、「私」を見ることをしてもらったのだけれど、プライベートを知ることで、なめてかかる・・・人もいたわけです。
逆にプライベートな友達だった人が生徒さんとして学んでくれたとき、友達であることを白紙に戻すべきだったのだけど、もともとの友達として出会った関係が邪魔をして(その人のほうが年上で)、注意したり、きつく本質的なことを指摘したりするのに躊躇があって、案の定、スピリチュアルナルシズムにその人が嵌ってしまったときに、彼女のエゴイズムを、それと気づかせることが出来なかった、自分の甘さ、指導力の無さに脱力感を覚えたものでした。

さて、生徒さんやクライアントさんが複数集まった時(グループレッスン等)、一人ひとりの個性とか成長段階とか、学びのスピードとか、スキルとかレベルは個々に異なっているので、集団の中にあっても、公平を考えれば余計に同じ接し方は出来ないのだけれども。

私自身もなれ合いになりすぎないよう、クライアントさんや生徒さんに寄りかかったりしないよう、自らの甘えには気をつけないと、とつくづく思う。自分がしたイヤな思いを、相手にも与えてはいけない。


「霊能者は孤独なものです」と、仰っていたのは確か江原さんだったか。

私は霊能者ではないけれど、なんかこう・・・この仕事をしているものでしか解らないこと、躓くこと、そういうのが色々あるわけで。

人間の醜さ、弱さ、悪意をたくさん見させられ、それを受け入れ、赦すことができない自分もまだまだ愛が足りず、ダメダメだなあ…と思いつつ・・・お客さんのエゴイズムにうんざりさせられて、人嫌いになって、人と関わること、この仕事をすることに辟易することも多々。

私はサンドバッグじゃないし、玄関マットのように扱われるのはもう御免だ! そして、お手軽なアンサーロボットでも無いし、その人専用の便利屋でも無いし、その人の要求を満足させるためのサービスマシンでもありませんからっっっ!! 

ガォーッ!!

…って、たまには叫びたくなることもあります。

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